183.Who are you?

 

 ハルはその口元を弓なりに曲げた。

 それが破局の合図だった。

 サクラがよく知る柚見坂ハルという名の少女は、いつの間にかどこにもいなくなっていた。


「誰に聞いたの?」


 ぞっとするほど冷たい声色に、喉が干上がる。

 この少女は。『これ』は。

 いったい誰なのだ?


「今通話してた相手の入れ知恵だよね。たぶん生徒会役員の誰か……まあ最条キリエでしょう」


 サクラは思わず立ち上がる。

 ハルは変わらず座席に腰を落ち着け、にこやかにサクラを見上げていた。

 その笑顔は水面のように揺らいでいる。『ハル』の笑顔を浮かべていたと思ったら、次の一瞬には知らない顔になっている。


「あの人たち最近嗅ぎまわってたっぽいもんね。まあどちらにせよそろそろ『公演期間』も終わる予定だったんだけど……まさか今日とはなあ」


「ハル、ちゃん……本当にあなたは……」


「あはは、ハルちゃんって。わたしそんな名前じゃないって」


 言葉を失った。

 サクラにはわからない。

 話せばいいのか、戦えばいいのか、それとも逃げるべきなのか。 

 

 どう対処するかよりも、ハルの豹変によるショックがサクラの脳を占めていた。

 だから、反応が遅れた。ハルの身体が虹色の光を帯びていることに。


「さすがに今暴れられたら困るし、サクラちゃんにはしばらく大人しくしていてもらおうかな」


 ぱちん、と指を鳴らした瞬間、虹色の渦がハルを中心に広がった。

 その渦はハルごとサクラを飲みこみ――次の瞬間、気づけば駅のホームに投げ出されていた。


「へ……?」


 呆けた声を上げながら辺りを見回す。

 周囲は見渡す限りの青空。サクラが立っているのは空中に浮かぶ駅のホームであり、両脇から伸びる線路は空中のそこかしこに張り巡らされていた。


「は、ハルちゃんは!?」


 視線を彷徨わせると、数百メートルほど離れた線路上に走る列車の車両を見つけた。

 その窓からは、見覚えのある亜麻色の髪がちらりと覗く。

 

 この場所は以前にもアンノウン――あの時はダイアが中に入っていた――を追いかけて入った錯羅回廊の”どこか”だ。

 おそらくはアンノウン側が利用している空間なのだろう。

 

 大人しくしてもらうと彼女は言った。

 なら、サクラをここで迷わせるつもりなのだろう。

 これまで調査した階層と違い、この空間はサクラの理解の範疇を越えている。

 

「とにかく追いかけなきゃ……あの列車はどこに向かうんだろう」


 追いかける。

 追いついて、その後は? 


 浮かんだ疑問を振り払ってサクラは跳躍する。

 空中を駆け巡る線路と自分を磁力で繋ぎ、引き寄せ、どんどん加速していく。

 迷いを振り切り、とにかく一直線に空中を飛んでいく最中――周囲に走る線路の枕木が突如として膨張した。


「な……!?」


 枕木は急激にその体積を増し、強靭な木の鞭と化してサクラを襲う。

 とっさに磁力を使って真横に跳び、何とか回避する。

 しかし回避した先にも枕木の触手が何本も待機していた。


「雷爪!」


 五指から迸る雷で迫りくる触手を切り裂く。

 強度はさほどでもない。

 だがとにかく数が多い――雷爪で対処しきれなかった一本が、サクラの胴体を痛烈に打ち据えた。


「ぐっ……」


 痛みでコントロールが乱れたサクラは広がる青空へ向かって落下を開始する。

 その視界の向こうでは、ハルが乗っている列車がどんどん距離を離していく。

 列車の行き先をよく見ると、虹色の渦が大口を開けていた。おそらくはあの渦を通って別の階層か、もしくは現実世界へと帰るのだろう。


 サクラに正体をバラした以上、彼女はもう表に出てくることはないだろう。

 そして真実を知ったサクラはこの場所に閉じ込められてしまう。

 普段ならサクラの能力で別の場所へ繋がる渦を作ることができるのだが、なぜかうまく働かない。

 サクラの能力が使えないのではなく、この空間自体に手を加えられているような感覚だ。

 おそらくハルが何か細工をしたのだろう。ハルの出した渦以外ではこの空間から外に出られないし、外からも入って来られない可能性が高い。


「だったら……絶対に逃がしちゃダメだ!」


 周囲の線路と自身を磁力の糸で繋ぎ、サクラは空中で踏みとどまる。

 そのままくるりと体勢を立て直し、虚空を蹴って一気に加速した。

 目指すはハルの乗る列車。

 しかしそうはさせまいと触手の群れが立ちふさがる。


「どいてください!!」


 叫び声とともに撒き散らされる雷の矢が触手を吹き飛ばす。

 空いた空中のスペースを貫くように、サクラは一気に加速する。

 距離は開いているが、サクラのスピードなら追いつける。

 なおも迫ってくる他の触手が触れられないほどの速度で飛ぶサクラは、勢いよく目的の車両の壁を蹴り抜いた。


 ばらばらと砕けた壁が床にこぼれる中、サクラはハルと対峙する。

 座席に座っていたハルは今まで見たことがないほど心の底から鬱陶しそうな顔を上げてサクラへ口元を曲げてみせる。


「しっつこいねえ。知ってたけど」


「ハルちゃん……」


「うーん、一生ここで彷徨ってくれてるのが理想だったんだけど……そうもいかないか。じゃあ次の舞台へ行こう」


 言い終えた瞬間、列車が渦を通り抜ける。

 別空間へと侵入した列車は薄暗い部屋の床から飛び出し、天井へと突き刺さった。

 

