第43話、一人の将軍を救うために


 アメリカ海軍太平洋艦隊は、絶対的に戦力が不足していた。


 異世界帝国の南米侵攻。大西洋での戦いに続き、太平洋でもハワイを敵に制圧され、太平洋艦隊主力は壊滅したからだ。


 海軍は戦力の回復を図っているが、パナマ運河をやられたことで、太平洋と大西洋の間での戦力移動は困難なものとなっている。もっとも、両洋を移動させるだけの艦艇の余裕などなかったのだが……。


 故に、現在太平洋で稼働している戦艦は『コロラド』のみ。空母は『サラトガ』しかなかった。


 ハワイ沖海戦時に西海岸にいたことが、生死を分けたのである。


 太平洋艦隊第11任務部隊は、現在のところ、太平洋の米軍としては最有力な戦力といってよかった。


 空母『サラトガ』、重巡洋艦『ヴィンセンス』、軽巡洋艦『コンコード』『トレントン』ほか駆逐艦7隻。


 計11隻の小艦隊だが、これが太平洋艦隊の戦力の大半というのが、いかにその台所事情が厳しいかを物語る。


 そしてアメリカは、このなけなしの艦隊を、危険は承知で、フィリピンに派遣した。


 連日、異世界帝国と激闘を繰り広げ、奮闘する陸軍の将軍を救出するために。


 ハワイ沖海戦で戦死した前任の太平洋艦隊司令長官ハズバンド・E・キンメル大将に代わり、新たな太平洋艦隊司令長官となったチェスター・W・ニミッツ大将は、このあまりに投機的過ぎる任務に難色を示した。


 だが、合衆国大統領、フランクリン・デラノ・ルーズベルトの強い要請と、何より世論のマッカーサーを救えの大合唱もあり、第11任務部隊を派遣することとなった。


 本当なら、唯一残る戦艦『コロラド』も、護衛につけてやりたいとニミッツは考えていたが、低速過ぎて、かえって足を引っ張ると、高速空母と巡洋艦隊の出番となった。


 それでも、異世界帝国の勢力圏に飲み込まれつつある中部太平洋を横断するのは、非常にリスキーだった。


 故に、移動ルートは、日本軍のテリトリーをかすめるよう、異世界帝国の勢力圏との間と思われる海域を選んで策定された。


 日本とは非常に険悪であり、双方とも一時は戦争を意識するまでに関係が悪化していたが、少なくとも現状は敵ではない。異世界帝国という共通の敵を相手にするのが忙しく、関わらないようにしている、というべきか。


 が、政治の話はともかく、海軍の方では、関係改善を図れないものかと考える者たちはいた。


 たとえば、日本海軍。軍令部としても、異世界帝国との戦争に向けて、石油は欲しい。アメリカはそのお得意様だったから、輸入の再開は以後の戦いを見据えても望むところ大であった。


 そして米太平洋艦隊司令長官のニミッツもまた、深刻な戦力不足の状況改善のために、日本海軍との共闘ないし何かしらの協力関係が結べないか考えていた。これはニミッツが、日本に対して、比較的好意的な目で見ていたことも関係している。


 閑話休題。


 フィリピンで奮戦する陸軍将軍、ダグラス・マッカーサーを救出するために派遣された第11任務部隊は、フィリピン海を西進し、フィリピン北端へ近づいた。


 しかし、フィリピンの完全制圧を進める異世界帝国は、進出した航空部隊を送り出し、これを叩きにきた。


 サラトガ艦載機隊である第3航空群の艦上戦闘機F4Fワイルドキャットが、異世界帝国のトンボのような戦闘機――ヴォンヴィクスとの空中戦を展開。ムササビを連想させる形の攻撃機ミガの、任務部隊への接近を必死に阻止した。


