第202話、伊藤とスプルーアンス
「久しぶりだな、スプルーアンス中将」
「古き友よ。元気そうでなによりだ。お互い、こうして会えるとはな、イトウ中将」
伊藤整一中将は、日本にやってきたレイモンド・A・スプルーアンス中将と会っていた。
「君も中将とは、出世したものだ」
「それはお互い様だ」
かつて、伊藤が渡米していた頃、スプルーアンスと知り合い、家族に贈り物を送りあうような関係にある。似たもの同士というべきか、当時は目立たなかったり、控えめだったりで、互いに馬が合った。
今回、アメリカから日本政府への要請のために、使節団の海軍代表としてやってきたスプルーアンスである。
同時に、彼は上司であるニミッツ太平洋艦隊司令長官から、日本を見てくることを命じられた。
一時は険悪となった両国の関係だが、異世界帝国との戦いを通じて、今では共に同じ敵と戦う友好国にまで改善している。
ヨーロッパで猛威を奮っていたドイツが敗戦秒読みとなり、もはや連合国、枢軸国などと言っている状況ではなかった。
東南アジアを異世界帝国から解放し、中部太平洋戦域を取り戻した日本は、アメリカにとっても、共通の敵に対して唯一互角以上に立ち回っている列強国である。
イギリスはもはや本土近海を支えるのが精一杯という今、この世界でアメリカが頼ることができる国は、もはや日本しか残っていなかった。
「戦況はどうだい?」
「こちらは何とか凌いでいる、というところだな」
伊藤は答えた。
「一時はかなり危なかったのだが……。私は軍令部にいるのだが、ちょっとしたことがあって、マリアナ空襲に……つまり前線に出たこともある」
「こちらも似たようなものだ。太平洋艦隊の参謀長をやった後、ミッドウェー空襲で前線に出た」
「ああ、あのミッドウェーか」
ハワイ奪回の前、日本軍の中部太平洋反撃の直前にあった米軍によるミッドウェー島の襲撃作戦。スプルーアンスはそれを指揮したという。
「私たちは、こういうところでも似るんだな」
「偶然だと思うのが、まあ、何かあるのではないか、という気もしてくるな」
伊藤の言葉に、スプルーアンスは控えめに答えた。因果というものだろうか。
それからしばし、戦況について話し合う。
「――しかし、異世界帝国の戦力は底が知れない。中部太平洋での戦いで、敵の主力艦隊を連合艦隊は撃破した」
「それで、ハワイ方面が手薄になったとみて、我が太平洋艦隊がハワイを強襲したのだが……知っての通り、我が軍は撤退した」
新編成された異世界帝国太平洋艦隊の到着。あまりに早い戦力の補充だった。
「まあ、異世界連中は、世界規模の軍隊だ。情報部の分析によると、敵大西洋艦隊や南方の艦隊から、戦力を引き抜いて太平洋戦域に異動させたらしい」
「そうなのか? じゃあ大西洋戦線は――」
「代わりに新型の艦艇が補充された。……というのが情報部の見解だ。数自体は元に戻っているらしい」
「つまり……何も変わらないということか」
「いや、強くなって戻ってきたというところだな。君たち日本人が頑張ってくれているんだがな」
スプルーアンスは嘆息した。伊藤は少し考えて言った。
「今回、君たちがきたのは――」
「君も知っているだろうが、異世界帝国を相手にした共闘だな。個々に戦うのではなく、人類一丸になって、異世界からの侵略者と戦うべき――というのが、合衆国の世論というやつだな」
「世論……。ホワイトハウスの意思ではないのか?」
伊藤が指摘すると、スプルーアンスは皮肉げに片方の眉を吊り上げた。
「気を悪くしないでほしいが、我らが大統領閣下は、日本があまり好きではないらしい。私やニミッツ提督は、日本に好意を抱いているが、本土の人間の黄色人種への偏見は根強い」
「だろうね」
米国に駐在経験のある伊藤は頷いた。
「しかし、状況が状況だ。合衆国は、異世界帝国の空爆を受けていて、一進一退の攻防を繰り返している。膠着状態ということは、やはり国民の間に不満も溜まるわけだ。そうなると、大統領の支持率にも響いてくる」
「なるほど」
「負けてはいないが、勝ってはいない。ルーズベルト大統領はよくはやっているが、やはり戦いは勝たなくて意味がないからな。ハワイ奪回は、国民の士気を盛り上げるきっかけになるかもしれない」
正直、太平洋の島よりも本土を重視すべき、という声は大きい。しかし、どこかで勝たないと、厭戦気分が出てきて、内部から崩壊という事態にもなりかねない。
あまりに負けがこめば、民主党の大統領は支持を失い、共和党の大統領が誕生するかもしれない――ルーズベルトにとって、それは避けたい事態であろう。
「我が合衆国では、国民の声というのが意外に馬鹿にならないのだ。そしてその民衆の間で、いまだ異世界帝国を相手に奮戦し活躍している日本という存在は、ある種の希望になりつつあるんだ」
「希望? 日本がか?」
「そうだ。日本は勝っているからね」
スプルーアンスは肩をすくめた。
「東洋人が、異世界人を叩いているというニュースは、アメリカ人の密かな楽しみになっているんだ」
今なお異世界軍に抵抗しているのは、アメリカを除けば日本とイギリスだけだ。ソ連や中国なども抵抗はしているのだろうが、如何せん情報が届かない。
「こんなことを合衆国軍人の口から言うべきことではないから、オフレコにしてほしいが、軍も異世界帝国相手にそれなりに勝っている報道はしているんだ。ハワイだって、奪回こそ叶わなかったが、敵艦隊の大半を沈め、その航空機を撃滅したと報じていた」
「……嘘の報道か!」
伊藤は、アメリカでまさかそのような報道が行われていると思わず眉をひそめた。かの国は民主主義国家であり、目に見えて大きなプロパガンダなどしないと思っていた。スプルーアンスは皮肉げな顔になる。
「都合の悪い話は、どこの国だって隠すさ。その点、君たちの国は隠すほどの負けなど、そうそうないようだから羨ましい限りだ」
「……」
日本の報道だって、都合の悪いことは言わない。最近では、かの第八艦隊の壊滅的大損害について、敵機動部隊撃滅が大々的に取り上げられる一方、その戦いでの損害とばかりに、しれっと過小な被害であるという発表に留まっていた。
「そんなわけで――」
スプルーアンスは天を仰いだ。
「合衆国の国民は勝利を、偽りのない勝利を求めている。日本との同盟についても、ルーズベルト大統領が条件をごねるということもないだろう。尻に火がついているからね」
陸軍のマッカーサー将軍が、日本との同盟推進派として活動している。そして彼は国民の人気が高い。以前、日本がマッカーサーのフィリピン脱出に手を貸したことは、彼の心象にプラスに働いていた。
「だからこそ、今の日本なら、かなり条件をつけても合衆国は応じるだろう。……組むなら今だよ」
「いいのか? それは、君の国に不利にならないか?」
伊藤が心配げに言えば、スプルーアンスははにかんだ。
「まあ、一海軍軍人の本心を言えば、友人のいる軍とは、肩を並べて戦いたいと思うこともあるんだ」
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