188.一矢報いて


 相手の能力は命のクオリア。

 ほぼ無尽蔵に湧いてくる生命力から成る再生力と、生命力を身体能力に転化する力。

 その他にも生命力を操作することによる肉体改造や、持ち込んだ植物の種子を異常生長させることによる攻撃。


 全ての攻撃が苛烈。

 アーマーの無い今のサクラにとってほとんどの攻撃が即死に繋がりかねない。

 だから。


「全力で行きます!」


 全身から雷を迸らせ、サクラが駆ける。

 例え彼女が『柚見坂ハル』だったとしても、もはやお互いの身を気にしてはいられない。

 手加減などしていてはあっという間に仕留められる。


「あははっ、さっきまでは手加減してくれてたってこと? 優しいねぇサクラちゃんは!」


 アンノウンは深緑の光を帯びた拳を振るう。

 その懐へと接近したサクラは真正面から雷拳で迎え撃った。


 轟音が響く。同時にサクラの右手に激痛が走る。

 しかし苦悶の表情を浮かべながらも拳に装填した雷を連射する。

 凄まじい威力の雷の矢がアンノウンの拳へと叩き込まれ、アーマーがブレイクされる破砕音の後、激しく血肉が飛び散った。


「くっ……」


 衝撃で弾かれたように飛び退るサクラ。

 その右手のあちこちが裂け、血が流れていた。

 だが相対するアンノウンもまた無事ではない。

 ゼロ距離から受けた雷の矢によって、その右拳は目も当てられないほどに抉れて原形を崩していた。


「うーん。やっぱり火力面だけなら大したものだね。だけど」


 アンノウンの右手の内から光の粒が浮かび上がる。

 大ダメージを負ったはずの右手がみるみる再生していき――わずか数秒で元通りに治癒された。


「この程度のダメージじゃすぐに元通りになっちゃうよ。頑張ったって意味ない意味ない」


 ――――サクラちゃんも自分の決めた道を進もう。

 ――――今日はめいっぱい落ち込んで、明日から一緒に頑張ろうよ。


 脳裏に響くその言葉を、サクラは振り払って床を蹴る。


「…………諦めません!」 


「鬱陶しいなぁもう……!」


 走りながら放たれる無数の雷の矢を、アンノウンは避けずに受ける。

 身体のあちこちが抉れて鮮血が舞うも、すぐさまその傷は治癒される。

 そのまま苛立ったように跳んだアンノウンの膝がサクラの顔面にクリーンヒットした。


「がっ……」


 吹っ飛んだサクラは空中で体勢を立て直して着地するとなおも突進を敢行する。

 向こう見ずなその戦法に、アンノウンは不快そうに眉をひそめた。


「どういうつもり? 無駄だって言ったはずだけど」


「例え再生するとしても、そのクオリアは無限に使えないはずです! 体力や精神力だって有限なはず……!」


 ハルは以前サクラを治癒した際、力尽きて倒れたことがある。

 ならばひたすら攻撃することで能力が使えなくなるまで追い込むこともできるはずだ。

 だがハルはそんな目論見を鼻で笑う。


「バカだなぁサクラちゃんは。わたしの命は体内で循環するから能力を使うための体力はいくらでも湧いてくるし、精神力だってほとんど消費しない。消耗が激しいのは自分の命を他人に分け与えるときだけ――そうでなければノーガードで攻撃を食らったりしない!」


 アンノウンの右腕が螺旋を描く。

 肉体操作によってドリルと化した腕が、耳障りな異音を奏でながらサクラを迎え撃つ。

 

「くっ…………!?」


 駆ける勢いは止まらない。

 正面から向かってくる螺旋に、サクラは寸前で磁力を使って自身の突進軌道を無理やり曲げる。

 直後、鮮血が飛び散った。


「あははっ、よくずらしたねぇ。だけど結構痛かったんじゃない?」


 右腕のドリルはサクラの脇腹を抉っていた。

 ぼたぼたと滴る血が腐ったカーペットを濡らす。

 喉の違和感に思わず咳き込むと、粘ついた血液が口の端から垂れ落ちた。


「今度は治癒してあげないよ。サクラちゃんももう終わりだね」


「かはっ……はぁ、はぁ……」


 間近でにやにやと嘲笑を向けてくるアンノウンに、サクラは血走った瞳を返す。

 脇腹のドリルを掴む。

 血色も良く、体温もある。

 命のクオリアで変形させられただけで、これは腕。血の通った人の身体。

 彼女は、人間だ。


「もし、あたしが勝ったら……あなたのことを教えてください」


「はぁ?」


 怪訝な表情。

 それはそうだろう、戦っている最中にそんなことを言われては。

 

