第134話、ニミッツ大将と太平洋艦隊
アメリカ海軍は耐え忍ぶ日々が続いていた。
かつては、日英と並ぶ世界三大海軍の一角を担っていた。しかし異世界人の侵略により、海軍は主力を半壊させられ、厳しい状況にある。
米太平洋艦隊司令部――その拠点はハワイではなく、本土は西海岸サンディエゴに移った。それから一年経ったが、元々ハワイの真珠湾が、太平洋艦隊の母港として運用されたのが、ここ数年の話なので、出戻り感が半端なかった。
チェスター・W・ニミッツ大将は、現在の太平洋艦隊司令長官である。テキサス州フレデリックスバーグ生まれ。つい先日誕生日を迎えて58歳になった。
素朴で、物静かな印象を与える一方、時々仕草に優雅さを感じさせる。ドイツ系アメリカ人である彼の先祖が貴族だったのも、もしかしたら影響しているのかもしれない。
そんなニミッツのオフィスに、参謀長が入ってきた。
「提督」
「やあ、レイ」
ニミッツは、太平洋艦隊参謀長を務めるレイモンド・A・スプルーアンス少将に頷いた。
「港はどうだったね?」
「意気軒昂と言ったところでしょうか。ようやく、ハワイでの雪辱を果たせられると」
「そうかね。それは結構」
ニミッツは、この何事にも控えめそうに見えて、忍耐強い参謀長の目に強い意志を感じ取った。
ハワイ沖海戦。1941年末に生起した異世界帝国艦隊と太平洋艦隊の一大決戦は、合衆国の大敗北に終わった。
それも正面からの堂々たる艦隊決戦に敗れた。これは多くのアメリカ人を落胆させ、生き残った海軍軍人たちに深い傷を負わせた。
スプルーアンスは、当時、第五巡洋艦戦隊の司令官としてハワイ沖海戦に参加し、生還した一人だ。
だがその戦いで、彼と親交の深い『ブル』の異名を持つ猛将、ウィリアム・ハルゼーは、空母『エンタープライズ』と共に命を落とした。第五巡洋艦戦隊は、空母群の護衛を勤めていたが、スプルーアンスは尊敬する先輩を守り切れず、撤退を強いられた屈辱を味わっている。
当時の太平洋艦隊司令長官、ハズバンド・E・キンメル大将も、旗艦である戦艦『ペンシルベニア』で戦死。その結果、キンメルの後任として、ニミッツが太平洋艦隊司令長官に就任したわけだが。
――あの時、断っていなかったら、戦死していたのはキンメルではなく、私だっただろう。
ニミッツは表情を曇らせる。キンメルは中将を経由せず、少将から大将になった。合衆国海軍では、役職と階級がセットになっているので、そのポジションに就いた時、自動的にその階級になる。
キンメルが太平洋艦隊司令長官に選ばれたのは、ニミッツが、自分がその職を務めるのは早いと断ったからだ。あの時、断らなければ、ニミッツとキンメルはおそらく逆の運命を辿っていたに違いない。
かくて、ニミッツもまた少将から大将になったわけだが、この一年、太平洋艦隊は非常に厳しい状況にあった。
まず戦力がない。
ハワイ沖海戦で、その主力をことごとくを失い、ニミッツが就任した時に、残存した戦艦、空母は、ハワイにいなかった戦艦『コロラド』と空母『サラトガ』のみという有様だった。
ハワイ沖海戦での残存艦を集めても、大規模な作戦行動は困難という状況だったのだ。
そして戦力が増えない理由の一つに、戦線が太平洋と大西洋、双方にあるのが挙げられる。敵が片方どちらかならば、そちらにに集中できたが、二つの海を同時に相手にしては、中々増えないのも道理である。
「我らのステーツは、南米から飛来する重爆撃機による攻撃を受けている」
ニミッツは窓から外を見やる。そんな司令長官の背に、スプルーアンスは言った。
「目下、戦闘機による迎撃と、報復の爆撃機隊による南米攻撃が中心です。我々、太平洋艦隊にできることはほとんどありませんでした」
米海軍はといえば、大西洋艦隊が、時折英国への通商護衛に駆り出されていた。向こうも戦力は厳しく、先日、空母『ホーネット』が撃沈され、とうとう正規空母は『レンジャー』のみとなっていた。