 だが数度に渡る攻撃は、第3航空群の奮戦空しく、第11任務部隊に被害をもたらした。


 司令官であるウィルソン・ブラウン中将は、旗艦『ヴィンセンス』の艦橋から、苦虫を噛み潰したような顔で、被弾し傾いている空母『サラトガ』を見つめる。


 排水量4万トン、全長270.66メートルの巨艦。当初はアメリカで唯一の巡洋戦艦となるはずだったレキシントン級として作られたが、ワシントン軍縮条約によって空母となった。機関21万8000馬力、35ノットを誇り、艦載機は90機近く搭載している。


 ブラウンは、ハワイ沖海戦で、沈み行く空母『レキシントン』を目撃している。からくも戦場離脱に成功したが、ハワイ沖では、多くの海軍軍人が戦死した。


「提督、『サラトガ』のダグラス艦長より入電。速力低下、艦の傾斜により、艦載機発着艦、不能とのことです」


 シット!――思わず悪態が漏れかけるが、何とかこらえるブラウン。


「味方の艦は、何隻残っているか?」

「はい、本艦のほか、損傷した『サラトガ』、巡洋艦『トレントン』ほか、駆逐艦3隻です」


 ほぼ半減した。第11任務部隊は、『サラトガ』が艦載機を運用できなくなった時点で、エアカバーを喪失した。


「次に敵が来たら、終わりか……?」


 先行きは不安しかない。


「提督! 魚雷艇、接近します!」


 目的のマッカーサー大将を乗せた脱出艇である。空襲が引いたことで、今のうちに艦隊に、かの将軍を移乗させようというのだろう。


 そうとも、さっさとマッカーサー将軍を乗せない限り、第11任務部隊は、この海域から逃げることもできない。


 このために命を賭して、アジアまで遠征してきたのだ。


 巡洋艦『ヴィンセンス』のフレデリック・L・リーフクール艦長は、渋い表情を浮かべる。


「潜水艦で逃げてくれれば、我々が苦労してこんなところに来なくて済んだんですが……」


 気持ちはわかる――ブラウンも思う。ひっそり潜水艦で近づき、こっそり脱出する。そういう手もあった。


 実際、フィリピンのケソン大統領は、米海軍の潜水艦によってすでに脱出している。だが、マッカーサーが潜水艦を使わなかった理由は――


「将軍閣下は、閉所恐怖症なんだそうだ」

「はあ……?」

「生まれつき、狭いところは駄目だという噂だ」


 ブラウンも、自身の苛立ちを表に出さないように淡々と言う。聞いていた艦長の口元が引きつった。


「つまり我々は、将軍閣下が潜水艦が怖いからという理由だけで、極東に送り込まれたわけですか?」


 それで第11任務部隊の将兵が命懸けで、フィリピンの海で戦い、死んでいったのか。合衆国海軍の若者たちが、弱体化した海軍にあって貴重な戦力が、閉所恐怖症の将軍を救出するために失われたと?


 国民の士気を高めるための尊い犠牲だとでも?


「我々は、政治に殺されるわけですか」


 何とも言えない顔になるリーフクール。正直怒鳴りたい衝動に駆られているが、ブラウン提督もまた内心に怒りをため込んでいるのを察して、将軍閣下への罵倒を飲み込んだ。


「大統領も、国民も、英雄を求めているのだ。この戦いを勝ち抜くために」


 自分に言い聞かせるように言うブラウン。リーフクールは話を変えた。


「マッカーサー将軍を乗艦させたら、我々は東へ退避でよろしいですな?」

「ああ、そのつもりだ。だが問題は、『サラトガ』がついてこれるかだ」


 被弾し、速度が低下している『サラトガ』である。魚雷を食らって、浸水の影響で速度が上げられないのだろう。一刻も早く、敵空襲圏内から離脱しないといけないが、随伴駆逐艦の燃料の問題もあるので、なかなか難しいものがある。


「いっそ、日本の海域へ逃げ込みますか?」

「外交問題になる。いくら異世界帝国が共通の敵だとはいえ、日本海軍がきて、領海から追い出されるのがオチだ」


 むしろ追い出されるならマシだ。最悪、領海侵犯として撃沈される可能性もある。


 しかし、どう考えても味方の領域より、日本のテリトリーのほうが近い。だが繰り返すが、同盟国ではないのだ。

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