「うわぁっ!」


 衝撃で投げ出されるサクラ。

 慌てて立ち上がると、ハルは口笛でも吹きそうな調子で軽やかに降り立っていた。

 あたりへ視線を向けると、サクラの知る景色が広がっている。


 洋館のような内装に赤い霧が蔓延し、壁や天井には紫色の腐肉が這いまわるその場所は――錯羅回廊、第五層。

 入学式の夜、サクラがハルを助けるために始めて錯羅回廊へと足を踏み入れた場所だ。


「っあー……やっぱりここは空気が悪いねえ」


 気だるそうにスマホをいじるハル。

 サクラはその光景が未だに信じられなかった。


 柚見坂ハルは……今目の前でこちらに目もくれない少女は、柚見坂ハルではない。

 柚見坂ハルという名を名乗る何者か。

 そして春にはサクラを始末しようとし、夏にはサクラの友人だった空木エリをポケットへと陥れて殺した張本人。


「本当に……ハルちゃんがアンノウンだったんですか……」


「んー? ああ、ごめんちょっと待って」


「……っ」


 ぞんざいな対応に息が詰まる。

 外見は同じなのにまるで別人だった。

 

 ハルは数度画面をタップしたかと思うと、満足したのかサクラへと向き直った。


「それで……ああ、わたしがアンノウンかどうかって件だっけ。それはその通りだね。だいせいかーい」


 ぱちぱち、と適当な拍手が空々しく響く。

 思わず握った右手に力が入った。


「上の人の命令でね。錯羅回廊の調査をしたり邪魔な奴を消したり、研究データを奪ったり、いろいろ……いやホンット人遣い荒いよね! わたしは何でも屋じゃないってのに――――」


「うそだ!」


 サクラの上げた叫び声に、ハルのへらへらとした表情が一瞬で消える。

 まるでつまらない映画を無理やり見せられているような、嫌悪と倦怠が混ざった顔だった。


「だ、だってハルちゃんが……ハルちゃんがそんなことするはずない、です……だってハルちゃんはあんなに優しくて、だって、だって……」


「はぁ――――」


 深いため息に、サクラはびくりと肩を震わせる。

 ハルのローファーのつま先が、タンタンと苛立つように床を叩いた。

 

「サクラちゃんはさ、あれかな? 声優さんをキャラクターと混同しちゃうタイプの人かな? キャラを名前じゃなく声優さんの名前でしか呼ばない感じの子?」


「なに、を……」


「だからハルちゃんハルちゃんうるさいって言ってるんだよ。そんな人はね、現実には存在しない。『柚見坂ハル』はわたしが演じた役のひとつでしかないの」


 ハルは――アンノウンは冷たい目でサクラを見据える。

 『柚見坂ハル』が湛えていた陽だまりのような温かさは、そこにはない。

  

 それでも受け入れられないサクラは他の可能性を探す。

 本物のハルはどこかに閉じ込められていて、アンノウンが何かしらの手段で化けているだけ。

 そうだ、アンノウンは現れるたびに違う性格を演じていた。もしかしたら、そういった技能かクオリアを持っているのでは――――


「なーんて考えてるんだろうけど、それは現実逃避だよ」

 

 アンノウンはおもむろに爪で頬を引き裂く。

 すると当然のように肌が裂け、赤い血がじわじわと滲み始める。

 思わず息を吞んだサクラだったが、ハルは動じることなく手を傷に当て、そこに深緑の光を放出した。


「見覚えあるでしょ?」


「それ、は……」


 見間違えるはずがない。 

 ハルが幾度となく使っていた治癒の力。その際に生じる光の色もまったく同じ。

 クオリアは同じ力が別人に宿ることもあるが、実のところそれらには微妙な差異がある。

 仮にアンノウンがハルと同じ治癒のクオリアを持っていたとしても、全く同じ色の光にはならない。


 そして、畳みかけるようにアンノウンは手首に巻いたリミッターを見せつける。


「これ、見える? 画面に柚見坂ハルって表示されてるでしょう。一度ユーザー登録したリミッターは、他の人は装着できない。破壊しない限りはベルト部分がロックされちゃうし、構造が複雑すぎて修理するのも現実的じゃない――だからこのリミッターが柚見坂ハルから奪ったものだとか、そう言う可能性もナシ」


「……………………」


 それはつまり。

 

「バカなサクラちゃんでもわかるよね? ううん、本当は信じたくなかっただけかな」


 柚見坂ハルなどという人物は最初から存在しなかったという紛れもない事実が、突き付けられる。

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