第7話、撤退戦 ――殿軍と残存攻撃隊


 連合艦隊旗艦『大和』の司令塔。宇垣から渡された電文を受け取り、山本は首を傾げた。


「宇垣君、記憶違いでなければ、日本海軍に第九艦隊など存在していないね?」

「はい」


 それは間違いない。昭和17年の段階で、その番号を割り振られた艦隊はないのだ。


「第九戦隊と間違えた、とかもないね……?」

「はい。九戦隊は、こちらにありますから」


 軽巡洋艦、もとい重雷装艦に改装された『北上』『大井』で編成されているのが、第九戦隊である。

 もっとも、先のトラック沖の海戦で、『大井』は沈められてしまったが。


「どういうことかな?」

「偽装かもしれません。これは平文でしたから、異世界帝国に傍受されることを前提にした囮かもしれません」


 つまり、ありもしない艦隊の存在を臭わせて、異世界帝国に追撃を考え直させるための。


「現状、敵はトラック諸島の制圧を優先したらしく、我々を追ってきていないようですが……」


 宇垣は、ピクリと片方の眉を動かした。


「仮に追撃部隊を送ってきた場合、低速のこちらを捕捉するのは時間の問題かと」


 現状、機関に異常があったり、損傷で速度が落ちている艦は、全速発揮できる艦にとっては足手まといである。


 敵が追撃してきたならば、健在艦を逃がすため、損傷艦を自沈処分するしかないと思っている。


「この第九艦隊が、臨時編成された艦隊という説はあるかね?」


 山本は言った。宇垣はわずかに顔をしかめる。


「私もそれを考えたのですが、外洋をまともに航行できて、敵の戦闘艦と戦える艦が、果たしてどれだけいるやら」


 第三艦隊の旗艦を務めている重巡洋艦『足柄』、軽巡『球磨』などの旧式艦。第四艦隊は、すでに壊滅して論外。第五水雷戦隊と、あとは潜水艦隊だが……。


 ――トラック周囲に展開した我が潜水艦艦隊は、すでに音信不通だ……。


 これも敵にやられてしまっただろう。


 巡洋艦数隻に旧式ながら一個水雷戦隊が、精々と言ったところか。敷設艦や海防艦、駆潜艇では、異世界帝国艦艇の相手にもなるまい。


「長官! 偵察機より緊急電を傍受しました!」


 通信士官が司令塔に飛び込んでくる。


「緊急電とは……読め」

「ハッ、千歳の水上偵察機から報告、我が艦隊後方四五〇海里に、敵艦隊見ゆ――」


 敵の追撃部隊! 司令塔に緊張が走った。敵は日本艦隊を見逃すつもりはないようだった。



  ・  ・  ・



 異世界帝国の追撃。それは退却する連合艦隊にとって、避けたいものだった。


 山本連合艦隊司令長官は、速度の出ない艦と出る艦で分けると、前者を殿軍に、後者の全力退避を命じた。


 つまり、速度が大幅に低下している旗艦『大和』を残し、残りの艦艇を速やかに、敵の追撃艦隊から逃がすのである。


 はじめは『大和』以外の逃げ切れない艦艇は、乗組員退艦の上、自沈させようとしたのだが、『山本長官が残られるなら、我々も!』と、殿軍に志願する艦が相次いだ。


 損傷軽微、もしくは無傷の駆逐艦まで残ろうとしたのは、さすがに山本長官は止め、祖国のため、今は傷ついた僚艦、同僚たちを守れと厳命した。


 このやりとりを目にした宇垣は、『長官は、責任をとって死ぬつもりだ』と察した。敗軍の将として、せめてまだ生きている部下を本土に帰すのを、自らの最後の使命と考えているのだと思った。


