第30話、鰤谷丸の正体


 日清戦争より前、海軍第一期拡張計画において建造された巡洋艦。その中に、フランスに発注された『畝傍うねび』という艦があった。


 フランスのフォルジ・エ・シャンチュー社で作られた『畝傍』と、イギリスのアームストロング社で建造された『浪速』『高千穂』は、当時は世界でも有力な巡洋艦とされた。


 しかし、日本に引き渡された『畝傍』は、フランス人の乗員によって回航中、シンガポールを出てから消息不明となった。それが1886年12月3日の出来事である。


 諸外国の手も借りて捜索したが、『畝傍』の行方はつかめず、87年10月19日に亡失となった。


 それでこの件は表向き終了した。事故なのか事件なのかわからないまま消えた『畝傍』だったが、その後、ひょっこり発見された。


 日本海軍は極秘裏に回収したが、その理由は、『畝傍』がまったくの未知の技術によって大変貌を遂げていたからだ。


 当然のことながら、技術の解析が行われた。当初は難航したが、魔法と呼ばれる力に類似点があることを突き止め、その専門家も加えたことで、解析は進んだ。


「その専門家には、私の父もいた」


 大型巡洋艦『妙義』の艦長室。神明大佐は、神大佐を招いて、話をする。


「神明の一族は古来より魔術を使う家系でね。……いや、それは今はよかろう。当時、海軍は回収した『畝傍』を軍機とし、その存在は世間に公表されるとはなかった」


 未知の技術を取得すべく、海軍は極秘裏に研究を進めたが、いつしか類似する魔法に関しても、自軍の兵器や装備に取り入れる方向へと向かいだした。


「それが魔法技術研究部――魔技研の始まりだ」

「陸軍にも魔研という組織があるようですが……?」


 神が問うと、神明は机の上に古い写真を置いた。


「あちらは、純粋に魔法の研究が発端だったようだがね」

「これは……?」

「魔技研が当時回収した『畝傍』の写真だよ。あとこちらは、フランスの資料を元に再現した『畝傍』本来のスケッチ。……どう思う?」

「元の『畝傍』は見るからに帆船のようですな……」

「通商破壊のために、長い航続距離を求めた当時のフランス巡洋艦の思想が形になっているのだ。巡航時は帆走できるようにな」


 当時は軍艦を外国から購入していた時代である。日本に世界レベルの軍艦を作る技術は、残念ながらなかったのだ。


「……今の軍艦からすると、何とも」


 神は半ば呆れる。古い時代の軍艦というものは、今とは思想も戦術も違うのだ。


「そしてこれが改造された『畝傍』」


 写真を手に取る神。マストが短くなり、形も現代の艦艇に近いシルエットになっている。ただし主砲配置については、元とさほど変更はなく、やはり古めかしくはある。


「発見当時としては、確かに進んでいたかもしれませんが、昭和の我々からしても、さほど目新しくはないようですが」

「見た目はな。だがこの中身は、まったくの別物だ。砲も、その装填装置機構も新しければ、機関もレシプロでも、蒸気タービンでも、ディーゼルエンジンでもなかった」

「レシプロでも、ディーゼルでもない……! そ、それは」


 神が前のめりになる。神明はニヤリとした。


「魔法式エンジン、略してマ式と呼んでいるがね」

「マ式機関……」

「魔力が必要なんだがね。大きさの割に高い出力を発揮する。機関始動も早くて、非常に静かだ。特にこの恩恵は水中航行に向いていてね」

「水中……!」


 神は息を呑んだ。


「マ式機関と直接関係ないが、その改造された『畝傍』は、その見た目で水中航行が可能だった。その大きさで、その形で、潜水艦として行動できるのだ」


 検証の結果、潜水の前に魔法的な防護膜が艦全体を覆うことで、水の侵入を防ぎ、艦を潜水させても浸水しないようになっていた。


「恐るべき技術だよ。当時の世界を見ても、排水量は約3600トン、全長98メートルの潜水艦は類を見なかったからな」


 現代では、大きさだけなら、大型潜水艦として探せば出てくる。日本海軍も伊号潜水艦に100メートルを超えるサイズのものは存在している。


「そして魔技研は、これらの未知の技術を解析し、自分たちの技術に取り込んだ。『畝傍』を潜水艦に再改造して、これが魔技研初の潜水艦マ-1号潜水艦となった」

「……そんなことが」


 神は腕を組んで、『畝傍』の写真を見つめる。


「すると、鰤谷ぶりたに丸や、潜行した艦艇にも、その防水処理が施されていると」

「そうだ。マ式機関と合わせれば、重武装の水上艦も潜水艦として運用することができる。当時の魔技研の戦術では、潜行して敵軍港に侵入し、浮上して港や燃料施設を砲撃する、という案もあったそうだ」


「敵地へ殴り込みとは……! 夢が膨らみますなぁ!」


 神は声を弾ませた。殴り込みに彼を引きつける何かがあるのだろうか――神明は心の中で訝しんだ。


「では、鰤谷丸も、そうした敵地へ潜行して、上陸部隊による奇襲を仕掛ける構想で潜水機能を持たせたのですね」

「まあ、結果的にはそう落ち着いた」

「と、言いますと?」

「魔技研らしく、実験の産物というやつだ。あの防水膜は、どれほどの大きな船まで可能なのか。それを確かめるために、白羽の矢が立てられたのが、第一次世界大戦中に沈んだ、英ホワイト・スター・ライン社の建造したオーシャンライナー、ブリタニック号だった」


 かのタイタニック号の姉妹船である。全長269メートル、5万3200トンという大型船舶。それを魔技研は、密かに海底から回収していた。


「実験は成功だった。あれだけの巨大な船でさえ、潜水艦としての運用ができるようになったのだから」

「……!」

「その後、ブリタニックは鰤谷丸に改名し、紆余曲折あって、空母になり強襲揚陸艦になり輸送艦にもなる多目的艦として、現在の形になった」

「なるほど、鰤谷、ブリタニック……ううむ」


 そのままの名前を使えないからとはいえ、わかりやすい名前だとは思われる。


「その後も、我々魔技研は、マ号潜を使い、標的艦や自沈処理された艦艇を回収に世界を駆け巡った。大きなところでは、第一次世界大戦直後、スカパフローで沈んだドイツ大洋艦隊か」

「スカパフロー!」


 神は大きな声を出した。


「あれは痛恨でした。私は常々思っていたのです。ドイツは強力な艦隊を残したまま敗戦した。その後の艦隊自沈でしょう? あれは実にもったいなかった!」


 どうも戦後の処理で、まだ戦えた艦隊を持て余していたドイツ海軍に言いたいことがあるようだ。だが神明には関係のない話である。


「ともあれ、我々は、実験と研究のためにこれらの艦艇を回収したが、真の目的は備えることにあった」

「備える……? 魔法技術を用いた技術を海軍が本格投入できるように、ですか?」

「いや。この『畝傍』に未知の技術を施した存在の正体。それがもし、我々の知らない敵だったとして、それが攻めてきた時に、対抗できるように」


 神明の発言に、神はハッとした。


「もしや、その未知の敵とは……異世界帝国!?」

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