184.その友情はまるで花火のように
そう言えば今日は昇格試験の日だったんだなあ、なんて今さらのように思う。
この日のために努力してきた。
誰かの気持ちを踏み越えて、誰かに敗北を与えてきた。
だけどもう、どうでも良かった。
それどころではない事態が起こってしまったからだ。
「さて、いちおう上司からは出来れば殺すなって言われてるんだよね。適当に痛めつけて拘束して、事が終わるまでここにいてもらおうかな」
「……どういうことですか」
「わかんない? わたしが正体を明かす準備はとっくにできてたって話なんだけど!」
ハルが手元から飛ばした弾丸を、サクラはとっさに首を振って避ける。
弾丸は背後の壁に突き刺さり、亀裂を刻んだ。
「いきなり何を……!」
「よそ見してていいの?」
バキ、と背後から木の板が割れるような破砕音。
嫌な予感に振り向くと、突然飛び出して来た樹木の幹がサクラの頬を浅く裂いた。
「なっ……!」
よく見ればさきほど回避した弾丸は、植物の種だ。
種が突如として急成長を果たし、槍のようにサクラを攻撃したのだ。
(どういうこと……!? ハルちゃんの能力は治癒のクオリアのはず……)
頭をよぎるのはLIBERTYが使っていたクオリアを後付けするアンプル。
まさかハルはあれを使って二つ目のクオリアを会得しているのか。
いや、それにしては副作用に蝕まれている様子が見られない――そんな思考を巡らせていると、すぐ近くから声が聞こえた。
「だからよそ見すんなよばーか♡」
慌てて再度振り返ると緑色に淡く輝く拳が間近に迫っている。
ガードしようと試みるも間に合わず、顔面に強烈な衝撃が走った。
殴られたと自覚できたのはノーバウンドで壁に叩きつけられ、ずるりと床に落ちた後。
恐ろしい威力だ。アーマーで緩和されているはずなのに、未だに頬がじんじんと痛みを訴えている。
呆然と遠くのハルを見据えると、殴った手の調子を確かめるようにぷらぷらと振っていた。
「前に言ったことあるよね。わたしは中学の頃までキューズを目指してたって。今のでわかったと思うけど、別に戦えないわけじゃないんだよ?」
「あたしは――――」
「なんちゃって。その話もぜんぶ嘘なんだけどね。わたしに中学時代なんてないってば」
あはは、と楽しそうに笑うハルに、サクラは未だ信じられないような目で見つめる。
本当に全てが嘘だったのか。
『そんなわけない』と口で否定するのは簡単だ。
しかし彼女が今こうしてサクラと敵対しているのは全くの事実。
そして、殺す気で攻撃してきたこともまた事実。
思えばアンノウンとしての初対面の際、彼女はサクラを殺そうとしていた。
あの時はココが助けに来てくれて何とか生き延びることが出来たが、同じ展開を期待するのは都合が良すぎるだろう。
「ちなみにわたしの治癒のクオリアも嘘だよ。本当はね、命のクオリアって言うんだ」
「命の……クオリア」
その名をサクラは知っている。
――――…………命のクオリア。これで私の傷を完全に癒す。
LIBERTYのリーダー、ダイアと戦った時の事。
彼女は切り札として命のクオリアが込められた薬液を自身に注入し、無理やり戦闘を続行した。
「ああ、サクラちゃんは知ってるよね。あれはね、わたしが通り魔に襲われた――振りをした時に採取した血から作られたんだよ。あの子……ダイアちゃんはさすがに上手く使えなかったみたいだけど……うん、二つ以上のクオリアを宿すのは難しいってわかったのは収穫だったかな」
なんでもない雑談のようにそこまで述べたハルはサクラに向けて数個の種を投げつける。
淡く発光するそれらは空中でぶるりと震えたかと思うと――急成長して太い樹幹をサクラへと伸ばす。
「……っ、雷爪!」
突き立てられる樹木の槍を回避しながら雷爪で切り捨てる。
焦げ付いてバラバラになった木が床に落ちる中、サクラはただ立ち尽くしていた。
「あれ、来ないの? 攻撃とかする気なし?」
「ハルちゃん、あたしは……戦いたくないです」
声は震えていた。
わななく唇で、何とか紡いだ言葉だった。
「ハルちゃんがどうしてこんなことをするのか、あたしにはわかりません。だけど……」
