187.白い希望


 サクラちゃんの目はとても真っすぐだ。その瞳がわたしはどうしても嫌いで――見るたびに、心の奥に黒いものが渦巻く。

 どうしてもあの子の顔を思い出してしまうから。


 わたしが暮らしていた施設は身寄りのない子供を集めて戦闘訓練を受けさせたり人体実験を施したりする場所だった。

 それがわたしの育った”家”だ。

 のちに知ったが、偉い人の――最条アラヤという人物の目的を叶えるためのエージェントを育成する施設だったらしい。

 

「ねえねえ33番ちゃん!」


「ん。なに、5番」 


 5番。 

 それが33番わたしと同室の子の名前だった。

 わたしたちに名前は与えられず、番号で管理されていた。

 当時はそれが普通なんだと何も疑わずに信じていたっけ。


「あたしね、今日訓練けっこう上手く行ったんですよ! 教官にもあんまり殴られなかったし!」


「…………そっか。それは良かった」


 投げやりに褒めてやると、彼女は屈託のない笑みを浮かべた。

 ぼさぼさの茶髪に、夕焼けみたいな瞳が印象的な子だった。

 普通に生まれ育てば周りに愛される可愛らしい子だったのだと思う。

 それにしては身体中の青あざが痛々しすぎたが。


「でも33番ちゃんはすごいですね。教官からも一番評価されてますし、難なく訓練をこなしちゃうじゃないですか」


 そこで行われているのは学園都市の表で行われているような試合のための訓練ではなく、人を効率よく害するため、殺すための技術を学ぶものだ。

 当時必要性がわからなかったが、集団に潜り込むための演技指導なんかもさせられたっけ。


 とにかくわたしたちは必死に取り組んでいた。

 成績次第で環境が変わる。食べられるご飯の量や質、シャワーが浴びられるか否か、そして教官から受ける暴力の多寡――等々。


 クソッタレな環境だけど、わたしたちにはそこしかなかった。

 だって、他にどこへ行けと言うの?

 わたしたちの世界はこの真っ白な檻しかないのに。


「ううん。そんなことないよ。それに5番だって頑張ってるじゃない」


 二段ベッドの下の方に座る彼女の頭を正面からわしゃわしゃ撫でてやると、「きゃー」なんて犬みたいに喜ぶ。

 彼女のことは憎からず思っていた。

 要領が悪いしどんくさいけど、直向きで、いつも明るかった。

 この掃きだめみたいな環境でわたしにとっての陽だまりだった。


「えへへ。33番ちゃんはいつも優しいですね。大好きです」


「……もう。照れるってば」


「ねえ、33番ちゃん。この施設の外には広い世界があるんですよね」


 5番は部屋の天井を見つめる。

 窓の無いこの部屋の壁を通して、空に浮かんでいるはずの月を見透かすように。


「うん。そうらしいね」


「じゃあじゃあ、いつかわたしたちが施設の外に出られたら……一緒に暮らしましょう!」


「えー。無理でしょ」


「できますっ!」


 きらきらと目を輝かせる彼女。

 希望が詰まったその眼差しがわたしを射抜いてきて、ちょっとだけくすぐったかった。

 荒唐無稽だけど、信じてみたくなる。


「あたしたち二人でどこかお部屋を借りて、一生懸命働いてお金を稼いで、そうやって生きていくんです! きっと楽しいですよ!」


「……うん。そうだね。楽しそう」


「じゃあ約束ですっ」


 5番が差し出した小指に自分のそれを絡める。

 ゆびきりげんまん。

 希望なんて何もない。けれどこの約束さえ胸に抱いていれば、前を向いて生きていける気がした。




 5番が受けさせられた人体実験の後に処分されたと報告を受けたのは、次の日の夕方だった。





 * * *



 心を殺すことばかりが上手くなった。

 自分を殺して、他の誰かをかぶる。

 そんなことばかりを繰り返していたら、わたしはわたしがわからなくなった。


「”彼女”の入学が決まった」


 錯羅回廊の狭間の層。

 空中に浮かぶ線路と駅で、最条アラヤの……理事長の説明を受ける。

 

