第165話、山本と嶋田
五月に入り、連合艦隊の主力は内地に帰還していた。
四月の末までに、パラオ、グアム、テニアンを日本軍が制圧。残すはサイパンのみとなったが、こちらはもやは残敵掃討のレベルにあり、事実上、占領確実となっていた。
有力な敵艦隊が存在しないこと、艦砲射撃を島に放ったことで弾薬がなくなった第一艦隊は、すでに引き上げていた第二、第三艦隊と同様に、本土に戻ったのである。
連合艦隊旗艦『播磨』に、嶋田繁太郎海軍大臣が訪れた。長官公室で、山本五十六連合艦隊司令長官は、同期を迎えた。
「よう。お前がこっちへ来るのは珍しいな」
「そういうお前は、海軍省には顔を出さんじゃないか。これはお土産な」
「菓子か?」
「虎屋の羊羹だ。お互い、酒を飲まないからな」
大量の羊羹を持参した嶋田は、従兵にそれを渡す。虎屋の羊羹は、山本が常に在庫を切らさないようにと注意を払わせている一品である。なお、酒の件だが、嶋田は酒は飲まず、山本は下戸である。
嶋田は山本と向き合って席についた。
「まずは、マリアナ攻略おめでとう」
「ありがとう。次はトラック。その次はマーシャル諸島。ついでにウェークもいきたいね」
山本の言葉に、嶋田は頷いた。
「まあ、その辺りはよいだろう。……しかし、ウェーク? あそこはアメリカ領だ。たとえ異世界人から奪っても、アメさんから返せと言われたらどうしようもないぞ」
「その時はその時だ。自分たちの庭先に、敵地があるのは気にならんか?」
「気になるだろうが、あれもこれもと手を出している余裕は、日本にはない」
そう言った嶋田は、山本に本題を振った。
「連合艦隊としては、ニューギニア方面の攻略作戦を発動したいようだが、それに待ったをかけにきた」
「作戦の話なら、軍令部からくるものだと思った」
山本は皮肉った。
「海軍省から来るなんて意外だった。いつから海軍省が作戦を考えるようになったのだ?」
「永野総長には、話を通したんだがな。とりあえず、中部太平洋を取り返したら、それ以上の進軍を控えて、大陸の敵を撃退するのに力を貸してくれ」
「陸軍の要請か?」
露骨に皮肉な顔になる山本である。しかし嶋田は答えないので、ため息をついた。
「ヨーロッパからソ連、そして中国へと、異世界軍が攻めてきてのは知っている」
「そう。このまま連中が進めば、大陸どころか、内地も危ない。お前も、二度目の日本海海戦は嫌だろう?」
大陸を異世界帝国が制圧し、日本海に敵艦が入れば、そこが戦場になることもあり得る。日露戦争の時、日本海海戦に参加し負傷して指を失った山本である。その思い出は苦い。
「大陸で勝つことも重要だろう。陸軍さんには頑張ってもらいたいね」
「そういうことだ。陸軍は戦力を大陸に集中したいから、海軍にこれ以上占領地を増やされても、部隊を送れないぞ――という意味だな」
「兵力を出せないから、海軍には攻勢を控えろ、か」
山本は肩をすくめる。
「正直言えば、ニューギニアやオーストラリアにも遠征したいところではある。今は敵の太平洋艦隊がいないから、思い切った攻めが可能だ」
「だが、肝心の陸軍がいなければ、占領もできんぞ」
「わかっているよ」
拗ねたような顔になる山本である。これまでの話で、改めて指摘されなくても理解している。
「それで、海軍大臣は、連合艦隊に何をお望みかな? 力を貸せとは、具体的に何をすればいいのか」
山本は睨むような顔になった。
「航空隊をよこせ、と言われても難しいぞ。ただでさえ、海軍航空隊はボロボロだ。補充兵を入れて、練成しているが一朝一夕でできるものではない。かつて用意していた足の長い陸上攻撃機隊は、削減されているから、渡洋爆撃めいた長距離爆撃も難しくなった」
空母航空隊の壊滅とその補充で、陸上攻撃機の生産、運用部隊は縮小された結果、現状の海軍の戦闘航空隊は、単発機を運用する部隊がほとんどになっている。
「海軍航空隊が再建途上なのは、陸軍も承知している。空母航空隊を陸揚げして増援に、という要請は今のところはない」
「今のところは、か」
山本は口元を緩めた。嶋田は続ける。
「陸軍としては、我が海軍に南方資源帯の船団護衛をきっちりやること強く望んでいる」
「……」
海軍は輸送船を守っていればいいのだ、というのは、どの陸軍将校の言葉だったか。
「しかし、それだけでは退屈だろう。それで陸軍からの希望でもあるのだが、連合艦隊でインド洋の敵を駆逐してほしいのだ」
「インド洋か……。南には攻めるな、と言いながら、西には攻めるのか」
「皮肉を言いたいのはわからんでもない。だがな、山本。インド洋の制海権を確保するのは、敵の大陸侵攻軍の兵站能力にもダメージを与えて、大陸決戦を有利に運ぶ効果が見込めるんだ」
「それはそれは……。てっきり、まだドイツと手を繋ぐためにインド洋へ行くかと思ったが」
「もし米英と戦争をしていた世界なら、イギリスを脱落させるために有効だったかもしれないが、今の敵は異世界人だからな。今回のインド洋進出は、完全に、異世界軍地上軍との大陸決戦のためだ。かの国は関係ない」
嶋田はきっぱりと告げた。
「有力な艦隊を送り、異世界軍のインド洋艦隊を撃滅し、敵の大陸侵攻軍への物資輸送航路を破壊する。それが陸軍側の要望だ」
「インド洋艦隊とは、つまるところ東洋艦隊だな」
山本は思い出す。
「イギリスさんから奪ったコロンボ港と軍港トリンコマリーを拠点にして、結構な規模だったはずだ」
「そうだ。舐めてかかっては、やられるぞ」
嶋田は背もたれに身を預けた。
「幸い、今の連合艦隊の戦力ならば、太平洋に睨みを利かせつつ、インド洋にもそれなりの戦力を送れるはずだ」
「可能ではあるがね……。敵東洋艦隊を叩くのはいいが、陸軍はどうなんだ? コロンボとトリンコマリー――セイロン島の占領はできるのか?」
「それだがな……。陸軍的には厳しいらしい」
セイロン島攻略に自信が持てない、というのが陸軍の意見だった。
「細かな作戦は、軍令部と連合艦隊にお任せする。東南アジア資源帯に隣接するインド洋の制海権は、獲得しても損はないと思う」
「了解した。だがな、嶋田。もし太平洋で敵の大規模な動きが見られたら、そちらを優先する可能性があることは、留意してくれ」
「もちろんだ。どちらも手を抜いていいわけではない。……目先のものに気をとられて、足元をすくわれないようにな。お前はすぐ調子に乗るからな」
「一言余計だ」
昔から、嶋田の念押しにような小言にうんざりしている山本である。
久しぶりに顔を合わせた同期なので、土産の虎屋の羊羹でも一緒に食べようかと思ったが、その気が失せる山本だった。
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