第二章 四月 周回遅れのあたし
7.初日から呼び出しってまずいですか?
理事長室に満ちる静寂を、張りつめた声が震わせる。
「一体どういうことですか」
部屋の奥の机に腰を落ち着ける理事長に食って掛かるのは、その孫であり最条キリエ。
金の髪が靡き、血のように赤い瞳が鋭く細められる。
「
真剣そのものといった表情のキリエに対し、理事長は悠然とした笑みを湛えている。
その歳に見合わない若々しい相貌には愉悦と関心が満ちていた。
「さあ、なぜだろうねえ。私も大変気になるところではあるよ」
「あなたが何を考えているのか、私にはわかりません。……昔から」
「他人の考えが理解できるなんて傲慢だとは思わない? 仮に読心の力を使ったところで暴ける想いは氷山の一角だ」
ねえ? と首を傾げてにっこりと笑う理事長に、キリエは気分を害したように眉を寄せた。
「なら、他人のことは諦めろということですか」
「違うね。だからこそ理解を試みるのを諦めてはいけないということだよ。例え理解しきれなくてもね――錯羅回廊も同じ。私はアレを知りたいし、知らなくてはならない。だから可愛い孫にも協力してもらっているんだよ」
はあ、とキリエは珍しく人前でため息をついた。
どうもこの人とは馬が合わない。
どれだけぶつかって行ってものらりくらりと躱される。暖簾に腕押しとはこのことだと思った。
「……失礼します」
「素直な子は好きだよ。特にあの
この学園都市において最強の名を持ち、輝くような存在感を放つ最条キリエも理事長の前では一人の生徒で、孫でしかなかった。
* * *
午前の授業が終了し、あとは担任の到着を待つだけになった。
初日ということで半日授業らしい。というか聞くところによれば基本的にこの学園の授業は午前中で終わるとのことだ。よくわからないが、これからのホームルームで説明があるらしい。
なんとか最条学園に留まることとなったサクラはめでたくハルと同じ1年1組に配属された。
クラス分けの基準は不明だが、入学時に行われた模擬戦の成績からクラスごとの戦力に偏りが出すぎないようにされているのではとの予想が有力……らしい。
「わたしも噂を耳に挟んだだけだけどね~」
サクラの席のそばに立ち、のんびりとした笑顔で言ったのはハルだ。
「あ、そうだハルちゃん、これ」
「これってわたしのリボン? 拾ってくれてたんだ……ほんとありがと」
サクラが差し出した赤いリボンをハルは大事そうに受け取ると、そのまま髪を結いなおす。
このリボンはハルが例のダンジョンに迷い込んだ際落としたものだ。
深く考えずに拾った結果、サクラまでダンジョンへ引きずり込まれることとなったのだが、仮にあの現象が無ければハルは死んでいたと思うとぞっとする。
「そうだ、あの時あたしの怪我を治してくれたのってハルちゃんですか?」
サクラがモンスターとの戦いで負ったのは全身打撲と左手の深い裂傷および粉砕骨折。
どう考えても一晩で治る怪我ではない。つまりクオリアによって治癒されたと考えるのが自然だった。
しかしハルは違う違うと申し訳なさそうに否定した。
「わたしもあの時ずっと気絶してたみたいだからね~……サクラちゃんのこと、治せたら良かったんだけど……」
「そんな、良いんですよ! あたしが勝手に戦った結果ですし。あ、それなら誰が治してくれたんでしょうか」
「保健室の新子先生だよ。ぶっきらぼうだけどいい人だよね」
サクラちゃんが目覚めてすぐ模擬戦することになったのにも反対してたんだって、とハルは補足した。
確かに彼女は夜通し面倒を見てくれたとのことなので良い先生だという評には間違いなさそうだ。
事実、しっかり治してくれたおかげでサクラはこうしてこの学園の生徒としての第一歩を踏み出すことができた。
そんなサクラの在籍する1-1の教室は学園生活初日ということもあってか教室は活気に満ちている。
ただ、その中でもぽっかりと穴が空いたように静まり返っているスペースがあった。
いや、静まり返っているというよりは、一人が遠巻きにされていると言うべきか。
「……………………」
足を組んで自分の席に座っている、山茶花アンジュ。
今朝サクラと模擬戦を行い勝利した相手だ。
昨日も今日も取り巻きを引き連れていた彼女だったが、今は代わりにメイドが一人いるだけだ。
そう、メイドだ。アッシュカラーの髪を巻き、メイド服に身を包んだサクラたちと同年代の少女が傍についている。
「ねえハルちゃん、メイドさんがいますよメイドさん!」
「ほんとだね。しかも本物っぽいよ」
「やっぱりお嬢様なんですね……!」
メイドが教室に佇んでいると中々に違和感が強いが、周囲にはわりと受け入れられているようだ。
学園都市ではそこまで珍しくないのかもしれない。
取り巻きは別のクラスに振り分けられたのかと思えば、教室の後ろの方に見覚えのある顔ぶれが固まっていた。
それもアンジュを見ながら声を潜めるようにして何かを話し合い、時折くすくすと笑っている。
どうしたんだろう、と首をひねったサクラだったが、教室内のスピーカーがかすかなノイズ音を立てた。
『――――1年1組の天澄サクラさん。至急生徒会室までお越しください。繰り返します。1年1組の――――』
そんな校内放送に教室が騒然とする。
またもや視線を集める中、一番動揺していたのはサクラ本人だった。
「あ、あたし何かしちゃいました?」
