186.No33


 どうしてこんなことになってしまったんだろう――サクラは雷の矢を連射しながら後悔に身を浸していた。


「あははっ、強くなったねぇサクラちゃん!」


 笑うハルが目の前の床に投げつけた数個の種子が輝く。瞬く間に生長した種子は樹木なってせり上がりバリケードとなって雷の矢を防ぎきった。

 ハルの力は命のクオリア。

 おそらくはその力で植物の種を急成長させているのだろう。

 

 そして極め付けには先ほどの治癒能力――いや、再生能力。

 手のひらに空いた風穴を瞬く間に塞いだあの力はハルが今まで治癒のクオリアと偽って使っていた技だ。それは何度もサクラの命を救った力。


 本来治癒のクオリア――と呼ばれている力は対象の自己回復力を促進するくらいの力しかなく、負傷を即座に癒すことはできない。

 これまではハルが特別なのだと思われていたが……そもそもクオリアそのものが違っていたのだ。

 全てを騙していた。


「どうしてこんなことをするんですか!?」


「それを教えてあげる義理があるのかなぁ!」 


 樹木のバリケードの隙間から触手が伸びる。

 瞬く間に眼前に迫るそれはよく見れば樹木ではなく――――


「腕!?」


 触手のごとく伸びたアンノウンの腕がサクラの手首を掴み取る。

 驚愕に目を見開いた途端、凄まじい膂力で振り回され、投げ縄のように一回転させられたかと思うと天井に叩きつけられる。


「がっ……!」


 衝撃に怯むサクラの視界の端。

 メジャーのように素早く巻き戻るハルの腕が、今度はぶくぶくと何倍にも肥大化した。

 まるで巨大な棍棒だ。


「そーれっ!!」


 天井から落下するサクラを、巨腕が捉える。

 緩和しきれなかったダメージが骨の髄まで響く中、アーマーのブレイク音が鮮明に聞こえた。

 衝撃に顔をしかめる中、サクラはノーバウンドで大部屋の壁まで叩きつけられた。

 

「げほっ、がはっ……」


「さーてこれでブレイク。命の終わりが近づいてきたね。まあ殺すわけにはいかないんだけど」


 つまらなそうに鼻を鳴らすアンノウン。

 サクラは不遜に立つ少女を見据え、全身の痛みに耐えつつ床に手をついて何とか身体を起こす。

 その腕も、足も、震えて力が入らない。


「……どうしてですか」


「んー?」


 げほっ、と喉に溜まった空気を吐き出す。

 目の前にいる少女のことがずっと気になって気になって仕方がなかった。

 それは『柚見坂ハル』というテクスチャが剥がれた今になっても変わらない。

 だから、問う。偽物であっても親友だった相手に。


「どうしてエリちゃんは消されないといけなかったんですか」


「エリ? 誰それ」


 思わずと言った調子で眉を顰めるハルを見て、気づけば唇を噛みしめていた。

 わかっていた。ポケットによって消された者は誰の記憶からも消える。

 サクラが特殊なだけで、エリがポケットに落ちた元凶であるハルアンノウンも例外ではない。


「……んー、わたしに心当たりがないってことはポケットに落とした子の誰かかな? そうだねえ、わたしたちは都合の悪い子には消えてもらうことにしてるんだよ。そのエリちゃんって子もそのうちの一人だと思う」

 

 手の内で種子を転がしながらなんでもないことのようにアンノウンは言う。

 つまりは――邪魔だったのだろう。あのエリという少女が。

 だがもはや詳細な理由を知る術はない。

 そこに横たわるのはアンノウンがエリを消したという事実だけだ。

 その事実に、ふつふつと湧き上がるのは明確な怒りだった。


「そこまでして成し遂げなきゃいけない目的って何ですか!?」


 消えた――なんて表現しても、事実は変わらない。

 エリは死んだのだ。殺されたのだ。

 目の前のアンノウンによって。


「それは上の人から聞いてよ。わたしには願望とか、そういうの無いからさ。やるべきことをやる……それだけの人間なんだよ」


 アンノウンの浮かべる表情は確かに笑顔だった。

 だけどそれはあまりにもがらんどうで、なにも含まれていない。

 

 ダイヤと戦った時には彼女の情念が痛いほどに伝わって来た。

 それが例え間違いだったとしても、彼女には叶えたい夢があったから。


 だがアンノウンは違う。

 からっぽだ。

 ただ命令を入力されたコンピューターのように行動を出力しているだけ。

 煽るような口調も、ハルとしての仮面もサクラを揺さぶるためのものに過ぎない。


 あれだけ一緒に居てまったく気づけなかったのだ。

 彼女の抱える空白に。


「…………あなたがハルちゃんでないのなら」


「んー?」


「本当の名前を教えてください」  


 ぴくり、とアンノウンの眉が動いた。

 どうしてか、サクラはそこに感情の切れ端のようなものを幻視した。


「さあね。一応『施設』では33番って呼ばれてたけど……これで満足?」


「……………………」


 名前すら、無い。

 番号で呼ばれていた彼女はその事実を何でもないことのように言う。

 それが当たり前のことなのだと。


「あれ、もしかしてサクラちゃん同情とかしちゃってる? やだなー。同情ってさぁ、幸せものだけが使える合法ドラッグだよねぇ。辛い目に遭ってる人を上から哀れんで、善人を気取って気持ちよくなって――『自分はこうならなくて良かった』『自分はこいつと違って幸せで良かった』……そんな汚い本音から目を逸らしてるんだ」


 つらつらと並べられる悪意に、サクラは唇を噛みしめる。

 それは、おそらく正鵠を射る言葉。

 サクラだって、誰だって。

 『かわいそうな人』を見れば哀れんでしまう。


 だけど。

 サクラはそこに、アンノウンの感情を見た。


「ならあなたは不幸なんですか。33番さん」 


「……へえ。サクラちゃんもそういうイジワルを言うんだね。知らなかったよ」


「はい。知らなかったでしょう。あたしもあなたを知らなかったように――あたしたちは、お互いのことを全然知らないんです」 


 重心を落とし集中する。

 心臓から雷を生み出し、血管に乗せて全身へと張り巡らせるイメージ。

 纏雷――身体能力を強化する技を発動する。


 負けるわけにはいかない。

 そして、それ以上に。

 目の前の少女のことを知らねばと思った。

 正面からぶつかって、どれだけ傷ついたとしても。


 ――――どれだけ演技しようとしたってどこかに本物は混じるものなんだから。


 以前カナが言っていた言葉を思い出す。

 何もかも演技だとしても。

 そのどこかにきっと本物はあった。

 柚見坂ハルではなく、33番としての、本物が。


「あなたは……たぶん、本当にあたしのことが嫌いですよね?」


 その問いに。

 ハルは口元を三日月形に曲げて笑う。


「……あははっ、面白いねえサクラちゃん。初めてちょっと興味が出てきたよ!」


 その全身が深緑の光を放つ。

 今まで毛ほども感じられなかった戦意が肌に伝わってくる。

 サクラはそれを――不謹慎ながら、嬉しいと感じていた。 

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