181.終わってまた始まる


 実家でのあだ名は『落ちこぼれ』だった。

 

 優秀な母や姉たちに比べ、自分が凡庸だということには気づいていた。

 もちろん絶対的評価をするならば私はおそらく優秀な方に位置していたのだと思う。

 だけどさらに優秀な血縁者がいるなら話は別だ。どうしても比べられるし、実際に劣っていたのは間違いない。


 だから必死に努力した。

 目標に据えたのは姉たちが過去通っていた最条学園。

 学園都市でもトップに位置するクオリア育成機関。

 

 努力の甲斐あって私は合格することができた。

 血の滲むような想いだった。

 特に姉や母が褒めてくれることはなかったが――私は本当に嬉しかったのだ。

 入学式は何より誇らしい気持ちで臨んだ。


 だから許せなかった。

 クオリアすら使えないあの子が同じ土俵に立っていることが。


 ――――今のうちにここから出ていきなさい。クオリアも使えない落ちこぼれはこの学園に必要ありませんわ。


 茹だった頭が勝手にそんな台詞を出力していた。

 だけど間違っているとは思わなかった。それなのにあの子は……たった一日でその評価を覆した。


 使えなかったはずのクオリアを使い、私に立ち向かってきた。

 私の油断を突いて勝っても見せた。

 いや、油断なんて言い訳にもならない。負けたのだ。私は。


 そのあと転がり落ちるようにして恋をしてしまったのは誤算だったけれど――あの子のことはずっとライバルとして見ていた。

 みるみる強くなっていく彼女の姿に焦りと憧憬を覚え、それでも負けるわけにはいかなかったから、努力を重ねた。

 

 楽しかった。

 肩を並べてしのぎを削る日々の、なんと充実していたことか。

 それでも――いつか彼女は私より先に行ってしまうという予感だけはあって。


 だから無理を言った。

 次の試合で勝てば付き合ってほしいと。

 

 だから勝ちたかった。

 隣に居てほしかったから。


 だから、だから……。

 なのに。

 

 私は敗れてしまったのだ。

 ライバルに。

 そして、恋に。



 * * *



 試験場に戻って来た少女は毅然と前を向いていた。

 赤い髪をなびかせ、胸を張って颯爽と歩く。

 ロビーから通路を辿って更衣室へ。

 自分のロッカーの戸に指をかけて、開こうとして、失敗した。

 

「…………っ」 


 手が震える。

 少女は――山茶花アンジュは、そこで崩れ落ちた。

 

「うっ、うう……うあああああっ……」

 

 一人きりの更衣室に泣き声が反響する。

 よく磨かれた床にぽたぽたと涙の粒が落ちていくのを、ぼやけた視界で見下ろした。


 不格好だっただろうか。情けなかっただろうか。 

 いや、サクラの前では最後まで誇り高いアンジュでいられたはずだ。


『アンジュちゃん、あたしは…………』


『何も言わないでください。わたくしは、負けたのですから』


 試合が終わってすぐそんな言葉を交わした。

 そんなことしか言えなかった。

 あの子に想い人がいるのは知っていた。同じクラスなのだ、嫌でもわかる。

 

 だけど諦めきれなかった。

 だって、だって、初恋だったのだ。

 狂おしいほどに焼け付く気持ちは初めてだったのだ。

 全身の細胞が天澄サクラを求めていた。


 それでも情けない姿は晒せない。

 山茶花家での扱いは悪かったが、それでも家名を背負うのは自分で決めたことであり、誇りだ。

 もう少し時間があれば、この涙もきっと止まってくれるはず――――


「……やっぱり泣いてた」


「あ、あなた……」


 いつの間にか更衣室へ足を踏み入れていたのはアンジュお付きのメイドだった。

 常と同じ無表情をぶら下げて、ため息混じりに歩いてくる。

 慌てて制服の袖で涙を拭いた。


「……どうせ笑いに来たんでしょう。いつもみたいに」


「人聞きが悪いですね。私は骨を拾いに来ただけですよ」 


 アンジュが何も言えず唇を噛んで俯いていると、その頭のてっぺんに手が乗せられた。  

 そのまま豊かな赤毛をわしゃわしゃと撫でまわされる。


「ちょ、何を……」


「よーく頑張りましたね。今日はお嬢様の好きなものを作って差し上げましょう」


 しばらくされるがままになっていたアンジュだが、はっと我に返ったように振り払った。

 ぜえぜえと息をついているものの、いつの間にか涙の気配は引いていた。


「こ、子どもじゃないんですから! ……肉じゃがで」


「はいはいおっけーです」


 ひらひらと両手を振るメイド。

 いつも飄々としていて、何を考えているのかわからない。

 それでも、こんな時に変な冗談を言う子ではないし、本当に慰めてくれているのだろう。

 彼女の気持ちがわかるくらいには、付き合いの長さがある。


「……負けてしまいましたわ。情けないですわよね」


「確かに完敗でしたね」


「オブラートに包みなさいな」


「まあ、恋愛には勝ちも負けもありませんから。この先どうなるかなんてわかりませんし、諦められないならいつか寝取って差し上げれば良いのでは?」


 ぶふっ、と噴き出すアンジュ。

 あまりにも明け透けな物言いに顔が熱くなる。

 普段見ているカップルチャンネルのせいで恋愛観が歪んでいるのでは、なんて従者の育ちに危機感を覚えてしまう。


「ねと……なんて。考えられませんわ」


「そうですか。まあ失恋だなんて言っても振られた途端気持ちが綺麗さっぱり消えるでも無し、のらりくらりと付き合っていくしかないんじゃないですか」


「……いつか終わる時が来るのでしょうか」


 失恋の痛みも悲しみも。

 いつの日か、癒えてくれる日が来るのだろうか。

 それともメイドの言う通り、紆余曲折の末に成就するなんてこともあるのだろうか。

 もしくは、また新しい何かが始まり、過去の恋に終わりが来るのだろうか。

 そんな想いを込めて投げた問いに、メイドは端的に答える。


人生そこに無いならないですね」


 そろそろ帰りましょうか。

 そう言って背を向けて歩き出したメイドに、聞こえないようアンジュは呟く。


「……ほんと、ドライと言うかなんというか。だけど……」


 気は楽になった。

 それは間違いなく。


「ありがとう、マドカ」


 アンジュもまた新しい一歩を踏み出す。

 傍に寄り添うメイドと共に。

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