第17話、帰還、そして人事
「まずは、お疲れ様。よくぞ生きて帰ってくれた」
軍令部総長、永野 修身大将は皮肉めいた微笑を浮かべて、連合艦隊司令長官、山本五十六を迎えた。
トラック沖の戦いに敗れた連合艦隊は、第九艦隊の護衛のもと日本本土へと帰還した。それぞれの母港へ分かれたが、損傷艦艇も多く、大規模な作戦行動は不可能と思われた。
敗戦の責任を胸に、山本はまず軍令部に出頭。軍令部総長に話をしたのち、海軍省へと向かうつもりだったのだが――
「嶋田大臣とも話したんだがね、君の辞表は受けられない」
「……」
山本は渋い顔になる。永野総長は椅子に座るよう言った。
「責任感の強い君のことだ。今回の敗戦の責任を取ろうというのだろう? だがね、私も嶋田大臣も、君には連合艦隊司令長官のままでいてもらいたいと思っている」
「お言葉ですが、総長――」
山本が言いかけるが、永野は手の平を向けて、黙って、という仕草をみせた。
「そう、責任は取らないといけない。しかしだ……とかく我が国は、何事も白か黒。1か100かと極端過ぎていけない」
ちなみに――と永野は苦笑した。
「大本営が、トラック沖のことをどう発表したか知っているかね?」
「いいえ……」
正直、聞こうとも思わなかった。連合艦隊を壊滅させてしまったことで、世間や報道は、山本をボロクソに叩いているに違いない。
「――連合艦隊は、戦艦20隻に及ぶ敵大艦隊と交戦。トラック島を失い、艦隊を損耗するも、敵に痛烈なる打撃を与え、それ以上の侵攻を阻止!」
戦艦20隻!――いや、実際戦った敵は、戦艦11、大巡洋艦10、その他だが。
「しかし、我が海軍は新鋭戦艦、空母の補充を得て、臥薪嘗胆。勇猛なる山本連合艦隊司令長官のもと、反撃の用意あり――だったかな」
物真似は似ていたかな、と、永野は年甲斐もなく破顔した。
「そんなわけで、君は劣勢な戦力で敵に立ち向かった勇将ということになっている。だから、辞任なんてさせないよ」
敗戦を隠してはいないが、実情を伝えず、プロパガンダで失点を最小に押さえる。これにより、国民の批判を抑えようというのだ。こういう風に扱われるのは、正直、嬉しくない山本だった。
「あれだけの犠牲を出した自分が、英雄扱いですか」
「負けている時だからこそ、英雄というものは必要、ともいう」
永野は真顔になった。
「世論も今回の敗戦について、残念には思っているがそこまで反発や批判はない。……四カ月前に、アメリカさんがハワイ沖で負けて、占領されているのも影響しているだろうね」
目下のライバルとされている米国の太平洋艦隊は、昨年末に、異世界帝国と戦い全滅。そしてハワイをとられている。ああ、やっぱり敵は強かったのだ、と国民もある程度、受け止めているようだった。
大本営発表は、敵を強大に誇張し、負けても仕方ないという表現をしつつ、それでも立ち向かった連合艦隊はよくやった、という演出をしたのだ。……日本人には受けるだろう、そういう発表は。
「てっきり、クビかと思っていました」
「君は何かにつけて、辞めたがるよな」
永野は、これまで度々、山本が引退したいと漏らしたり、実際に辞任をほのめかしたり、それを交渉に使ってきたのを見ている。
「まあ、それでも私は、君のことを高く評価しているからなんだけれども」
「そうなのですか?」
意外そうな顔をする山本に、永野は例の皮肉めいた笑みを浮かべた。
「そうだよ。ほら、第二次ロンドン海軍軍縮会議の時かな、私を君にも来てほしいと頼んだが断られた」
「……」
「その後も、中央に戻したり、私なりに便宜を図ってきたつもりだったんだがね……」
「そこまで評価されていたとは……」
「思っていなかったか? まあ、人がどう見ているのか、それを推し測るのは難しい。私はね、常々、西洋の教科書を丸暗記して押し込む教育には反対だったんだ」
永野はきっぱりと断じた。
「その点、山本君は、航空機の先見性を認めて、新しいことをどんどん取り入れていた。時々失敗もしているが、硬直した組織の中にあって創意工夫をしようと努力した」
「失敗、ですか……」
「さっきも言ったが、日本人は極端過ぎるのだ。航空機の優位性、将来性はいいが、それ以外は駄目と断じるのもまた早計なんだ。世の中、バランスだよ」
永野は腕を組んだ。
「あと、小耳に挟んだ話では、異世界帝国が現れなければ進んでいたかもしれない対米戦、真珠湾を開戦劈頭に奇襲しようとした案とか」
「あれも失敗だったと? 確かに真珠湾の深さを考えると、航空機による雷撃は――」
「あー、すまない、山本君。そういう戦術的な話じゃないんだ。実行できるできないの話ではなく、合衆国という国についてだ」
「お言葉ですが、総長。私は米国については、そこらの軍人よりも知っていると自負しています」
「駐在経験がある、そう言うんだろうけど、それを言ったら私も、アメリカについては詳しいよ。……だからだよ。あの国と日本の政治的な対立から、開戦劈頭の奇襲は、戦術面では最良だったとしても、政治的には最悪になった可能性が高い。……あの国はね、不意打ちが嫌いなんだ」
だから、連合艦隊が提案してきたら、軍令部は難色を示すか反対しただろう、と永野は言った。
「その点は、君より嶋田大臣のほうが理解していたかもしれない」
同期で、今は海軍大臣である嶋田の名前がここで出て、思わず苦い顔になる山本である。
永野は咳払いした。
「かなり脱線してしまったね。とにかく、君には連合艦隊司令長官として、次も頑張ってもらう。くれぐれも自殺とかはやめてくれよ?」
「英雄だから、ですか?」
そうしたほうが、海軍としても都合がいいから。
「いや、大本営発表とか世間へのアピールは関係ない。私が君を推すのは、君はすでに失敗したからだ」
「……?」
「何度も繰り返すが、日本人は一回の失敗で駄目だと判断しがちだ。だが、一度失敗した人間は、それを繰り返すまいと前よりも賢くなるものだ」
永野の目の奥が光る。
「ここで、型嵌めで硬直した思考の者が司令長官になったら、また同じ間違いを犯して失敗する。その点、君は他の連中とは違う発想ができるだろう?」
だいたいハンモックナンバーで昇進の順番を決めるなぞ――永野は言いかけ、またも脱線しかけたことに気づいて、姿勢を正した。
「先の海戦では多くの海軍軍人が死んだ。これ以上、経験のある軍人を失ったり、遊ばせている余裕はないんだよ。理解はできるね?」
「……はい」
「うん、じゃあそういうことで頼むよ、山本君」
何か、質問はあるかね?――永野が問うと、山本は静かに切り出した。
「はい。これまでの話と変わって恐縮なのですが、魔技研について、総長……軍令部はどこまでご存じでしょうか?」
トラック沖海戦の後、撤退する連合艦隊は、軍令部から『第九艦隊が向かっている』とか電文が届いた。つまり、軍令部はあの謎の艦隊のことを、連合艦隊よりも知っている可能性がある。
「……ああ、魔技研ね」
永野は、そのことかと言わんばかりの顔になった。
「表向き記載はされていないんだがね。軍令部、第五部――それが魔技研だよ」
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