6.約束の明日


 最初に感じたのは、鼻を突く消毒液の匂いだった。


「…………はっ!」


 知らない天井だ。

 天井は白く、壁紙も白い。周囲は合成繊維のカーテンに囲まれている。

 ベッドに寝ていたらしいと薄ぼんやりする頭で把握した。


「誰かが勝手にあたしの部屋をリフォームした……?」 


「アホか」 


 首をひねるサクラに外から吐き捨てるような罵倒がぶつけられた。

 乱暴にカーテンが開かれると、その向こうには白衣を着たガラの悪そうな女性がいた。


「保健室だよ。見りゃわかんだろ」

  

「言われてみれば!」 


 清潔な内装は確かにその女性の言う通り、保健室のそれだ。

 それにしてもどうしてベッドで寝ているのだろうか――と昨夜の記憶をたどると、視線が左手首に行く。


「ああーーっ!!」


「うるせえ! どこだと思ってんだまったく」


 まだ朝七時だぞ、そうでなくても深夜から仕事させられてんのによー……と女性は苛立った様子で口にくわえた電子たばこを揺らす。

 だがサクラはそんな彼女を気にしている余裕は無かった。

  

 そうだ、昨日の夜散歩に出たらハルが徘徊していて、それを追いかけたらダンジョンのようなおどろおどろしい空間に迷い込んだ。

 そして、謎の声に導かれて恐ろしいモンスターと戦い、倒した……。


「そうだ、ハルちゃん、ハルちゃんは……ハルちゃん怪我してて、助けないといけなくて、それで……」


 確か怪我をしていたはず。

 あからさまに狼狽えるサクラに女性は舌打ちし、


「隣のベッドで寝てる。あまり騒ぐな鬱陶しい」


 聞くが早いかサクラは仕切りのカーテンを開けて隣を覗き込む。

 白いベッドにはハルが横たわっていて、穏やかに胸が上下している。

 無事だ。


「良かったあ……」


 安堵するとどっと疲労感がやってくる。

 思わず項垂れると、自らの左手首が目に入った。

 あの時ぐちゃぐちゃに潰されたはずの手首は、少しだるさは残るものの綺麗なままだった。

 あれはやはり夢だったのだろうか――と考えて、そうではないことに気づく。

 綺麗な左手首が見える。それはつまり、その手首に巻かれていたリミッターが外されているということ。


「探し物はこれか?」


 突然放り投げられたものを慌てて受け取る。

 それは、腕時計に似た腕輪。円盤型の画面は割れ、ベルト部分はひしゃげている。

 全体には赤黒く固まった血がべっとりとこびりついていた。


「わー……えっとその、ありがとうございます……お姉さんはいったい?」


 再び『見りゃわかんだろ』と言いたげに後頭部を掻くと、女性は溜め息をついた。


「養護教諭。新子あたらし


 端的に答えると、電子たばこをマズそうに吸い込む。

 茶髪に金が混じったプリン頭に、眇められた目はかなりガラが悪そうだ。

 しかし、深夜から仕事をさせられていたという口ぶりから察するに、何らかの方法で――おそらくはあの声の主がここに運んできたサクラの面倒をずっと見てくれていたのだろう。


「先生はとっても優しい人なんですね! ありがとうございますっ!」


「うざ。黙れ」


「ひどい!?」


 これが養護教諭の態度だろうか。

 保健室の先生と言ったら包容力があって優しくて美人でちょっとえっちな感じで……ではなく。

 サクラは偏ったイメージを振り払いつつ尋ねる。


「あーうるせえうるせえ。お前は他人より自分の心配をした方がいいと思うんだよな私は」


「え?」


「お前の目が覚めたら面談室に行かせろって教頭がな。すげえ剣幕だったよ」


 手の中のリミッターがざらりとした感触を伝えてくる。

 激闘の後、目覚めて――しかし波乱はまだ終わらないらしい。




 * * *




「リミッターを壊すだなんて、いったい何を考えているのですか!!」 


 金切り声が響く。

 呼び出された面談室で、サクラは教頭の叱責を受けていた。

 シックなアンティークのテーブルを挟んで三人掛けのソファが二つ。

 その片方にはサクラが座って俯いており、向かい側には教頭と、目を閉じて腕を組み沈黙を守る生徒会長――最条キリエがいた。

 

 テーブルの上には話の中心であるサクラのリミッターが変わり果てた姿で転がっている。


「……ご、ごめんなさい!」


「ごめんで済む話ではありません! このリミッターはただの身分証ではないのです。この学園の生徒であることを証明する由緒正しき特注品なのですよ! それをあろうことか入学初日に壊してしまうなんて前代未聞です!」


