バラになりたい

たちばな

バラになりたい

 意図せず漏れた溜息に、傍らのその人が顔を上げた。

「元気出しなよ。初めての彼氏じゃないじゃん」

「……うるさい」

 私はそいつ――璃子りこの脇腹を突いてやろうとしたが、避けられた。

「ごめんね、こんなこと言って。でも、みなちゃんには早く切り替えてほしくて」

「分かってる……」

 私はまた鼻をすすった。スマホを取り出し、彼との写真を片っ端から消していく。璃子は黙って、私の手元を見ている。

 昨日、長い間付き合った彼氏にフラれた。他に好きな女がいる、実はもう付き合い始めてる、なんて最低な理由で。私はもうあいつの話を聞く気なんて全くなくなって、走って逃げてきてしまった。

 今は元彼に関係するものを全部捨ててるところ。こういう時、昔からの親友はやっぱり私を分かってくれる。言い合ってしまう時もあるけど、こうして私に励ましの声をかけてくれる璃子は良い親友だ。

「あれ、お花はどうしたの? 貰ったってウキウキして、珍しく花瓶に飾ってたよね?」

 私たちの目の前のテーブルには、空の花瓶。今まで私が彼に貰った花束を飾ってた場所だ。

「捨てた。もう見たくないし」

「ええー!!」

 璃子は残念そうに声を上げる。

「あたしが貰っておけば良かった……」

 本当にがっかりした顔をするので、私は呆れた。

「私の元彼の買った花を? 嫌だ、そんなの璃子にあげたくない」

「でも……もったいないし。まだ元気そうだったじゃん」

 そう言って、璃子は膝を抱えた。さらさらとした茶髪が揺れる。

「よし……これで、最後」

 最後の写真は付き合い始めた日に撮ったもの。幸せそうな私と元彼を見ていたら、悔しさで涙が出てきた。

「泣きなよ。我慢するのは良くないから」

「……っ、うん」

 ……私はこんなにも好きだったのに。裏切られた。許せない。酷い、あまりにも酷い。

 璃子が、私の背中に手を当ててくれる。

「璃子の手はあったかいね」

「うん」

 無理に笑って璃子を見たら、璃子は寂しそうな顔をしていた。そんな顔をされると、無理する気なんてなくなってくるので私は真顔に戻る。

「……写真、なくなったのに。あいつの存在、すごく残ってる。ムカつく」

「しょうがないよ。心の中の思い出は、データみたいに簡単に消えないもん」

「そうだよね。……分かってんだけどさ……」

 私は膝を抱え、膝の間に頭を埋めた。私の頭を撫でてくれる璃子。

「璃子……ありがと」

「……」

 今まで良く喋っていた璃子が、急に黙った。

「……ねぇみなちゃん?」

「ん?」

 突然、璃子の声が静かになる。ふわ、と何かが耳に触れた。璃子の髪だ。

「璃子?」


「……あたしが、みなちゃんの彼氏との思い出――上書きしちゃダメ?」


「え?」

 私は顔を上げた。璃子は目を細め、今にも泣きそうな顔をして俯いている。

「あたしはいなくならないよ。他に好きな人なんか作んないよ。あたしはみなちゃんとの思い出いっぱい作って、みなちゃんをずーっと好きでいるよ」

 大きな璃子の目から、ぼろぼろと涙が溢れ始めた。止まる気配がない。何で……璃子が、泣いてるの?

「ちょっと璃子……どういうこと?」

 私がそう聞くと、璃子はハッとして目を見開いた。慌てて涙を拭き、立ち上がる。

「ごめんあたし、帰る」

「璃子っ。ちょっと!?」

 璃子は本当に小走りで帰ってしまった。私が玄関に出た時には既に、璃子の姿はどこにもなかった。

「どうしたんだろ、璃子……」

 あの言葉も引っかかる。でも、今から追うのは無理そうだ。後で聞いてみよう。私は諦めて部屋に戻る。

「ん?」

 見慣れないものが、テーブルの上にあった。誰がやったのだろう。……さっきの言葉も考えると、やっぱり璃子だろうか。

 さっきまで空だったはずの花瓶にバラが一輪だけ差してあった。

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バラになりたい たちばな @tachibana-rituka

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