「さすがに初日からそんな……でもHR前なのにわざわざ呼び出すってことはよほど急ぎの用だったりして」
「おどかすようなこと言わないでくださいよう……」
震えたくなってくる。
しかしこうしてはいられない。
仮にハルの言う通り急ぎの用ならば、急がなくては。
「それでは天澄サクラ、行って来ますっ!」
明るく敬礼をしてサクラは教室を後にした。
「元気だなあ、サクラちゃん……」
どんどん遠のいていく足音を聞いていると、「走るなー!」と叱る教師の声と、「ごめんなさーい!」と謝る声が聞こえて、ハルは思わず苦笑した。
* * *
「ひ、広すぎる! この学校広すぎる!」
生徒会室の場所をよく知らないまま走り出したサクラは五階建て×四棟構成の巨大な校舎の洗礼を受け、やっとのことで目的地にたどり着いた。
広すぎることに対する配慮なのか支給されたスマホには最条学園の敷地内に対応した地図アプリがダウンロードされているのだが、それを使ってなお迷ってしまった。
サクラが地図を読めないのか、それとも学園の構造が複雑すぎるのかは議論の余地があるかもしれないが。
何はともあれ到着した。
シックな木製の扉を前に、サクラは深呼吸をする。
「失礼になったらダメだぞあたし……! いや、もう遅刻してるから失礼かも?」
まごついている場合ではない。
意を決してノックすると「入ってくれ」という返答が聞こえた。
「し、失礼します!」
ぎこちない動きで開けた扉をくぐり、ぎこちない動作で会釈しつつ入ったサクラを迎えたのは二人。
生徒会室奥の立派なテーブルとイス――おそらく会長用の席なのだろう――に腰を落ち着けているのが最条キリエ。
学園都市最強の
いつ見ても眩しいまでの美しさに、思わず目を細めたくなってしまう。
そして。
「…………」
中央の長机に着いているのはもう一人の上級生だ。
無言のままサクラを一瞥したかと思うと、興味なさげにノートPCのキーボードを叩く。
その横顔に、サクラは思わず呆然とした。
なぜって、その上級生があまりに美しかったから。
顎のあたりで切りそろえられた髪は紫がかった薄い色で窓からの陽射しを浴びて輝くよう。
伏せられた同じ色の瞳に影を落とす睫毛は長く艶めいている。
どこをとっても華奢な身体は触れれば折れそうという表現が誰よりも似合っていた。
キリエも相当に美しい外見をしているが、彼女はまた違った儚げな魅力を湛えている。
この光景をスマホのカメラで適当に撮影するだけで商品として成立してしまいそうなくらいに絵になる二人だった。
ただ、知らない上級生の方は無表情で黙っているのでかなりの絡みづらさを感じる。
キリエは部下のそんな様子に苦笑しつつ、
「来てくれてありがとう。ああ、そこに座っているのは副会長の黄泉川ココだよ」
「ふ、副会長さんですかっ! 1年の天澄サクラです、よろしくお願いします!」
ぺこり、と90度に頭を下げるサクラ。
ココは涼やかな視線を向けると小さく頷いた。
「知ってる」
「えっと……」
「ココ……前々から思っていたんだが、君はもうちょっと愛想というものを持った方がいいんじゃないか」
「……はあ。そういうの苦手なのよ。あなただって知ってるでしょ」
空気がひりついたような気がした。
流れる冷や汗。
キリエとココのやりとりで部屋の気圧が何倍にもなったように感じた。
今すぐ逃げ出したい。
しかしサクラはぐっと両手を握りしめ、
「な、仲良くしましょう! その……喧嘩は良くないって思います!」
ねっ! と精いっぱいの笑顔を二人に向ける。
漂う沈黙。揃って唖然とする二人。
これは違ったかもしれない……と冷や汗の量が三倍くらいになりかけた瞬間、ぷっと噴き出す声がした。
「あっはははは! 面白い子だなあ君!」
「え? え?」
腹を抱えて笑いだすキリエ。
テレビや入学式で見ていたのとは違う砕けた姿に、サクラは思わず困惑する。
「いや、心配してくれてありがとう。私たちはいつもこんな感じだから大丈夫だよ。な?」
「はいはい。それより、本題に入りなさい。天澄さんも、立ったままもなんだしそこに座って」
……どうやら仲の良さゆえの遠慮の無い言い合いだったらしい。
力を抜きかけたサクラだったが、もともとここを訪れたのは何か話があってのことだった。
言う通り着席すると、キリエの纏う空気が変わる。
「――――さて、話というのは他でもない。昨夜の出来事についてだ」
昨夜といえば、当然リミッターが壊れたことについてだろう。
つまり、あのダンジョンについて話さなければならない。
しかし信じてもらえるのだろうか。いや、そもそもこうして呼び出されるということは咎められるのでは。
いや、キリエは校長に詰められた時には庇ってくれていたはず……。
そんな風にぐるぐる思考を巡らせるサクラを見かねたのか、キリエは柔らかい笑顔を浮かべた。
「ああ、責めたりリミッターの件を蒸し返したいわけではない。話したいのはあの
「え、なんで最条先輩があのことについて知って……」
その時、頭の中に声がした。
『聞き覚えがあるだろう?』
「あっ、頭の中に直接! ということは」
「そう。私があの時君と話していた”声の主”だ」
声の主。
サクラがダンジョンに迷い込んだとき助けてくれた何者か。
その本人が今、目の前にいた。
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