178.先輩からのありがたいご指導


 ――――もし……もしですわ。次のあなたとの試合にわたくしが勝ったなら、その時は…………


 ――――わたくしとお付き合いしてくださいませ。


「はあ……」


 何度目のため息だろうか。

 帰路を辿るサクラの頭の中に、アンジュの告白がいつまでも渦を巻いていた。

 アンジュと当たるのは早ければ明日。

 それまでに心を決めなければならない。


 もちろん手を抜くつもりはない。

 負けられない戦いだし、そもそもサクラはハルのことが好きなのだ。

 アンジュの気持ちを受け入れるわけにはいかない。


「うー…………」 


 しかし、それでも考えてしまうのはアンジュの事だ。

 仮にサクラが勝ったとして。そして、アンジュの想いが届かなかったとして。

 どうしてもその時の彼女の気持ちに想いを寄せてしまう。

 

 好きな人に想いが届かないというのはサクラにとっても他人ごとではない。

 言ってしまえば今まさにハルへとアプローチの真っ最中だからだ。

 こんなメンタル状態では、どう考えても試合に響く。

 クオリアは心で扱う異能だ。精神が乱れれば、コントロールができない。


「どうしたらいいんだろう……でも割り切るなんて……」


 そしてこんな状態で勝てるほどアンジュは甘い相手ではない。

 万全の状態でやっと互角に戦えるかどうか、という選手キューズなのだ。

 負けても断ればいい、それにアンジュだってこの条件を無理に吞む必要は無いと言っていた――それは確かだが、あれほど覚悟を決めてきた相手に……友達に、そんな裏切るような真似はしたくない。


「でもなぁ……」


「なにをさっきからうじうじぶつぶつ言ってんの?」


「えっ――――アリス先輩!」


 澄んだ声に振り返ると、そこには髪も肌も白く見た目だけなら雪の化身のような上級生。

 生徒会の先輩である、銀鏡アリスが立っていた。



 * * *



「悪いね、奢ってもらっちゃって」


 コンビニのイートイン。

 サクラとアリスの二人はめいめいコーヒーを淹れてカウンター席の端に座った。


「いえ、前に先輩には奢ってもらいましたし……次はあたしが払う。そういう約束でしたから」


「律儀だねえ」


 アリスは薄い唇の端を曲げると、カップに口をつけた。

 倣ってサクラもコーヒーを口に含む。砂糖とミルクのおかげでいい塩梅の苦味と甘みが口の中に広がった。


「で、道すがらだいたいの事情とかサクラがどうしたいかを聞いたけど……」


「は、はい」


 さすがに個人名は避けているが、大抵の話は吐き出した。

 アリスは終始ぼんやりしていたが、性根が真面目な彼女のことだ。

 しっかりと考えてくれているに違いない。


「……………………めんどくさいね~」


「先輩ぃ……」


 ダメだった。


「そんな目で見ないでよ。銀鏡だって色恋沙汰なんてわかんないんだからさ」


 まあ、昔は恋愛相談されることも多かったけど。

 アリスは昔を懐かしむように少しだけ目を細めた。


「だから銀鏡はアスリートとして、競技者としての心構えを教えてあげる。まず、その試合に関わる諸々の事情は捨てなよ。一旦頭から追い出しちゃいな」


「い、いや、それが無理だって話で……」


「うん。だから追い出すための考えの道筋を作ってあげるよ。そうだね……君の対戦相手はかなーり本気で来るでしょう」


「それは、まあ」


 同じ立場なら、サクラだって死に物狂いで挑むはずだ。


 もちろん勝てば相手の心まで手に入るわけではない。

 あの聡明なアンジュならそれくらい理解しているだろう。


 その上で彼女は条件を出して来た。

 それは退路を断つことと同義。

 彼女の条件の本質は、『サクラに勝てば付き合ってもらう』ではなく、『サクラに勝てなければすっぱり諦める』の方なのだ。


「そんな相手に『どう向き合えばいいかわからない~』なんて悩みでまともに戦えなくて負けたとして、相手はどう思うんだろう。喜ぶのかな?」 


「…………思わないでしょうね」


 むしろ激昂するような気がする。

 アンジュはプライドが高く、そして誇り高い。

 侮辱されたとさえ感じるだろう。


「相手のことを本当に考えるなら、サクラは試合のことだけ考えて本気で挑むべきなんだ。それ以外のことは終わった後の自分に任せればいいんだよ。それが結局いちばん相手のためになるんだから」


 そう言ってコーヒーをすするアリスの白い横顔は、いつもより一層大人びて見えた。

 ひとつ年上というだけで自分とは別の生き物のように感じてしまう。

 あと一年ぽっちでこの人のようになれる気はしない。


「あたし、アンジュちゃんの気持ちを考えてたつもりで全然考えられてなかったんですね……結局自分のことばかりでした」


「……まあそこまで自分を追い詰めなくてもいいと思うけどね」


 その優しさは嬉しいが、ちょっとだけ痛い。

 自分がアンジュに向けていた気持ちは、これに少し似ていたのかもしれない。


「よし、決めました! あたしは全力でアンジュちゃんと戦います。それで、勝ちます!」


 思えば彼女にまともに勝ったことはない。

 入学式の初日の試合ではクオリアが使えず惨敗。

 次の日、退学をかけた試合では不意打ち気味の勝利。

 昇格試験で勃発した戦いでは、やはり惨敗。


 今度こそ勝ちたい。

 アンジュに勝てば、また少し自分を認められるような気がする。


「うん、いい顔になった。……今日は遅いしそろそろ帰ろうか」


「はいっ!」 


 アリスにとってのサクラは放っておけない後輩だった。

 前と比べると見違えるほどに強くなったものの、何はともあれ危なっかしい。

 それに昔の自分と似ているところもあって――そのせいでもどかしい想いをすることもあったが、今はこの後輩のために何かをしてやりたいと、そう思っていたのだ。

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