182.柚見坂ハル


 山茶花アンジュとの試合に勝ち、さらに弾みをつけたサクラは学内戦を全勝した。

 サクラ自身驚くべき――恐るべき成果だった。

 アンジュが内心で抱いていた『自分はいつか置いていかれるのではないか』という恐怖はある意味当たっていたと言えるかもしれない。


 そして月日は流れ、昇格試験の朝。

 サクラは通学のモノレールに揺られていた。

 とはいえ学園都市のモノレールは高性能でほとんど揺れは無いのだが。


「……………………ふう」


 真昼の陽射しをうなじに感じつつ、サクラは小さくため息をつく。

 昇格試験に参加する生徒はその日の授業を免除される。

 あとは前と同じように学園から出るバスに乗り、会場を目指すという流れだ。

 そういうわけでサクラはこの時間のモノレールに乗っているというわけである。


 これで良かったのだろうかという思いが拭えない。

 アンジュとはあれから話せていない。

 どういう事情があろうと、サクラはアンジュを振ったのだ。


 メイドによると、そこまで引きずっていないからほとぼりが冷めたら良ければまた仲良くしてあげてくださいとのことだった。

 それは良かった、と言えるかもしれない。


「でもやっぱりあたしには……」


 どうしても受け入れるわけにはいかなかった。

 サクラには想い人がいる。

 温かくて優しい、陽だまりのような女の子。柚見坂ハルという名の友人が。


 彼女へ想いを伝えるために、今日の昇格試験を突破しなければならない。

 それも傷を負うことなく。

 そのためにはこうしてくよくよと悩み続けていてはダメだ。

 ハルの笑顔を思い浮かべ、サクラは両頬をパンと張った。


「うん、とにかく今日。今日の試験を目いっぱい頑張って、そうしたらハルちゃんに――――」


 そんな時。

 決意に横入りするようにして、サクラのスマホが振動した。

 着信だ。画面を確認すると、相手は生徒会長の最条キリエだった。

 憧れの相手であり、学園都市最強のキューズ。


「わ、わ、なんで。珍しい……」


 キリエからの連絡に嬉しい気持ちはあるが、胸の奥に何やら嫌な予感を覚える。

 今はモノレールの中だ。ひと気が無いとはいえ、車内での通話は禁止されている。

 少し迷って、その旨を伝えてすぐに通話を終わろうと緑の受話器をタップすると、あからさまに焦った声が飛び込んできた。


『サクラ! 今いいか!?』


「キリエさん。えっと、今モノレールに乗ってて……ごめんなさい、あとでかけ直しても――――」


『緊急事態なんだ!』


 ごくり、と生唾を吞み込む。

 キリエがここまで動揺した声を初めて聞いた。


『……以前、アンノウンについて調査すると言っただろう?』


「はい。あたしが最初に会った真のアンノウンは錯羅回廊適性があるって……もしかして見つかったんですか?」


『ああ、というか、私たちの考えが一部間違っていたというか……』


 キリエにしては歯切れが悪い。

 それは、おそらくそれほどに衝撃を受ける内容だったのだろう。


『私たちは最初、話した通りに適性のある者を洗っていた。だが一通り調べ終わった後に気づいたんだ。適性を持っているはずなのに、適性持ちリストに載っていない生徒がいた』


「ど、どういうことですか? 持ってるはずなのに適性を持ってない……?」


『つまりその人物のデータは改ざんされていたんだ。何者かがアンノウンの存在を隠蔽しようとしている。そしてそれは――いや、今は良い。とにかく私たちは『彼女』に目星をつけた』


 気づけば心臓の鼓動が激しい。

 聞くべきなのに、なぜかこの先を聞いてはならないと心のどこかが叫んでいる。

 脳裏に鳴り響く妙なアラートを押し殺し、サクラは続きを促す。


「彼女っていうのは……」


『君も知っているだろう、一年の保健委員――――』


 その時、サクラの視界の端に影が差した。

 半ば現実逃避のようにそちらへ目を向けると――亜麻色の髪に赤いリボンが揺れる。

 優しげに垂れた瞳。まだ少し気まずそうな笑顔。サクラが通話中なのを察してか控えめに手を振る彼女は――――


「ハル、ちゃん」


 柚見坂ハル。

 サクラが想いを寄せる少女がそこに立っていた。

 きいん、と耳鳴りがする。

 呼吸の仕方を忘れて唖然とハルを見上げるサクラをよそに、キリエは話し続ける。


『――――柚見坂ハルには錯羅回廊への適性がある。それはあの入学式の日のことからも明らかだろう』


 入学式の夜。

 サクラはふらふらと徘徊するハルを見つけ、その背中を追いかけた結果錯羅回廊へと迷い込んだ。

 そこでモンスターに襲われるハルを助けようと戦うことでクオリアを使えるようになったのだ。

 あの日の出来事を忘れることなど一日たりとも無かった。


『だが彼女は適性リストに載っていなかった。いや、それどころか――彼女のプロフィールの全てが偽物だったんだ! 故郷も、出身中学も、顔も……名前ですらも。そして最条学園入学以前の足取りの全てが、柚見坂ハルには存在しない!』