 どうせどこぞの誰かと喧嘩でもしたのでしょうが――――くどくどくどくど、とマシンガンのように叩きつけられる声にサクラは背中を丸めるのみだった。

 保健室の新子先生が言っていた、自分の心配をした方がいいという言葉はこのことだったのか。

 どうやらこの腕輪は思った以上に大切な代物だったらしい。


 考えてみれば当然だ。

 リミッターが無ければ、クオリアは制限なしに人を傷つけてしまう。

 サクラはあのモンスターを倒した時に感じた凄まじい力を思い出す。

 そうでなくてもこんな明らかにオーバーテクノロジーなデバイス、いくらするのか想像もつかない。


 ハルを助けるという理由があったとは言え、そんなリミッターを故意に壊したのは確かだ。

 

「あの、先生……あたしってやっぱりこの学園都市から出ていかないといけないんでしょうか……」


 震えた声で問うと、教頭は眉をひそめた。

 

「何を言っているのですか?」


「そうですよね、そんなわけ…………」


「当然でしょう、そんなこと」


「やっぱり!」


 サクラは悲鳴を上げた。

 退学など冗談ではない。そうなれば学園都市に来た意味がない。

 憧れが潰える。目の前に座っているキリエのような選手になるという夢が遠のく。


 絶望に震えるサクラの向かいに座る当のキリエが目蓋を開いた。


「――――教頭先生。その罰はいささか行き過ぎかと存じますが」


「あなたまで何を言っているのです! 入学早々リミッターを壊す問題児、それに加えクオリアが使えない落ちこぼれ! そもそも実力の無い者がこの学園にいること自体が、」


「実力があればいいわけだね?」


 その声は、滑り込むようにして部屋に響き渡った。

 一同は思わずその声の方向を見る。

 面談室の入り口のドア、そこには一人の女性がいた。


 女性と言ってもかなり小柄で若く見える。

 それがサクラと同じ生徒に見えなかったのは、彼女がOLのようなかっちりした服装をしていたからだ。

 

