4.過去より抉る楔


 真夜中に徘徊するハルを追い、謎のダンジョン的異空間に迷い込んでしまったサクラ。

 入り口も出口もが見当たらず、どうやって元の場所に帰ればいいのかわからない。そしておそらくハルはこのダンジョンに迷い込んでいる。

 この、肉と骨と血のような霧に彩られた洋館に。


「ハルちゃんを探さないと……!」


 と、最初のうちは意気込んでいたのだが。




 * * *




 完全に迷った。

 洋館の廊下は網目状に張り巡らされているらしく、そのうえ景観がほとんど変わらないので、行っても戻っても同じ景色でろくに判別がつかない。

 散歩に出た時に起動した地図アプリは当然のように沈黙し、役割を放棄していた。


「こんなことしてる場合じゃないのに……!」

 

 現在サクラは高級そうな洋タンスの影で身を隠していた。

 そんなタンスもまた毒々しい肉が這いまわっていて、できればあまり近づきたくない。

 このダンジョンに迷い込んだとき拾ったハルの赤いリボンを握りしめ、こっそり廊下の奥を覗いた。


 なぜサクラがこうして隠れているかというと、何匹ものモンスターが徘徊しているからだ。

 そう、モンスターである。

 サクラの視線の先ではカッターナイフや包丁やハサミなど、身の回りにあるありとあらゆる刃物が寄せ集まって出来たようなカニが洋館の廊下を歩き回っている。大きさはだいたい中型犬くらいだろうか。

 殺傷力という言葉を具現化したかのような外見で、飛びつかれでもしたらひとたまりもないことは明らかだった。


 こんな状況のサクラだったが、ただ身を隠していただけではない。

 刃物カニの視界――目が確認できないので視界があるのか定かではないが――を掻い潜ったり追い回されたりしながら、少しずつだが歩を進めている。

 進んではいるものの、問題はハルの居場所が一切わからないことだった。


(自分の居場所もわからないんだけど)


 もし本当にこんな場所にハルが一人で迷い込んでしまったとしたら。そんな恐ろしい想像を首を振って追い出す。


「…………今!」 


 刃物カニが通り過ぎたのを見て次の物陰に飛びつく。

 ひとまず胸を撫で下ろすと、トランシーバーにも似たかすかなノイズが頭に走り、直後”声”が聞こえた。


『――――よし繋がった……! 君、どうしてこんなところにいるんだ!』


「えっ!?」


 思わず上げてしまった声に慌てて口を覆う。

 そのまま周囲を見渡すが近くに人影はない。モンスターにも気づかれていないようだった。

 ほっと胸を撫で下ろすも状況は変わらない。脳内に響くこの声は一体?


『誰ですかどこですかもしかして幻聴!? そうですよね、こんなSすごくFふしぎな世界なら幻聴だって起きますよね!』


 テンパってまくしたてるように心の中で叫んでみると、”向こう”の相手が慌てたような気配がした。


『いや幻聴ではないって! ……なあ、念話って幻聴じゃないよな? ……違う? だよな』


 何やら自己完結しているが、会話が成立したことを考えると本当に幻聴ではないらしい。 

 念話と口にしていたが、いわゆるテレパシー的なアレだろうかとサクラは考える。

 ならば離れた場所から誰かが話しかけてきているということか。


『こ、これが脳内に直接……というやつなんですねっ!』


『……とりあえず落ち着いてみようか、君。ほらすーはーすーはー』


『すっすっはっはっ』


『ジョギングしてるんじゃないんだぞ』


 少し低い声の突っ込みに、思った以上に自分は動揺しているらしいとだんだん恥ずかしくなってくる。

 言われた通りに深呼吸を繰り返すとだんだん冷静になってきた。


 念話の相手は誰かわからない。

 一文字ごとにボイスチェンジャーが切り替わっているような感じで、本来の声が判別できないのだ。

 ただ、その声に宿った頼もしさというか、安心感のようなものだけは不思議と伝わってくる。

 

『もう一度聞く。君はどうしてここに?』


 落ち着いた口調。

 他に頼れるものがない今は相手の言うことを聞いた方が良さそうだ。


『どうしてっていうか……眠れなくて散歩してたらハルちゃん……友達を見つけて、追っかけてたら消えちゃって……気づいたらあたしもこの変な場所にいたんです』 

 

