190.命の続き


 目が覚めると見慣れた白い天井が見えた。

 ベッドに横たわっていると気づいたのは数秒後。

 

「ここは……」 


「サクラ」


 涼やかな声の方へ目を向けると、生徒会副会長の黄泉川ココがベッド脇のパイプ椅子に座ってこちらを見つめている。

 心の底から安堵したような表情だ。

 

「目が覚めたのね、良かった」


「えっと……」


 自分がここに至るまでの経緯が判然としない。

 今日は確か昇格試験で、電車に乗って…………


「…………そうだ、ハルちゃん、が…………」


 その言葉は途切れてしまう。

 柚見坂ハルの真実について思い出してしまったからだ。

 彼女は『柚見坂ハル』という役を演じていた、本名もわからない誰かだった。

 サクラを錯羅回廊へ閉じこめようとして、最後には命を奪おうとまでしてきた相手。

 

 そしてサクラは彼女に負けた。

 負けたはずだ。


 そうだ。

 サクラは覚えている。


 彼女の語った真実も。

 彼女の放った悪意も。


 そしてその奥に垣間見えた彼女の本質も、全て。


「先輩、あたしはどうしてこんなところに? ハルちゃんは……あの子はどうなったんですか!?」


「落ち着いて。……落ち着いて、聞いてくれるかしら」


「……はい」


 ココは何度か逡巡を重ねた。

 それはまるでどう伝えたものか迷っているかのような仕草だった。

 ややあって、ココは傍らに置いていた紙袋からひとつの器具を取り出した。

 

「リミッター?」


 腕時計を一回り大きくしたようなデバイス。

 それは学園都市の選手キューズがもれなく手首に着用しているものであり、そして自分の意志では外すことのできないものだ。

 

 ココの差し出したそのリミッターには黒ずんだ血がべっとりとこびりついていて、不穏な雰囲気を醸していた。


「これは第五層であなたが倒れていた部屋の隅に、誰かが脱ぎ捨てたような衣服と一緒に落ちていたものよ。解析の結果、このリミッターの所持者は柚見坂ハルだということが判明しているわ」


「…………っ」


 嫌な鼓動が始まる。

 これから先を聞きたくないと心が叫ぶ。

 

「このリミッター。破壊されたわけでもなく、さりとて何らかの手法で解除されたわけでもない。ベルト部分が閉じたままになってる……」


 それはまるで装着者が消えてしまったようだった。

 跡形も無く、霧のように。


 不可思議なことは他にもあった。

 あれほどの激戦を経たというのに、サクラは全くの無傷なのだ。

 それこそハルの『治癒』を施されたのと同じ状態だった。


「とにかく不明な点が多い。良かったら……サクラ。何があったのか聞かせてほしい」


 思い出したくないというのが正直なところだった。

 しかしサクラは一部始終を洗いざらい話すことにした。

 そうでなければ、誰かに吐き出さなければ――頭がどうにかなってしまいそうだったからだ。


 朝に乗った電車の中でキリエからの通話を受けたこと。

 柚見坂ハルがアンノウンではないかという疑惑を伝えられたこと。

 その話の途中でハルがやってきたこと。

 ハルに――アンノウンに錯羅回廊へと引きずり込まれたこと。

 

 そして、その先で。

 彼女の真実を知り、そして命をかけた戦いを繰り広げたこと。

 戦いの末、サクラは倒れ、そして……。


「気がついたら、ここに」 

 

「…………聞いたことがあるわ。命のクオリア……極めて希少で強力なクオリアだと言われている……」


「ご存じなんですか」


 ええ、とココは頷く。

 だがその表情はあまりにも沈痛で、どこか迷いが垣間見えるものだった。

 

「命のクオリアには、とある能力があると言われているわ」


「とある能力……」


「それは――――命の譲渡」


 心臓が強く脈打った。

 嫌な汗が噴き出す。

 消えたアンノウン。何故か生き永らえている――いいや、それどころか戦闘で負った負傷が完治しているサクラ。

 頭が目の前の状況から真実を導き出そうとしている。

 震える手が無意識に自らの胸に触れた。


「もし、かして……」


「ええ。どういう経緯かはわからない……だけど柚見坂ハル、いいえアンノウンはあなたに対して『命の譲渡』を行った可能性があるわ」



 * * *



 どうして。

 心の海の表層に浮かんだ気持ちは、ただただ疑問だった。


「……………………」


 保健室ので目覚めたその後、自宅に帰ったサクラはベッドに横たわってひたすら考えを巡らせていた。


 アンノウンは自分を殺そうとしていたはず。

 それは間違いない。彼女が嘘ばかりついていたとしても、発していた感情を見誤るほど愚かではない。

 不愉快だと、憎いとさえ思っていたはずだ。


 それがどうして彼女から命を譲り渡されるなどという結末になる?

 わからない――というより納得がいかない。

 サクラはスマホを取り出してトークアプリ……SIGNを開く。

 何度かタップを繰り返して、開いたのはハルとのトークルームだ。


《どうして?》


 送ってじっと画面を見つめても既読はつかない。

 喪失という名の現実に感情が追い付いていく。

 もうハルは……あのアンノウン名も無き少女はいないのだ。


 サクラにとってのアンノウンは憎い相手だ。

 エリの尊厳を奪い、殺し、そして誰の記憶からも消してしまった。

 どうしたって許せるわけはない。

 

 しかし彼女が柚見坂ハルであったこともまた事実。

 そして彼女の命でサクラが今生きのびていることも同様に。


 疑問と混乱、そして悲嘆が渦巻き、叫び出しそうになったところで――インターホンが鳴った。

 以前にもこんなことがあった。

 エリを失った時だ。

 

 全てに打ちひしがれて、玄関まで向かう気力も無くて……ああ、そうだ。

 あの時来てくれたのは確かハルだった。

 

「……………………」


 気づけば立ち上がっていた。

 前より強くなったのか、それとも誰かを失うことに慣れてしまっただけか。

 後者なら悲しいな、なんて思いながら廊下を歩き、玄関の扉を開く。

 すると。


「ココ先輩……」


「とりあえず、顔を見せてくれてよかったわ」


 黄泉川ココがうっすらと笑みを浮かべて立っていた。

 

 そう言えば。

 あの時ハルを部屋から追い出した後に来てくれたのも、ココだった。

 ぐちゃぐちゃの心を抱えたまま、サクラは彼女を迎え入れるのだった。

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