 訓練中の事故などで死亡した部下、将兵の名前をメモに残していた御仁だ。連合艦隊司令長官としてもちろん、人として責任を感じていたのだろう。


 それに付き合う者たちも大概ではあるが、追撃部隊の足止めをして、確実に無事な艦艇を本土へ撤退させる必要はある。生贄が必要なのだ。


 どうせ予備役になるくらいなら、最後は潔く、撤退する将兵の盾となって散ろう。宇垣参謀長も覚悟を決めた。


 かくて、『大和』ほか、重巡『摩耶』『妙高』『熊野』『青葉』、いずれも速度が出ない艦が殿軍として残り、残る艦艇は増速して、離脱にかかった。


 四つの水雷戦隊のうち、唯一残った四水戦の軽巡『那珂』とその駆逐隊が、最後まで名残惜しそうに、『大和』らの前にいたが、再度の山本からの退避指示を受けて、やがて離れていった。


 だがこの時、第一航空艦隊でひとつの動きがあった。



  ・  ・  ・



 第二航空戦隊所属、空母『蒼龍』戦闘機隊の須賀すが義二郎ぎじろう少尉は、零式艦上戦闘機のコクピットにいた。


 そして、今まさに第五航空戦隊所属の空母『瑞鶴』の飛行甲板を蹴って、発艦した。


 何故、『蒼龍』所属の須賀が、母艦の違う『瑞鶴』から発進したのか?


 理由は簡単だ。第一航空艦隊6隻の空母のうち、飛行甲板を使えるのが『瑞鶴』しか残っていなかったからだ。


 異世界帝国の航空部隊は、日本海軍空母の飛行甲板を叩くことを優先した。結果、『瑞鶴』を除く空母5隻は飛行甲板が叩かれ、発着艦不能に追いやられた。


 残存制空隊として、須賀は『瑞鶴』に着艦することになり、そして今、出撃とあって、飛び立ったのである。


 第一航空艦隊は北へと撤退中だ。第一、第二艦隊と比べると、損傷艦艇は多かったものの、大破、撃沈艦艇はほとんどでなかった。敵艦爆の爆弾の威力が低かったから――というか始めから飛行甲板を叩くことを重視していたためだろう。……中には魚雷を食らった『飛龍』や、轟沈した『漣』など運のない艦もあったが。


 それはさておき、一航艦の各空母寄せ集め戦闘機パイロットたちには、出撃命令が下った。


 任務は、敵追撃部隊への攻撃。山本長官の『大和』が殿軍として残ると聞いて、一航艦の司令部が、他隊まで巻き込んで、長官をお救いするのだ、と奮起したらしい。


 山本は海軍内では航空主兵主義者であり、多くの航空関係者から多大な尊敬と信望を集めている。そんな航空屋たちが、この状況を黙って見ているはずがなかったのである。


 発案は、一航艦の航空参謀の源田実中佐か、二航戦の山口多聞少将か。


 ともあれ、『瑞鶴』に残った戦闘機を護衛として、第一艦隊、第二艦隊の随伴空母『瑞鳳』『祥鳳』『龍驤』の九七式艦上攻撃機をかき集めて、攻撃隊を編成したのである。


 先の軽空母3隻と『鳳翔』は、『千歳』『千代田』ら水上機母艦と共に、艦隊戦では後方に下がっていたのだが、敵航空機群が一航艦に吸い寄せられたため、ほぼ無傷で残っていたのである。


『瑞鶴』から零戦13機、3隻の軽空母から九七艦攻21機が発艦。さすがに『鳳翔』の九六式艦上戦闘機や九六式艦上攻撃機は出撃が見送られた。


 後者は複葉機だし、前者にしても、敵艦隊に空母が確認されていないため、無理に旧式戦闘機を引っ張り出すことはないだろうという判断だ。


 じゃあ俺たちは何で零戦で出撃しているんだよ――と、須賀たち戦闘機隊だが、攻撃機が足りないから、零戦の20ミリで駆逐艦などに機銃掃射を加えて、少しでも敵追撃部隊に被害を与えようという魂胆である。


 それに万が一、敵戦闘機が現れても、直掩機がいれば、艦攻乗りたちも安心する。……何せ一航艦の精鋭に比べると、瑞鳳などの軽空母のパイロットは若干練度に劣ると見られていたので、その保険でもある。


「さて……やるぞ」


 いま迫る敵艦隊に反撃できるのは俺たちしかいない――須賀たち搭乗員は、すでに未帰還となった同僚の無念の思いと、復仇に燃え、操縦桿を握るのだった。

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