「好きな食べ物とか、休日は何をして過ごしてるとか、これまでのこととか……なんでも。あなたのことを知りたいんです」


「…………言葉で懐柔しようとしたって無駄だよ。それに、そんなこと知ったって何になるって言うの」


 もっともな疑問だとサクラ自身思う。

 どうしてこんなことを言い出したのか自分でもわからない。

 ハルへの未練か。アンジュに感化されたからか。それとも―――本当に、純粋にアンノウンのことを知りたいからか。


「わたしには何にもないよ。もし願望があるとすれば『楽に死にたい』ってくらいだけど……サクラちゃんはわたしを殺せないでしょ!」


 ドリルから元の形に戻った腕が振るわれ、サクラの鳩尾を渾身の力で殴打する。

 呼吸が止まる感覚を味わいながら、吹き飛ばされるサクラは考えていた。


 例え憎むべき相手だったとしても。

 その瞳の奥には諦観と絶望があった。

 

 これまでの悪逆を許せるかどうかはわからない。

 だからこそ知りたい。

 隠された事情があったのだと思いたいだけかもしれない。

 それでも、何も知らずに終わるのはどうしても嫌だった。

 エリを失ったあの時のように。


「…………そう、ですね。あたしにはあなたを殺せない」


 例えただの”役”に過ぎなかったとしても。

 彼女は『柚見坂ハル』だった。

 サクラの中ではそれが変わらない事実。


「あたしは、ハルちゃんが好きでしたから――――そんなことはできないんです」


「知ってたよ。ハルも、もしかしたらサクラちゃんのことが好きだったかもね」


 もう二度とあの子ハルには戻らないけど。

 空っぽの声色で、アンノウンは言う。

 一切感情がこもっていない。しかしそこにこそ、アンノウン自身の想いが混ざっているような気がした。


「……例えフラれても! それで気持ちが無くなったりはしません! だから……あたしは未練がましくあなたのことを諦められないんです」


 サクラに想いが届かなかったアンジュも同じ気持ちだった。

 恋に敗れても、魂を焼く炎は消えない。 


 脇腹の痛みがだんだんと遠のいていく。

 眠気が酷い。気を抜けば、そのまま目覚めなくなってしまいそうだ。


「だったらどうするの?」


「次で決めます。受け止めてください」


 倒しきれたらサクラの勝ち。

 耐えきられたらアンノウンの勝ち。

 シンプルなルール。


「いいよ。来れば?」


「はい!」


 力と心を振り絞る。

 心臓から数多の雷が全身へ張り巡らされていく。

 身体のことは考えない。ただ出力だけを求める――身体中を駆け巡る痛みは気合で無視。

 さらに数十の雷の矢を展開。周囲に待機させる。


 そして、最後。

 背後の壁と自身の背中に反発する磁力を展開する。

 ぐんと背中を押される感覚に従い、全霊の力で床を蹴る。


 遠のく意識の中、これまでの記憶が脳裏を駆け巡った。 

 これが走馬灯か、なんてのんきに思った。


 入学式の日。

 錯羅回廊に迷い込んでハルを助けようとした夜。

 アンジュに勝ち、喜びを分かち合った朝。

 デートと称してトレーニングセンターに連れていかれた日。

 本当のデートで行った水族館。

 様々な戦いで負った傷を癒してくれた時。

 熱を出してお見舞いに来てくれたあの日。

 ベッドを共にした夜。


 そして……吐き捨てたくなるような過去を静かに聞いてくれた時。


 ――――……わたしのクオリアで心の傷も癒せたら良かったのにね。


 ――――サクラちゃんはさ、やりたいことってないの?

 

 ――――手が届くなら、諦めちゃダメだよ……。

 

 ――――じゃあわたしが付き合うよ。サクラちゃんがサクラちゃんのことを許せるまで、一緒に少しずつ変わっていこう。


――――サクラちゃんに助けられた人、いっぱいいるはずだよ。サクラちゃんが義務感とか罪滅ぼしのためにやってたとしても、その事実だけは変わらない。それだけは覚えておいてね。


(ああ…………本当に)


 思い出すだけで泣きそうになる。

 目も眩むような光の中を、目の端からこぼれた雫が流れていく。

 雷撃そのものとなって駆けるサクラは全てをこの一瞬に込めていた。


「あははっ――――」


 対するアンノウンは嘲笑を漏らす。

 こんな一撃をわざわざ食らってやる必要はない。

 まっすぐ向かってくるなら、追尾してくることも考慮して引きつけて回避すれば良い――そのはずだった。


「なっ……身体が引き寄せられっ……!?」


 回避に備えようとした足が引きずられ、そのままふわりと浮かび上がる。

 まるで後ろから殴られたかのように推進力を得て――いや、これは磁力だ。

 向かってくるサクラに、磁力で引き寄せられている。

 空中では動けない。残った種子に生命力を注ぎ込んで渦巻きを描くように生長させ盾を作る。

 だが、こんなものでは防げない。


「くそ……!」


「はあああああっ!」


 全ての雷の矢が脚に集まる。

 圧倒的な雷の全てを集約させたサクラは、一条の矢そのものと化した。

 

「――――ありがとうございます、ハルちゃん」


 激突の瞬間、ぽつりとつぶやき。

 渾身の力で愛した少女を蹴り抜いた。

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