193.失墜する光


 底なし沼に足を取られる感覚の直後、浮遊感を味わった。

 足元に生じた虹色の渦を通り抜け、先ほどまでいた階段とは全く別の空間へとサクラは降り立つ。


「ここは……」 


 この場所へ降り立ったのは何度目だろうか。

 薄暗い洋館。漂う血霧。そこら中にへばりついた腐肉。

 錯羅回廊の第五層。その大部屋にサクラは立っていた。

 否応なく、アンノウンとの戦いが思い出された。


「……そうだ、先輩たちは?」

 

 きょろきょろとあたりを見回す。

 だが、ココたちの姿は見えない。

 おそらく先ほどの渦でバラバラになってしまったのだろう。ココたちもこの層にいるのか、それとも別の層に散らばってしまったのか。

 

 とにかく合流しなければ――と一歩踏み出した瞬間、妙な音がした。

 きいぃぃぃん、という耳鳴りを思わせる異音。しかしそれはサクラの脳裏に響くものではなく、上から聞こえた。

 見上げる先、洋館の天井の、そのまた向こう。

 その音は一気に規模を増したかと思うと、眩い光の柱が天井を貫いて現れた。


「うっ……ああああっ!?」

 

 轟音。

 爆風。

 巻き起こる衝撃波にサクラはまともに踏ん張ることもできず吹っ飛ばされる。

 床を転がり、何とか止まって、やっとのことで光の柱を見る。

 その中にはおぼろげに人影が確認できた。


「…………君か」


 静かな声だった。

 聞くだけで背筋を伸ばしたくなるような凛とした声色は、徐々に縮んでいく光の柱の中から聞こえた。

 サクラにとってあまりにも聞き覚えのある声だった。


「え…………」


 金色の髪。赤い瞳。

 神が手ずから作り上げたかのような完成された美貌。

 サクラと同じ制服に身を包んでいるはずなのに、全身が発するオーラは別世界の住人を思わせる。


「キリエ、さん?」


 最条キリエ。

 失踪した彼女がそこにいた。

 キリエは両手に光を灯し、サクラを睨み据える。

 それだけで足がすくむほどの迫力だった。

 

 キリエは連れ去られた。

 そうとばかり考えていた。

 だがこれは――違う。


 二つ下の後輩を。

 キリエに純粋な憧れを向ける少女に対し、キリエが向けてくるのは明らかな敵意。

 サクラはゆっくりと立ち上がる。

 乏しい戦闘経験で、それでも今から一秒でも気を抜けば死ぬと理解できた。


「誰が相手でも関係ない。私はここから一人として通す気はない」


 静かな宣言に息を吞んだ時、頭の中にノイズが走った。

 覚えのある感覚だ。これはココからの念話。


『――――やっと繋がった! サクラ、今どこ? 私たちは全身別々の階層に飛ばされたみたい』


「第五層です。今……」 


『今私の目の前には銀髪に赤い目の女の子が何人も立ちふさがってる。歳はあなたと同じくらい……それと……あなたの記憶で見た空木エリという子にそっくりよ。アリスやカナの方も同じ』


「…………っ」 


 銀髪に赤い目。

 それはアンノウンの語ったデザイナーズベビーの特徴と一致する。

 考えてみれば当たり前だ。エリはたったの二年余りで”完成”した。

 ならば彼女と同じ存在を大量生産することだって可能だろう。


 激しい怒りが胸の内から湧き上がるが――今はその時ではない。

 サクラは震える唇で告げる。


「あたしの方は……目の前にキリエさんがいます」


『そうなの? よかっ――――』


「でもキリエさんはあたしを通す気はないって……戦うつもりです」


 そこまで言って、ココから飛んでくるはずの疑問は聞こえなかった。

 正面に立つキリエの周囲に配置された膨大な数の光の矢に圧倒されてしまったからだ。

 ほどなくして、再びのノイズと共に念話が途切れる。向こうでも何かがあったのかもしれない。


「…………何があったんですか」


「…………」


 キリエは答えない。

 ただ、光の矢の切っ先はサクラへ向けられていて、今すぐにでも戦闘を開始する準備はある。

 その表情に、いつもの瑞々しい輝きは感じられなかった。

 少なくともサクラの憧れた彼女のそれではない。

 