 まるで蜃気楼。

 最条学園入学と同時に出現した幻のような少女。

 そんな彼女は何ともなしにサクラの隣に座る。

 完璧な、友達そのものの距離感で、ローファーに包まれた足をぱたぱたと合わせている。


『まだ柚見坂ハルがアンノウンだと確定したわけではないが、彼女は存在自体が怪しすぎる。だから私たちは今から彼女を探して――――』


「…………ごめんなさい、先輩。また後で」

 

 気づけば通話を切っていた。

 どう考えても合理的ではない。

 だが、その理由は……自分が一番よくわかっている。


「あ、通話終わった? ごめんね」


「いいえ……」


 心臓が早鐘を打っている。

 そんなはずはない。ハルがアンノウンだなんてありえない。

 いくら憧れの人キリエの言葉だろうと信じられない。

 サクラの心はそう叫んでいた。


 しかし。

 ずっと引っかかっていることが、サクラにはあった。

 あれは錯羅回廊の第二層に独りきりで行き、アンノウンと初めて対面した時の事。

 あのあとサクラは自分の無力さに打ちひしがれ、熱を出してしまった。

 

 その際ハルがお見舞いに来てくれて、そのまま止まって行ったのだが――問題はその次の朝。

 洗面所に妙な粉末が落ちていたのだ。

 それは砂漠の都市である第二層に満ちる砂だった。

 もちろんサクラに付着していたものかもしれないが――あの日サクラは洗面所に足を踏み入れていない。


 だから、あれはハルの身体から落ちたものなのではないかという考えを、ずっと抱えていた。

 いや、忘れていたのだ。その可能性をわざと捨てていた。


 そしてもうひとつ。

 ハルがアンノウンに襲われた、あの通り魔事件の時の事。

 アンノウンを捜索する際、サクラを除く生徒会メンバーそれぞれの前にアンノウンは現れた。

 それは良い。LIBERTYのメンバーは四人。これだけなら計算は合う。


 しかし、だったら――あの時ハルを襲ったアンノウンは何者だったのだろう?

 

 五人目のアンノウンがいたという事実。

 もちろんLIBERTYの他に何人もアンノウンがいるとすれば説明はつく。

 だがもしも、あの時サクラの電話越しに起きた傷害事件が狂言だったとしたら?


 もちろん飛躍を重ねた仮定だ。

 ハルがアンノウンだなんてあるはずないんだから――しかし。

 サクラはその疑念を捨て去ることができなかった。


「……今日、昇格試験だね。頑張ってね」


「ハルちゃんは……こんな時間に何を?」


「ちょっと保健委員の用事があってね。新子先生に頼まれた薬品を救護センターまで取りに行ってたんだ」


 柚見坂ハルはいつも通りだった。

 淑やかで、可憐で、その微笑みは陽だまりのように温かく――普段と変わらない。

 しかし、今のサクラにはそれが張り付けたテクスチャのように見えてしまう。


「サクラちゃん、学内戦ずっと頑張ってたね。見てたよ」


「約束……でしたから」


「……そっか。それくらい私と話したいことがあったんだよね。ここまで来ると、私も意地ばかり張ってたのが恥ずかしくなってきちゃった――サクラちゃんはあんなに一生懸命だったのに」


 話したいことは、あった。

 ハルと仲直りして、そして……気持ちを伝えたかった。

 だが。


 サクラの口は、別の言葉を紡ごうとする。


「ハル、ちゃん……もしかしてハルちゃんと私って、錯羅回廊で会ってますか」


 涙が滲む。

 視界がぼやける。


 サクラは心から祈っていた。

 この言葉の意味を知らないでいてほしい。

 いや、知っていたとしても、とぼけてほしい。

 上手く騙し続けてほしい――抱いては行けない願いを、サクラは本気で願う。

 

「…………?」

 

 その願い通りに――ハルは首をかしげる。

 やっぱり知らない。勘違いだったんだ。

 そんなサクラの安堵を裏切るように、次の瞬間。


「あ、そっか」


 ぽんと手を叩く。

 次の瞬間、変わった。


 外見が変わったわけではない。

 だが柚見坂ハルはどこにもいなくなっていた。







「誰に聞いたの?」

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