189.いのち


 静寂が満ちる大部屋に焦げ臭いにおいと白煙が漂う。

 電熱と突進の衝撃によって床が真っ黒にえぐり取られていた。


 サクラの最後の一撃を真正面から受けたアンノウンはその場に立ち尽くしていた。

 だが――残っているのは腰から下だけ。

 上半身が丸ごと消し飛んでいる。

 間違いなく生きてはいない。

 本来ならば、だが。


「……………………」


 奇跡的なバランスで直立しているアンノウンの残骸がぴくりと動く。

 直後、ぐじゅりと粘質な音がして――瞬く間に下半身の断面からピンク色の肉が盛り上がっていく。

 腰。胸。腕。そして頭の輪郭を形成し、およそ十数秒ほどでアンノウンは完全に姿を取り戻した。

 

「げほっ……ぺっ」


 アンノウンは軽く咳き込んだかと思うと口の中に溜まった固まりかけの血を吐き捨てる。

 攻撃を受ける前より肌艶は増しているものの、表情には疲れが見て取れた。


「……しんど」


 ほとんど無尽蔵に生命力が湧いてくる命のクオリアと言えど、無くなった半身を完全再生させるのにはそれなりのエネルギーを必要とする。

 痛みは感じなくとも疲れはするのだ。


 アンノウンはこれまで見せなかった沈痛な面持ちで振り返り、”それ”を見る。

 全身ズタボロで血だまりに沈む天澄サクラを。


「やっぱりサクラちゃんはバカだね。あんな攻撃じゃわたしは倒せないってわかってたくせに……。ううん、だからこそあれだけの威力を出せたのかな」


 どちらにしろ救えないね。

 ぽつりとつぶやいたアンノウンは倒れたサクラに歩み寄る。

 全身の肌がひどく裂け、大量の血を流している。

 それでもクオリア使いの耐久力は侮れないようで、普通ならショック死を免れない状況でも息があった。


「……でも、どうせすぐに死ぬ。どうするの? 今度は治してあげないけど」


「……………………ぁ」


 かすかな掠れ声が血の水面をわずかに揺らす。

 真っ赤に染まったサクラの指先が動いたが、それ以上のアクションは起きない。

 限界を超えた一撃は本人の肉体を破壊してしまった。

 助かる見込みは無い。サクラは負けたのだ。


「全身へ流した雷と、高速移動によるソニックブームでボロボロって感じかな……アーマーが無い状態でそんなことしたらそりゃそうなるよ」


 最もアーマーがあったところで初動の段階で砕けていただろうが。

 自分の身を顧みない力を使って倒れた少女を、アンノウンは底冷えするようなまなざしで見下ろした。


「サクラちゃんのそういうところが、わたしは大嫌いだった」


 ――――サクラちゃんが酷い怪我をして倒れるたびに胸が張り裂けそうになるんだよ。それなのに心配もさせてくれないんだね。


「人のためとか言いながら周りの人の気持ちがわからない」


 ――――サクラちゃんは自分が戦えるなら率先して戦うじゃない。誰かを助けるためなら自分の身を顧みずに行っちゃうじゃない。


「助けられればそれでいいって思ってる」


 ――――わたしが治すからサクラちゃんは無茶するの? どれだけ怪我しても、どうせ治るから……って?


「偽善なんだよ。サクラちゃんが後生大事に抱えてる正義は、全部」


 ――――だったら……私はサクラちゃんを、もう治さない。


「あなたが怪我をしたら心を痛める人が居るって……なんでわからなかったの」


 ――――……じゃあ見てるよ。ちゃんと見てるから……心配させないでね。


「嫌い。ほんとに嫌いだよ、サクラちゃんなんか」


「かはっ…………」


 わずかに息を吹き返す。

 だが、サクラの命はもう持たない。

 消えかけの灯火が最後の輝きを放っているのだ。


 混濁する意識の中、サクラはひび割れた唇を開く。

 胸に渦巻く気持ちを言葉に乗せる。


「……ずっと謝りたかったんです。いっぱい心配かけてごめんなさい……」


「…………だからそれはハルだって」


 その否定に、サクラは力なく笑う。

 本当にアンノウンとハルは切り離されていたのか。

 それともその二人の境界がグラデーションしていたのか――もしくはどちらも本物だったのか。

 おそらく何が本当なのかを知る術は無いのだろう。


 アンノウンが否定している以上――そして彼女自身にも把握できない領域が彼女の心にはある。

 だからサクラは、ハルとアンノウンの両方に語り掛ける。


「あなたのことを、いつか……教えてください」


「しつこいね、サクラちゃんも。教えることなんて――――――――」


「ううん、きっとあるはず。好きな食べ物とか、景色とか、将来の夢とか……夢じゃなくてもいいんです。明日の予定なんかでもいいから……」


「わたしに自己わたしなんてものは無いよ……」


 アンノウンはそう零して眉を伏せる。

 どこか寂しそうなその様子に、サクラは力の入らない手をゆっくりと伸ばす。

 