「その子に近づけということですね」


「ああ。そばに寄り添って、労わって、死なないように守りつつ導いて――最後に手ひどく裏切ってくれればそれでいい。君には簡単だろう?」


「ええ」


 これまで何十、何百と繰り返して来たミッションだ。

 傷ついた少女に取り入ることなんて欠伸が出るほど容易い。

 その想定は間違っていなかった。


 入学式の日。

 適当に見繕った他校の生徒に別口から依頼をし、わたしの持つアタッシュケースを狙わせる。

 もちろんこれが狂言だということをその生徒は知らない。

 目論見通り、天澄サクラはわたしを助けようとした。これで接点が生まれた。


 それにしても――なんと哀れな少女だろう。

 誰かを助けることでしか自分の存在を許容できないのだ。

 輝くような彼女の瞳はその実メッキで、奥底には深い絶望が蠢いていた。


「あたしに任せてください!」


 ……だなんて。

 笑ってしまう。お前こそ誰かに助けてほしいくせに。


 それから、天澄サクラと柚見坂ハルは”友達”になった。

 わたしの目から見るサクラちゃんは直向きで懸命だった。

 無理して明るく振る舞い、誰かのために奔走する。自分の身を削ってでも歩みを止めない。


 そんな彼女を見ていると心の底からイライラした。

 死んだ5番が何度も脳裏をよぎった。

 

 未来に希望なんてないんだよ。

 命を粗末にするな。

 傷つきながら前に進んだってなんの意味も無い。

 どれだけ頑張ったって、ある日突然巨大な力で潰されるだけだ。


 だからわたしは何も期待せず、命令を果たしてその日を繋いでいくだけだ。

 どうせこの命のクオリアのせいで死ぬことなんてできないんだから。

 だったら最条アラヤの計画を手助けすることで■■すればいい。

 それがきっと正しいんだ。



 * * *



 アンノウンの手元から伸びる樹木の触手があちこちに伸び、その切っ先をサクラへと伸ばす。

 サクラは纏雷により強化された速度によって合間をくぐり抜けて回避していく。

 ドン、ドン、と床に突き立っていく樹木から響く轟音に肝が冷える。

 アーマーの無い今の状態で直撃すれば間違いなく串刺しだ。

 だが、付け入る隙はある。


「雷の矢!」


 手元から触手を伸ばしているということは、その根元にアンノウンはいる。

 サクラはそこに狙いをつけ、大量の樹木に隠れて見えない彼女を狙い撃つ。

 だが、


「どこ狙ってんの?」

 

 その声は真横、すぐ近くから聞こえた。

 体勢を低くし、樹木に紛れて接近していたのだ。


「命の操作は一度発動すれば事前に設定したプログラム通りに生長させ動かすこともできる。別に触れて無くたって自在っぽく操作できるんだよ!」


 深緑の光を纏った拳が下から上にすくいあげ、サクラの顎を的確に撃ち抜いた。

 今やアーマーの加護がないサクラの身体には深刻なダメージだ。

 おそらくクオリアの肉体強化に上乗せして生命力を操作することで腕力をも増幅しているのだろう。

 先ほど見せた腕を伸ばしたり肥大化させたりした技もそういったロジックだ。


(やば、いしき、が――――)


 人体の急所はどうにもならない。

 顎が揺れれば脳も揺れる。

 白飛びする視界の中、サクラは――無くなりかけた意識でクオリアを全開にした。

 途端、バチバチバチ! と稲妻が全身を駆け巡る。

 周囲に駆け巡る雷に、アンノウンは一気に飛び退った。


「…………まだです! まだあたしは倒れてません! ”あなた”を知るまで負けるわけにはいかないんです!」


 アンノウンの白い眉間にわずかな皺が寄る。

 サクラの全身から細い煙が上がっている。

 全身に雷を流すことで無理やり意識を覚醒させたのだ。

 だが、


「あのさあ。柚見坂ハルと約束しなかった? 自分を犠牲にするような戦い方はやめるって……だから失恋しちゃうんだよ」


「それで誰かを助けられるなら、懸けるべき命があるんです」


「……そういうところが、嫌いなんだよ」


 ようやく思い知った。

 このバカは死ななきゃ治らない。

 もう指令は関係ない。この女は、今ここで殺す。


 名も無き少女はその全身に殺意をみなぎらせた。


「……もう種も切れかけだ。お前はこの手で始末する」


 命を操作し、身体能力を底上げする。

 命のクオリアの仕組みは水道の蛇口に似ている。

 緩めれば命が湧き出して、エネルギーへと変えられる。

 身体に負担がかかろうとすぐさま治療できる。外傷も例外なく。

 そしてそのエネルギーの水源は、無限に近い。


 例えるなら凄まじい速度で自己回復し続けるHPを無制限に各種ステータスへと変換できる能力。

 よってサクラに勝ち目はない。

 死ぬことの無い相手を倒す方法は、無い。


 ――――普通ならば。

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