185.親友ed
鮮血が眼前で散る。
同時に、右手に激痛が走った。
ハルの拳を受け止めたのもつかの間、握りしめられた手のうちから突き出した槍のごとき樹木に手の平を貫かれたのだ。
「ぐ……ッ!」
「あははっ!」
クオリア使いは手首に巻いたリミッターが発生させるアーマーによって守られている。
だが、威力が強い攻撃ほどダメージを減衰させるそのアーマーが貫通された。
何か仕掛けがあるのかと思ったが、違う。
ゼロ距離から繰り出されたことと、純粋な貫通力の高さ。それらによってアーマーを突破したのだ。
サクラが苦し紛れにに手の平に雷を流すとハルは即座に樹槍を引き抜いて跳び退った。
高威力の攻撃によって一撃でアーマーがブレイクされてしまうことはある。
しかし、サクラのアーマーはいまだ健在だ。
「でもこれじゃ意味を成さない……!」
「脆いね。サクラちゃんは」
不遜に立つハルはこの上なく詰まらなそうに手の爪をいじる。
さきほど樹槍を放った手にはサクラと同じく風穴が空いていた。
当然のことながら、手の中に握った種から樹木を生み出したのだから彼女の手もまた貫かれているわけなのだが――彼女の表情には一切の苦痛が感じられない。
「……痛くないんですか」
「ああ、手? いやわたし痛覚とかとっくに取り除いてるし」
ハルが血にまみれた手を振ると、浮かび上がった深緑の光が傷口に集まっていく。
直径数センチはあるはずの手の穴がみるみる塞がっていく。
「はい元通り。傷なんてすぐに治せるんだから痛みなんて邪魔なだけだよね」
「痛覚を取り除くなんて、そんなこと……」
「できるできる。学園都市を舐めないほうがいいよ――――わかりやすい言い方をしてあげると、改造手術ってやつをしこたま受けてるんだから。偽物なのは顔だけだと思ってた?」
絶句するサクラの前で、ハルは自身の手から順番に指を差していく。
まるで授業をする教師のように。
「わたしの身体はだいたいが作り物だよ。手足とか、あと内臓の半分くらい? 骨も……何十本だったかなー、82本か96本のどっちかだったはずなんだけど、ぜーんぶ人工物。わたしサイボーグなんだって! あはは、そうそう顔も作り物だよ。ただ整形したとかじゃなくて、一度顔を全部剥がしてから命のクオリアで上手いこと作り直して――――」
「もう、いいです……」
吐きそうだった。
何も聞きたくない。
その声で、そんなことを言わないでほしい。
この人は本当にハルではないのだと――ハルの皮を被っていた誰かなのだと、わかってしまった。
今にも泣き崩れてしまいそうな心を必死に支えて立つ。
ここで倒れたら、キリエに連絡せず来た意味がない。
「……あなたの狙いがあたしなら。絶対に倒されるわけにはいきません。あなたや、あなたの上にいる人のたくらみはわかりませんけど……あたしがあなたたちを止めます」
「うんうん~。いいよ、親友だもんねえ。柚見坂ハルもそう思ってたよ」
深緑の光が迸る。
命を自在に操る、親友だったはずの少女が迫る。
* * *
『通話終了』と表示されたスマホの画面を、最条キリエは呆然と見つめていた。
「サクラ、どうして……」
最条学園の屋上から見上げる空は厚い雲に覆われ、あたりはどことなく灰色のベールがかぶさったような景色と化していた。
アンノウンの正体……柚見坂ハルのことについてサクラに伝えている最中、突然通話が切られた。
敵と遭遇して、通話を切るよう脅された?
そんなはずはない。あの短い間で脅迫されるというのは現実的ではないし、サクラほどの実力があればそのような事態には陥らない。
そして電波が悪かったわけでもない。
サクラの意志で切ったのだ。
――――…………ごめんなさい、先輩。また後で。
何があった。
自分にも言えないようなことなのか。
キリエはそこはかとない寂寞を感じつつも、振り払って考える。
彼女は律儀な性格だ。よっぽどのことが無ければ連絡を怠ることはない。
ならば――よっぽどのことが起きたのか。
例えば、
「――――柚見坂ハルと遭遇したとか?」
とっさに振り向く。
音も無くそこに立っていたのは、
「……おばあさま?」
「ああ、君のおばあさまだよ。こうして実際に顔を合わせるのは久々かな?」
最条学園の理事長。
その名を最条アラヤ。
高齢に似合わない若々しい外見を持つ女性だ。
感情の読めないアルカイックスマイルを浮かべるアラヤは、屋上を吹き抜ける風に金色のツインテールを揺らしていた。
「あなたは……何を知っているんですか。錯羅回廊の調査をさせ、しかも柚見坂ハルのことまで……。いったい何を企んで――――」
「大抵のことは知っているよ。ただ私としても全てをコントロールできるわけではなくてね――――柚見坂ハルと天澄サクラが接触したタイミングでサクラちゃんが真相を知ってしまうとは」
絶句した。
弁解するでもなく、そこまで明け透けに話してしまうのか。
何を企んでいる?
