第164話、海軍の進むべき道とは


 軍令部総長の執務室。永野軍令部総長に、嶋田海軍大臣は言った。


「マリアナ諸島は近いうちに陥落するでしょう。山本のことなので、トラックは奪回すると思います。あそこは元々日本の委任統治領でしたし、海軍としても、国民としても妥当とは思います」

「だが、そこから先はどうするのか、知りたいというのだね、嶋田君」

「はい」


 嶋田はわずかに目を細めた。


「開戦前の元の形にまで戻すというのであれば、トラック、そしてマーシャル諸島も入っているでしょう。ただそこから先は?」

「……」

「相手が米国だった頃なら、無理してハワイ攻略だー、米本土だー、などという話もあったのでしょうが、相手は正体のわからぬ異世界人です。どこまで行けば、戦争は終わりますか?」

「質問に質問を返すのはよくないが、敢えて聞きたい。嶋田君はどう思う?」

「わかりません」


 嶋田は正直だった。


「相手のリアクションがあればこそ、これはマズったとか、このままでよいとわかるのですが、異世界人が何を考えているのか、さっぱりわからないのでは見当もつかないわけです」


 嶋田は持参した太平洋の地図を広げた。


「海軍は中部太平洋で勝ちました。敵地がわかれば、そこを攻め込むなり、何か適当な策も出るでしょうが、現状としては奪回した中部太平洋を守るべく行動することになりましょう」


 地図で南半球側の島を指していく。


「奪回後のトラックの防備の必要性から、ニューギニア方面を攻略したり、南太平洋の島々へ乗り出す……。敵は南半球から現れたと言われていますから、いずれ異世界人について何かわかるかもしれません。ですが――」


 嶋田の指が、大陸に向かった。


「ユーラシア大陸を異世界帝国の陸軍が東進しつつあります。東条首相は、陸軍を大陸からの侵攻阻止に用いたいと考えています。異世界帝国が現れる前の世界で例えるなら、海軍がアメリカを、陸軍がソ連を、同時に相手にしなくてはならない状況と言えばわかるでしょうか」

「つまり――」


 永野は眉をひそめた。


「陸軍は、ニューギニア方面や南太平洋に、これ以上の戦力を割きたくない」

「それどころか、引き抜きたいとさえ思っているでしょうな」


 嶋田も同様に渋い顔になる。


「彼らの言い分も間違ってはいないのです。海軍は内地から外へ外へ向かってはいますが、大陸が異世界人の手に落ちれば、その背中を脅かされることになりますから」


 最前線が中部太平洋かと思ったら、沖縄や台湾、あるいは日本海だった、ということも大陸防衛に失敗すればあり得る。


「連合艦隊は今後どう動くのか。……本来、作戦を考えるのは軍令部ではありますが、ここ最近は、連合艦隊が独自に作戦を立ててきており、軍令部は追認という形になっている」

「……」

「それで日本が守れて、異世界人に勝てるのならよいのですが、彼らはあくまで前線の海軍。陸軍の動きや、海軍の外の動きについては疎く、そこから日本が危ないと聞いても、真剣に取り合わないでしょう」

「海軍と陸軍は仲が悪いからね」


 改めて指摘されると、永野も腕組みせざるを得ない。どこの国でも陸海軍の仲はよろしくないのだ。


 連合艦隊は、中部太平洋から敵を出した後、どう出るか?


 トラック奪還後、中部太平洋の防衛のためニューギニア方面の敵基地制圧を狙った進攻。そして次に南からの脅威を排するため、オーストラリアの封鎖、あるいは上陸などへ動くのではないか。


 軍令部の作戦課でも、そうした南半球方面への進攻計画が考えられている。本土の防衛に始まり、中部太平洋、東南アジア防衛を考えると、足の長い重爆撃機が飛んでくる敵拠点は潰したい。


 しかしそうなると、どんどん戦線は広がり、兵站に多大な負担がかかる。軍令部では、東南アジア資源の輸送路確保のため、専門の海上護衛部隊を立ち上げさせたが、さらなる増強が必要になるし、そもそも動かす燃料・弾薬・食料などの物資の移動、消費も跳ね上がる。


「無闇に戦線を拡げるのはよろしくない」


 永野の言葉に、嶋田は静かに頷いた。


「海軍は中部太平洋を取り戻したら、以後、異世界人関係の情報で進展がない限り、防衛を重視し、長期持久態勢を確固たるものにすべきと考えます」

「山本君は、どう言うだろうなぁ」

「あれは、攻勢を好む性格ですから、どんどん前に行くでしょうな。手綱は締めておかないといけません」


 海軍省は、これ以上の戦線拡大を望まず、連合艦隊はおそらく進撃しようとする。軍令部はどうなのか?――嶋田はそれを確かめにきたのだ。板挟み永野。


 ――また前線は、嶋田君が陸軍に尻尾を振っている、などというんだろうな……。


 海軍だけの目線でみれば、海軍大臣は陸軍と結託しているなどと見るに違いない。だが太平洋ではなく、大陸に目を向ければ、脅威が迫っているのは間違いない。マリアナ諸島に重爆撃機基地を作られるのと同じ、いや、それ以上に放置できない状況なのだ。


 ――前線と後方では見えるものも違う……。


「まあ、山本も話せばわかるとは思います」


 嶋田は言った。


「異世界人がどこから来たか。そして本拠地がどこにあるのか。それがオーストラリアにあるというなら、私も連合艦隊が前へ進むのは構いません。だが現状ではそうではない。相手の本性もわからない」

「情報不足なのは認める。異世界人は捕虜にならない」


 永野はわずかに顔をしかめる。


「これまで各地で彼らと戦ってきたが、実に不思議なことに捕虜となる者がいないと聞いている」

「陸軍も、何とか敵の情報を取ろうとしているのですが、捕虜だけは取れずに苦労しているそうです。一時的に捕虜にしても、基地へ連れ帰る前に死ぬとか……。自決したわけではないのですが、何故か絶命する。……陸に打ち上げられた魚でもあるまいに」


 嶋田は眉をひそめる。


「海軍では、敵船を拿捕したり、漂流者を捕まえないのか、と言われました」

「陸軍にそれを言わせるというのは、深刻なんだろうね」


 無理もない。敵がどこから来て、どこを本拠地にしているのか、それを探る手掛かりすら掴めない。わかれば戦争終結の糸口が見つかるかもしれないのだから、より重視すべき問題である。


「連合艦隊でも敵情は欲しいから、敵艦の生存者を救助するようにはしているが、やはり生きて収容はできていないようだ」

「何か、からくりがあると思うのですが、それも含めて、新情報が得られない限りは、太平洋でのこれ以上の進軍は控えるべきでしょうな」


 嶋田の発言に、永野は微笑した。


「海軍としては人材の練成、補充に注力する余裕ができたと思うしかないかな」

「いえ、我々海軍にも、まだ行くべき戦線がありますよ」

「ほう、それはどこかね?」

「インド洋です」

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