「わかりあうことはできるとか、そういうのは期待しない方がいいよ」
だけど、ハルは――アンノウンはそんな想いをすげなく切り捨てる。
いつも柔和に細められていたその目には一切の温度が感じられなかった。
「一応『ハル』としては友達のつもりだったから言ってあげるけど、そういうのはハル相手にだから通じるんだよ。『わたし』っていう他人とはムーリーなーの。わかるかな?」
ここでサクラはやっと理解した。
自分と彼女の間には深い断絶の溝が横たわっている。
今のハルには温度が感じられない。
人を食ったような態度も、気まぐれにそうしているだけで、本当は何も話さずに襲い掛かったっていいのだと。
お前の事なんてどうでもいいのだと。
そう言われていることを理解した。
「…………騙してたんですか」
ひどく濁った声がした。
サクラの絞り出した声だった。
青ざめた少女に反して、ハルは何でもないことのように答える。
「そうだね。柚見坂ハルという人物を演じてた私は、きっとみんなを騙してたんだと思う」
ハルは自身の髪を結う赤いリボンをくるくると指に巻く。
仕草も表情も、まったく感情を読ませない。
そんな彼女の口元がゆっくりと弧を描く。
「でもそれは君も同じでしょ?」
伸ばされた細い指先は、サクラの心臓へ。
突き刺すように、抉るように、ハルの嗜虐が傷をつける。
「……なに、を」
「ずっと一緒に居たんだよ、気づかないわけないでしょ――君も『天澄サクラ』を演じてるじゃない。自分の思う天澄サクラって人物を」
衝撃に心臓が凍り付いたのかと思った。
心当たりはない。無いと言いたい。
だけどサクラの唇は震えてろくに動かなかった。
そして同様の隙に、いつのまにかハルが握りしめていた新たな種が光を放つ。
急成長した樹木は槍のごとく、またもサクラの心臓を狙う。
「…………纏雷!」
全身に雷を張り巡らせたサクラは横に向かってかわす。
自分の背後で勢いよく突き刺さる樹木には目もくれず、サクラはハルへと視線を向け直し――姿を見失う。
「お前は人当たりが良いようでその実、根っこのところでは誰にも心を許していない。明確に引いた一線から絶対に近寄らせようとしていない」
その声はすぐそばから聞こえた。
真横に突き立った樹木の影から、見慣れた亜麻色の髪が覗いている。
「…………あたしは……!」
そんなわけがない。
そんなつもりはない。
演じていたことなんてひとつもない。
なのに、一瞬で干上がった喉が声を出すことを許してくれなかった。
そしてそんな機微を無視して再びの拳が迫る――――
「ああ、さすがに止めるんだ」
手のひらで受け止められた拳を見て、ハルは酷薄に笑う。
しかしサクラからのカウンターはやってこない。
泣き出しそうな顔で唇を噛みしめ、手を震わせるだけだった。
「元気でまっすぐで天真爛漫な子……をやろうとしてたんでしょ? その
普段のハルからは考えられないような甘ったるい嘲笑に、思わず唇を噛みしめる。
そうだ。
天澄サクラは学園都市に来ることが決まった際、これまでの自分を捨てることに決めた。
友人を傷つけた自分が嫌いだったから。
自分が憎くて仕方なかったから。
そんな自分では、周囲の人をまた傷つけてしまうに違いない。
だから、違う自分になろうとした。
キャラ付けを――した。
「初対面からわかってたよ。この子は明るく振る舞おうとしてるだけのくらーい子だって。それなのにえらそーに『あたしに任せてください!』だって……あはは、笑っちゃうね」
「……なんでそんなこと言うんですか。ハルちゃんが、ハルちゃんじゃなかったからですか」
「なんでって……そんなの決まってるでしょ」
そこでハルの声から喜色が消える。
低く冷たい、鉛のような声色で――同時にハルの拳の内側から光が漏れ出す。
次の瞬間、光を放つ手の内から飛び出した鋭い樹木がサクラの手のひらを貫いた。
「サクラちゃんのことが、だーいきらい♡ だからだよ」
目の前で広げられる輝くような笑顔を、返り血が彩った。
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