しかし、向こうはまだいい。昨年就役の始まった新戦艦のサウスダコタ級戦艦4隻が、すべて大西洋艦隊に配備されたからだ。昨年末に就役した新空母『エセックス』もそちらに配備が決定している。今後続々就役する大型空母も、主に大西洋に回されると噂されており、特に戦線が動いていない太平洋艦隊は、後回しにされ気味であった。
「まあ、太平洋には、日本海軍がいるからな」
ニミッツが微笑すれば、スプルーアンスも頷いた。
「アドミラル・トーゴーの弟子たちは、うまく異世界人ともやりあっているようです」
日本軍のここまでの善戦を予想できた人間は、合衆国にはいない。かつて、日本を訪れ、アドミラル・トーゴー――東郷平八郎元帥を目にしたことがある二人である。特にニミッツは、日本海海戦の英雄である東郷本人と十数分会話をし、感銘を受けていた。
ともあれ、日本人に対して一定の理解があった彼らでさえ、異世界帝国相手と互角以上に渡り合っている状況は想像だにできなかった。
「彼らが頑張ってくれているおかげで、異世界帝国はアジアへと矛先を向けた」
残存太平洋艦隊が積極的に動くような事態にはならず――例のマッカーサー救出は除く――、戦力が回復するまで、本土防衛に徹してきた。
もっとも、先ほどニミッツが口にした通り、建造された大型艦が太平洋に来る気配が低いのだが。
ルーズベルト大統領は、本土の航空兵力の増強と、大西洋を主軸に同盟国であるイギリスへの支援を重視しているが、もし日本海軍が今ほど奮戦していなかったら? 現状より多少は、戦力が回されてきたのだろうか。
「これらに新鋭艦が来ないのは、戦艦や空母を建造できる工廠が、東海岸の造船所に集中しているからだ」
真顔で言うニミッツ。スプルーアンスはわずかに眉をひそめた。
「本気で言ってます?」
「冗談だよ」
この司令長官は迫真の表情で、ジョークを言うのだ。
だが冗談としつつも、実際に主な戦艦や空母は、東海岸の造船所で作られている。先のエセックス級空母など、バージニア州のニューポート・ニューズ造船所で複数が同時に建造されている。
一方の西海岸となると、大型の正規空母や戦艦というのは難しい。開戦後、西海岸に拠点を置くカイザー造船所から『空母30隻建造プラン』が持ち込まれた。だが――
「ベビー空母」
要するに、護衛空母だった。低速で、航空機搭載数も、正規空母の半分以下である。
海軍としては護衛空母も必要ではあるが、開戦時の太平洋艦隊壊滅もあって、正規空母が欲しかった。
しかし、大型艦の建造は数年はかかる大事業だ。いかに大工業力を持つアメリカといえど、難しい話である。正規空母でなくても、早急に作れるならと、海軍はカイザー造船所の提案に乗った。
「ないよりマシでしょう」
スプルーアンスは言い聞かせるように言った。
結果、カサブランカ級と名付けられることになる護衛空母の大量建造がスタート。比較的建造しやすい商船型の構造を採用し、無駄を省いた設計の上、全溶接とブロック工法を組み合わせて短期間での完成を目指した。
太平洋戦域でも補助空母として運用する気だった海軍の意向もあり、建造が急がれ、42年の中盤頃に一番艦『カサブランカ』が進水し、43年に入って就役にこぎつけた。4月頃までに、10隻近くが就役する予定となっている。当初は大西洋戦線向けであったが、何隻か太平洋艦隊に回されることになっている。
さらにこれとは別に、タンカー改装の軽空母案の検討などが進められたものの、はっきり言って、補助はともかく、主力として前面に出せない船ばかりで、太平洋艦隊、いや海軍としても頭の痛い問題だった。
しかし風向きが変わった。誰あろう日本が、劣勢の太平洋艦隊に手を差し伸べたのである。
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