そんな疑問を持ちつつも、こうなることはLIBERTYの事件の時からわずかながら想定していた。
あの事件を裏から糸を引く存在が――黒幕がいるとするなら、それは学園都市で絶大な権力と影響力を持った人物に他ならない。
そして極め付けにはLIBERTYが揃って錯羅回廊への適性を所持し、そして錯羅回廊を使って暗躍していたこと。
錯羅回廊を知っているものは限られている。
その筆頭が他ならぬ最条アラヤだ。
「…………っ」
キリエは戦闘態勢に入る。
アラヤが自身の企みをこうして話した以上、この場からキリエを動かすつもりはないということを。
詳細については孫のキリエにも不明だが、アラヤもまたクオリア使い。
警戒するに越したことはない。
だがアラヤはあまりにも自然体。
雑談でもするような調子で続ける。
「ただまあ、こうなってしまっては仕方ない。裏を返せばちょうどいいとも言えるしね」
気が付けばその手にメガホンのような機器が握られていた。
キリエは一瞬でその正体に気づく。
「覚醒器……!」
「『おばあさま』の話は静かに聞くものだよ」
メガホンを通したその言葉に。
すぐさま奪おうと動き出していたキリエの脚が止まる。
思考がまとまらない。脳と身体が乖離しているような、妙な感覚。
「おや。止まってくれるんだね――この覚醒器は対象の持つ意志を増幅させるもの。ということは、君には私を害したくないという意志があったようだ。優しい子だね」
かつかつとヒールを鳴らしてこちらに歩いてくるアラヤを、キリエは見ていることしかできない。
動かなければならない。動きたい。
そんな意志に反して身体が石のように固まっている。
アラヤの細指が、そんなキリエの顎をするりと撫でる。
「そんな優しい君を、サクラちゃんは放っておくわけだ」
「なに、を……」
「君はずっと孤独を抱えていた」
耳元に唇が寄せられる。
吐息のかかる距離で、毒のような言葉の群れが吹き込まれていく。
「知っているよ。サクラちゃんや副会長は、君を一人にはしない、ずっと追いかけ続けると言ってくれたそうだね。だけど現実はどうだろう。君を取り巻く環境は何か変わったかな?」
それは――違う。
この思考の向きはまずい。
それはわかっているはずなのに、考えることを止められない。
サクラはキリエのことを追いかけると言ってくれた。
ココも、負け続けるつもりはないと。
だが実際には彼女たちとの間には深い断絶が存在し、肩を並べるような存在になれるかはわからない。
「サクラちゃんだってあんなに君に憧れていたのに、簡単に他の女に尻尾を振ってしまうんだ。まあ年頃の女の子らしいと言えばそうかもだけど……やっぱり寂しいよね?」
寂しい。
そうだ。
(私は……………………)
ずっと寂しかった。
育て親には愛されず。
強くなれたと思ったら全てを置き去りにしてしまった。
それが、それこそが最強の証だからと人は言う。
君臨するということは万人の上に立つ――つまり肩を並べる誰かなどいないということ。
わかっている。
しかし。
だから、何なんだ?
私だって誰かと切磋琢磨したかった。
ライバルがほしかった。
この苦悩を話せば贅沢だと言われるのがわかっていたから誰にも話せず――いいや、そもそもこの立場ではそんな気の置けない相手など作れなかった。
「私なら、君と一緒に居られるよ」
「おばあさま……?」
「君は強い。この広い学園都市に満ち満ちるクオリア使いたちが100人、いや1000人束になったところで本気を出せば鎧袖一触に蹴散らすことができるだろう。だが――私はね、君より強い」
アラヤは慈愛に満ちた笑顔でキリエを見つめる。
それが傑物を堕落させる悪魔の誘惑だとしても、そこから目が離せない。
年齢不詳の理事長は覚醒器をゆっくりと構え、言う。
「私と共に来てくれるかい?」
「――――――――」
投げかけられたその問いに。
キリエは。
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