第112話、歴代軍令部総長と魔技研
「つかぬ事を伺いますが、総長が魔技研と関わりを持ったのは、いつですか?」
伊藤整一軍令部次長は、永野軍令部総長に問うた。
永野が軍令部総長となったのは、昭和16年、1941年4月からだ。魔技研は軍令部に所属していたというのは、次長である伊藤も知らなかったから、いったい総長はいつからその存在を知っていたのか興味があった。
「うむ、私が魔技研の存在を知ったのは……谷口さんが、軍令部長を務めていた頃だな。あの頃、私は軍令部次長だった」
谷口さんとは、谷口
恐ろしく厳格、そして真面目。艦隊派からは大いに睨まれ、かの東郷平八郎元帥からも面と向かって不満を漏らされた人ではある。だがその行動は、対米戦反対だった米内光政や山本五十六らと被るところもある。
「あの頃も含めて、軍令部のトップの間では、魔技研とその研究については知っていた。まあ、全ては、『この世界とは違う世界から、侵略者が現れるかもしれない』という予言じみた話があったからなんだけれども」
永野は、しみじみと言った。伊藤は僅かに眉をひそめる。
「歴代の軍令部長はご存じだったと?」
「どこから知っていたかは私も知らない。が、例の消失した『畝傍』が発見され、研究されていた頃は、当然知っていただろう。……おそらく島村大将もご存じだったのでは」
島村
また後進の教育にも熱心で、日本初の練習艦隊の初代司令官を務めたこともあった。
「あの人は、幻となった八八艦隊の予算案が通過したところで軍令部長を辞められたが、聞いたところによると、その八八艦隊計画案も、世界情勢を見据えてのものの他に、対異世界勢力への対策の一面もあったと聞いている」
「何ですと?」
驚く伊藤に、永野は笑みを浮かべた。
「第一次世界大戦が終わる頃といえば、『畝傍』発見からすでに10年は経っていたからね。その技術についても完全ではないが、色々わかってきていた頃だから」
そして島村が引退し、次の軍令部長は、山下源太郎大将だった。
この人には、伊藤も覚えがある。というより伊藤の兵学校時代の兵学校長が山下だったのだ。
兵学校長から軍令部長になった山下は、アメリカを仮想敵として研究、かの『漸減邀撃作戦』の具現化を進めた。
その裏には、やはりというべきか異世界人への対策も含まれていたらしい。そのための八八艦隊計画だったが、ワシントン海軍軍縮条約が締結されてしまったことで、八八艦隊は諦めざるを得なかった。
当時、異世界については機密であり、それを理由に八八艦隊計画を継続、とはいかなかったわけだ。
ただ本人は納得していなかったと伝えられている。こんな話がある。ある時、とある人から『八八艦隊の廃艦を、欧米各国の目の届かない場所に隠して、密かに保有しておきましょう』と本気か冗談かわからない事を言われた。
それに対して山下は『海軍軍人が、そのような姑息な真似はできぬ!』と一喝したという。
「この件がやたら話題になったが……しかし今にして思えば、世間から、魔技研の研究と、廃艦回収を知られないようにするための方便だったんだろうね」
廃艦し沈めた軍艦を密かに回収――山下や当時の軍令部は、将来の敵に対するため軍縮条約に反対していたころもあって、本当は廃艦を隠しているのでは、と疑われる可能性も皆無ではなかった。そうなっては面倒なので、派手に否定してアピールしたのだろう。
一方で、艦隊決戦重視から、潜水艦や航空機を用いた、最善が無理なら次善の策で何とかしようという工夫をさせて、漸減邀撃作戦をより進化させている。
次の軍令部長は鈴木貫太郎。海軍次官、連合艦隊司令長官、そして軍令部長と歴任した人物で、この人の在任中、特に話題はないが、皇室からの希望を受けて予備役となり侍従長に就任している。
「魔技研の、特に魔法分野に関しては、皇室をお守りする一族とも関係が深いからね。鈴木さんも間違いなく、知っていたと思うよ」
「そうなのですか?」
「うん。神明君の一族が、そうらしい」
意外なところで繋がりが出てきて、伊藤は驚くのである。
鈴木貫太郎の次は、加藤寛治大将。軍縮条約に反対するいわゆる艦隊派であり、ロンドン海軍軍縮条約にも当然ながら強硬に反対した。ただ、その時の騒動が統帥権干犯問題に発展したことで、最後は辞任している。
「対米強硬派と思われがちだが、実のところ英米との戦争については、避けたいと思っていたらしい。あの人が拘ったのは、異世界勢力への備えだったんじゃないかな」
加藤の後が、永野が次長を務めた谷口尚真大将である。彼は前任者と違って、条約派であり、結果、ロンドン海軍軍縮条約は締結される運びとなった。正直、かなり尻拭い感がある人事ではあったが、とても真面目で厳しい人物であったことも後任に選ばれた理由だと思われる。海軍分裂の危機をどうにか収めたが、のちに報復人事で予備役編入された。
そして次、永野の前任だったのが伏見宮博恭王。時に1932年。皇族出身の海軍軍人であり、実戦経験があり、操艦の名手。皇族らしからぬ人として、実に潮っ気のある人物として知られた。
艦隊勤務歴もあるが、海軍軍令部長になると、軍令部の権限の強化を推し進めた。名称も『海軍軍令部』から『軍令部』となり、軍令部長も軍令部総長と改称された。
それはこれまでの海軍省優位の伝統を覆す動きだったが、これも異世界勢力との戦いになった際、魔技研を軍令部の手元に置いておくための処置だと思われる。
表向きは艦隊派寄りだったが、皇室出身のためか魔技研の新技術、兵器の開発に大いに期待をしていた。彼が何かにつけて特殊な兵器と口にしていたが、あるいは魔技研への含みだったのかもしれない。
ちなみに、伏見宮博恭王の長男である
そして1941年4月、永野が軍令部総長に就任した。実際に永野が魔技研に関わったのは、谷口大将が軍令部長だった頃の、軍令部次長時代が最初であり、九頭島に施設増設――いわゆる海軍魔法学校の創設や訓練施設などの拡充、能力者のスカウト強化を推進し、戦時になった際の人材不足に対応できるような、下地作りで協力した。
後は軍事参議院時代に、ちょくちょく九頭島に足を運んだこともあってか、スカウトされて魔法学校で学んだ卒業生などから『先生』と呼ばれていたりする。
「――まあ、私が知る限り、歴代の軍令部総長は、魔技研については知っていたのは間違いない。ただ、魔法について期待していた人もいれば、極力関わらないようにした人もいた。……ま、皇室が絡んでいるから、口外しなかっただろうがね」
永野は、そこまで話すと一息ついた。
「しかし、それも私の代で終わりだ。海軍全体に、魔技研という存在が正式に認知されたからね」
これまでは、名前だけ聞こえた正体不明の謎研究部署程度だった魔技研。異世界帝国という本命が現れた今、その存在を秘匿し続ける意味は薄れている。
そして彼ら魔技研が開発した装備や兵器は、異世界からの侵略者相手に有効に立ち回れる力を日本にもたらした。
だが、戦いはこれからだと、永野は心の中で呟く。
この異世界から敵を撃退しつつ、その戦いの終わりの道を探っていく。残念ながら、今の日本に、いや、世界に、どうすればムンドゥス帝国の侵略に終止符が打てるのか、それを理解している人間は一人もいない。
完全に討ち滅ぼすのか、あるいは講和が通じるのか。それすらもわからないのだから。
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