「最条学園長!」


 教頭が思わずといった様子で立ち上がる。

 学園長と呼ばれたその女性は金色の髪をなびかせて悠々と歩み寄り、サクラの隣に座る。


「おばあさま……」


「お、おばあさま!?」


 キリエの零したその台詞に、この見た目で!? とサクラは驚愕する。

 どう見ても同い年かそれ以下にしか見えなかった。

 それによく見てみると見覚えのある顔だ。


「久しぶりだね、サクラちゃん♪」


「もしかしてスカウトに来てくれた……?」


 ぱちんと繰り出されたウィンクに唖然とする。

 一年ほど前、自宅に来たスカウトウーマンがそこにいた。

 サクラたちが混乱に陥る中、理事長は余裕たっぷりにほほ笑む。


「追放なんて穏やかじゃないなあ」


「妥当です! リミッターを壊すなんて由緒正しき最条学園では前代未聞ですよ!?」


「確かにそうだね、本来なら全くの無罪とはいかないだろう。しかしこの最条学園は実力がものを言う世界だ。だからサクラちゃんには実力を示してもらおう」


「え?」


 思わず首を傾げるサクラに、学園長はその幼い顔を楽しそうに緩める。

 心の底から楽しそうに。


「模擬戦で戦ったあの子……ええと、誰だったかな」


「山茶花アンジュです。……ちょっと待ってください、この子はまだ、」


 何かを言おうとしたキリエを遮るように、学園長は得心いったように頷いた。


「そう、その子。これからサクラちゃんにはその山茶花ナニガシちゃんと再戦し、勝ってもらう。負けたら退学ってことで」


「ええええ!?」 


 サクラの絶叫が響く中。

 そんなこんなで、サクラは戦いの舞台へと立たされることとなったのだった。




 * * *




 第三体育館には大勢の生徒が詰めかけていた。

 一年のみならず、多くの上級生までが二階の観客席でアリーナを見下ろしている。

 まだ始業のチャイムが鳴る前だ。だというのにこれほどの生徒が集まっているのは理事長がSNSで触れ回った結果バズり散らかした結果らしい。

 サクラもとりあえずフォローしておいた。してる場合ではなかったかもしれない。

 なにせこれからサクラの今後を賭けた試合が始まるのだから。


「まさかあなたともう一度戦うなんて思いませんでしたわ」


 アメジストの瞳を冷たく眇めるアンジュ。

 すでにサクラと共に正方形のエリア、試合場へと足を踏み入れている。


 辺りから飛び交う野次は単純に面白がっているのが一割、残りはサクラを嘲る内容だった。

 アンジュはその野次を払うように鼻を鳴らす。


「聞きましたわよ。無様に負けて、その夜にリミッターを破壊……追放も当然ですわ」


 アンジュの視線がサクラの手首に注がれる。 

 そこには非常時に使用される予備のリミッターが装着されていた。

 これが使われるような事態は極めて珍しいそうだが。


 どうせまたアンジュさんに負けるんだからさっさと諦めればいいのに――そんな声がエリアのすぐ外から聞こえてくる。

 アンジュの近くにいた取り巻きのものだろう。

 落ちこぼれが自棄になったんだ、と口さがない者が罵った。


 非情な空気が蔓延していく、その時だった。


「サクラちゃん!」


 体育館の入り口。

 そこに今しがた駆け込んできたハルが立っていた。

 息を荒げてはいるが、どこにも傷はない。本当に無事だ。

 その事実を確認し、サクラは思わず破顔する。


「ハルちゃん」 


 静かに頷き、対戦相手のアンジュへと向き直った。

 不安に凍り付きそうだった心に熱が灯る。

 先ほどまでのサクラとは違う、その瞳には強い意志が宿っていた。

 アンジュ自身もそれに気づいたのか、わずかに瞳を鋭くする。

 

 準備ができたと見て取ったのか、審判を務める教師が手を挙げた。


「それでは山茶花アンジュ対天澄サクラの模擬戦を開始する。始め!」


 降ろされた手に、まず動いたのはアンジュだった。


「出なさい、衛星ッ!」


 アンジュの能力である岩のクオリアが発動し、周囲に六つのサッカーボール大の岩塊が出現した。

 その技の名の通り、岩塊は衛星のごとく主の周りを公転している。


「落ちこぼれには引導を渡して差し上げます!」


 六つのうち三つの岩塊が三方向から襲い掛かる。

 前回は二つでもかわしきれなかった。

 回避ルートを潰し、絶対に直撃する軌道だ――もし前回と同じであれば、だが。


「何!?」


 アンジュは驚愕に目を見開く。

 三つの岩塊の隙間を縫うようにして、サクラが俊敏な動きでくぐり抜けたのだ。

 間一髪、すぐ横の床に岩が突き刺さり、ゆっくりとアンジュの手元に戻っていく。


「やっぱりそうなんですね」


 衛星は複数の岩を同時に操る都合上、脳のリソースを多く使う。

 だから攻撃後は手元に戻るという動作を自動化することで扱いやすくしているのだ。

 そしてそれは同時に、傍に着けていない岩は自由に操作できないことを意味していた。


(まさかこの子、それに気づいて――?)


 矮小な存在に見えていた少女が、ここに来て得体のしれない存在へと昇華しつつある。

 その事実にわずかな恐れを感じたアンジュは振り払うように声を張り上げる。


「……あなたのような人には何も為せない! 何者にもなれはしないのです!!」


 アンジュの射出した岩塊は六つ全て。

 それらはがっちりと合わさると一つの巨大な隕石のごとく姿を変えて、一直線にサクラへと突き進む。


(わたくし渾身の一撃! これを防げる方など上級生にだってそうそういませんことよ……!)

 

 アンジュは勝利を確信した。

 目の前に迫る巨大な岩石。しかしサクラは臆さない。

 渾身の力で跳躍すると岩に着地、そこを足場としてさらに跳んだ。


「なっ……!?」


 アンジュの眼前には、飛び込んでくるサクラの姿。

 その指先が銃口のごとく額に突きつけられる。


「――――なります。絶対に。キリエさんみたいな選手に! だから……勝ちます!」


 前とは違う。サクラはもう知っている。

 自分の力を。その使い方を。その形を。


「雷の……矢!」


 リミッターなど関係ない。

 あのモンスターと戦った時と同じ。


 指先から飛び出した細くも鋭い雷はアンジュの額に直撃した。

 

「う……そ……」


 一瞬の出来事に、誰もが開いた口の塞ぎ方を忘れた。

 しんと静まり返った体育館に、アーマーの砕ける音とアンジュの倒れる音がこだました。

 動揺の中、ゆっくりと審判の手が再び上がる。


「ぶ、ブレイク。……勝者、天澄サクラ」 


 わっとそこかしこから声が上がる。

 ほとんどが驚愕。

 しかし、わずかにではあるが、判官びいきの生徒が挙げた歓喜の声。


『なんなのあの威力!』『まるでキリエ様みたいな……』


 喧騒に包まれ呆然とするサクラは、突然弾かれたようにハルへと駆け寄った。

 

「ハルちゃーんっ!」


 飼い主に呼ばれた子犬のように飛びつくと、あまりの勢いに支えきれず、二人して床に倒れこむ。

 ハルは笑っていた。サクラも笑っていた。

 誰もが信じられない結末。しかしハルには心のどこかでわかっていたような気がした。


 サクラがここで終わるような子ではないと。


「サクラちゃん、すごいよ……!」


「ありがとうハルちゃん、全部ハルちゃんのおかげです! あの時信じてくれて、ほんとにありがとう……!」


 サクラは初めての勝利をつかみ取り――そして。

 今日から始まる”約束の明日”の学園生活を勝ち取ったのだった。

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