「だったら……あたしと見つけましょう。あなたの好きなもの。見たいもの。したいこと……全部、あたしと……一緒に…………」


 だんだんと焦点が合わなくなっていく。アンノウンの顔がよく見えない。

 色々と考えなければならないことがたくさんあるはずなのに、サクラの頭にはアンノウンのことしかなかった。


 たくさん傷つけられた。

 理不尽な想いもした。

 裏切られた。


 だけど、それでも。


 サクラは知りたかった。

 知りたいと思ったのだ。

 一度は本気で愛した少女のことを。


「……………………」 


 ぱたり、と伸ばした手が血だまりに沈む。

 サクラはもう何も言わない。

 物言わぬ肉塊へと成り下がってしまった。

 

 その口元にかすかに浮かぶ笑みを見つけて、アンノウンは唇を噛みしめた。

 ぶちりと嫌な音が聞こえた。切れた口から一滴の血が流れる。

 それでも痛くはない。痛くないはずなのに、アンノウンは苦しげに眉を寄せていた。


「バカみたい。結局死んじゃってさ……夢とか目標とか全部捨てて、君はこんなところで終わるんだ」


 そういうところが、やっぱり嫌い。

 アンノウンはそう呟いて、サクラだったものの傍らに座り込んだ。

 ”それ”はもう動かない。間違いなく生命活動を停止している。


 天澄サクラは二度と動くことはない。


「…………わたしの生まれた意味って何なんだろうって、小さい頃はよく考えてたよ。でもわからなかった。目的のために消費される道具以上の存在意義を見出せなかったから、いつの間にか考えるのをやめた」


 そのころからだろうか。

 命のクオリアを持つアンノウンは、老いることが無くなった。

 半永久的に湧いてくる生命力は彼女に死を選ぶことを許さなかった。


 道具として暗躍し始めてからおよそ数十年。

 自分を殺し、”役”を被って生きてきた。

 自己というものがすり減って、どこかへと消えてしまうには充分すぎる時間だった。


「なのにサクラちゃんは、そんなわたしのことを知りたいなんて言うんだ」


 どこからかスマホを取り出したアンノウンは何かを入力した後、淡く発光する手を伸ばす。

 その指先が、徐々に黒ずみつつある血に染まった胸元に触れる。

 サクラの心臓は鼓動をやめている。

 アンノウンは自分の手が震えていることに気づいた。


 わたしはなにをするつもりなんだろう。

 自分でもわからなかった。

 それはある種当然かもしれない、なにせアンノウンは『自分』を見失ってしまっている。

 しかし何故か止まる気は起きなかった。

 これまで為して来たことが全て無に帰すとしても。


「サクラちゃんは本当にバカだね。でも……わたしもたぶん、おんなじくらいバカだよ」


 サクラの胸元に当てた手が眩い光を放つ。

 力の余波で空気が巻きあがり、あたりに漂う毒々しい赤霧を吹き散らした。

 

(わたしの人生に意味はあったのかな)


 ただ与えられる目的のために費やす命。

 心を殺し、自己を殺し、日々をただ過ごしていた。

 それでもサクラと過ごす日常には、これまでとは違う何かを感じていた。


「わたしの命に意味は無いけど……君という命がこれから歩む未来にはきっと価値がある」


 そう思う。

 そう思いたい。

 ごめんねと、かすれた声が喉から漏れた。


「『柚見坂ハル』を好きになってくれてありがとう」


 そう呟いて血に濡れたサクラの唇にくちづけを落とし――――命のクオリアの極致とも呼べる技を発動する。

 これまで一度も使ったことはない。

 使えば絶命を免れないからだ。


 無尽の命を吐き出した少女の身体が朽ちていく。

 指の端から少しずつ、黒ずんだ灰のようにはらはらとほどけて――そして。

 口元に笑みを浮かべたまま、消えた。


 静寂の満ちる部屋の中。

 ひとつの鼓動が失われ、そして。

 もうひとつの鼓動が始まった。

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