「理事長が、何かを企んでるみたいなんです。あたしは錯羅回廊の最深部に行って止めなくちゃいけません。だから一緒に、」


 差し伸べた手を拒絶するかのように、キリエは首を横に振る。

 普段の毅然とした振る舞いはそこに無く、代わりに憔悴が彼女の心を満たしているのがわかった。


「私はおばあさまに着く。何人たりともここを通すわけにはいかない」


「どうして……!」


「私は」


 キリエの視線が落ちる。

 緩く開かれた自らの手を、彼女は忌々しいものを見る目で睨み付けているようだった。


「ずっと寂しかった。君には前にも話しただろう――私はずっと誰かと競い合いたかった。切磋琢磨というやつをしてみたかった。だけどそれは叶わなかった――何故なら、私と肩を並べられる者は誰一人として現れないからだ。砂漠を水も飲まずに行軍するような日々が私を蝕んで行った」


 それは確かに聞いた。

 だが、キリエとココのエキシビションマッチを経て、サクラたちは結論を見出したはずだった。

 

 ――――私も、一度だってあなたに勝つのを諦めたことは無いのよ。

 ――――だってあたしの気持ちは変わらないから! キリエさんに勝ちたいって、今も思ってるから!


 いつか絶対にキリエを倒すと。

 サクラとココはそう誓った。

 いつまでも一人にはさせないと、キリエに想いを伝えた。

 キリエ自身、二人の意志に心を氷解させられたはずだった。

 

「それは、あたしたちがいつかキリエさんに追いついて……追い越すって言ったじゃないですか!」


「…………いつかっていうのは、いつになるんだい?」


「え?」


 サクラはここで初めて気づいた。 

 こちらを見据えるキリエの瞳は、どろどろに濁っていた。

 未来に一切の希望を持てない――そんな絶望がありありと感じられた。


「いつ追いつくんだ。君たちが追いかけて来たって、私が立ち止まっているわけでもない。君たちが進む以上のスピードで私が進めば、永遠に追いつくことはない」


「それは……」


「私が卒業するまで半年も無い。時間には限りがあるということを、君だって理解していたんじゃないのか」


 キリエの声は乾ききっていた。

 彼女の唇が紡ぐ言葉は、何もかもを諦めてしまった人間のそれだった。


 サクラは気づけば唇を噛みしめていた。

 人間だれしもネガティブな感情に支配されることはある。

 全てを諦めてしまうことだってある。

 おそらくキリエは本音を吐き出しているのだろう。


 だとしても、その変化はあまりに急だ。

 最後に通話で言葉を交わした時、キリエは正常だったはず。

 そこからたった数日でここまで堕ちきってしまうとは考えにくい。

 

(もしかして……理事長が何かした?)


 思い出されるのはLIBERTYが使っていた覚醒器。

 赤夜ネムを暴走させた道具は、元をたどればアンノウンを使役していた最条アラヤに由来するものだ。

 ならば彼女自身、覚醒器を持っていたとしても不思議ではない。


「……なんのつもりだ」


 キリエは不審そうに眉を顰める。

 その瞳には戦闘態勢に入ったサクラの姿が映っている。


「どいてください」


「聞くと思うか? 私はおばあさまの目的に賛同している。……これ以上ひとりきりになるのは嫌なんだ」


「…………だったら、ここであなたを倒します!」 


「そうか。なら……ここで消えてくれ」 


 キリエがゆっくりと右手を挙げる。

 それだけで無限にも思える光の矢が発射され――――サクラの視界を埋め尽くした。

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