『……どういうことだ……』


『あのー?』


『いや、何でもない。君が今いる場所はわかるかな。どんな景色が広がってるだとか』


 その言葉に、サクラは改めてあたりを見回してみる。

 何度見てもおどろおどろしい、現実感の無い場所だ。


『洋館みたいな場所です。壁や天井に肉とか骨みたいなのがうじゃうじゃ這ってて……あと刃物が集まったカニみたいなのがそこら中うろうろしててすっごく困ってます』


 できる限り詳細に伝えると、念話の声が息を呑んだ。


『第五層……ッ!? どうしていきなりそんな深層に……!』


『もしかしなくてもやばいですか』


『富士山に全裸で登るくらいにはやばい』


 それはもう、死だろう。

 自分の立たされた状況の危険度を再確認して思わず生唾を飲み込む。


『とにかく君はそこでじっとしていろ。ここから向かうとなると少しかかるが、絶対に君を助けに行く』


 強く心の通った声。

 この絶望的な状況で、やっと救いの手が差し伸べられたのだと少し安堵した。

 相手の顔も声もわからない。それでもなんとなく、この人は信用できるような気がする。


 だがサクラは自らを戒めるように自分の頬を叩く。


『ごめんなさい、できません』


 返したのははっきりとした拒絶だった。

 念話の相手は狼狽した様子で、


『何を言ってるんだ! そこが危険な場所だと身を持って知ったはずだ』


 確かにそうだ。

 嫌というほど追いかけ回されたし、攻撃までされた。

 襲い掛かってきたカニの刃爪が壁を深く切り裂くのだって目の当たりにした。

 息を潜めて隠れるだけでも寿命が縮むような思いだ。


 助けてもらえるのなら諸手を上げて賛成したいところなのは確かだが――――しかし。


「ハルちゃんが……友達がいるんです。きっと。ここに」

 

『……確かにもう一人の存在を君のいる階層に確認した。だが、そちらも私たちが救出するから、危ないことはしないでくれ』 


 きっと声の主はこの場所についてよく知っている。そして危険度もサクラとは比べ物にならないくらい理解しているのだろう。

 サクラ自身、おかしなことを言っているのは自覚している。

 だとしても譲れなかった。天澄サクラにとって、この学園都市に来て初めて出来た友達を放っておくことなどできるはずがなかった。


『こんな場所でじっと待ってたらハルちゃんのほうが危ないんじゃないでしょうか』


『……っ』


 その可能性は考慮していたのだろう、念話の向こうで言葉が詰まった。

 こんなモンスターがそこかしこを徘徊している状況だ。一刻を争うのは間違いない。

 

『あたしと話しているように、ハルちゃんとも念話をすることはできませんか?』


『いや、さっきから繋がらない。おそらく意識を失っていると考えられる……少なくとも生きてはいるようだが』


『ならあたしが探します。お願いです、あたしが行かないとダメなんです!』


 必死の訴えにしばしの沈黙が降りる。

 数秒、いや数十秒か。耐えきれずにサクラがもう一度口を開こうとした直前、


『いいだろう、ハルさんのいる場所へ案内する。なんとかモンスターに見つからないように進んでくれ』

 

『あ、ありがとうございますっ!』


『そうだ、君のクオリアは? 能力によっては進みやすくなるんだが』 


 その問いに思わず閉口する。

 クオリア。

 サクラが今日使おうとして失敗した力。

 まるで何かにせき止められているかのように、発揮させてくれなかった。


『……使えないんです。今日の模擬戦でクオリアが発動しなくて……』


『君は……そうか』


 念話の相手は気づいたようだった。

 ほとんどの生徒や教師が見ていたあの模擬戦――もしかしたら声の主は最条学園の関係者なのかもしれない。


『だったらなおさら気を付けて進もう。……そうだ、案内する間に君のことを教えてくれるか? もしかしたら助けになれるかもしれない』


 どうしてそんなことを聞くのかわからなかった。

 しかし、その傷口を労わるような口調に悪意は感じられない。

 だからサクラは静かに口を開き、語りだす。


 彼女が、自分が異能力者だと気づいた日のことを。


 


 * * *




 天澄サクラはごく普通の一般家庭に生まれたごく普通の少女だった。

 そうでないと自覚したのは――思い知らされたのは、小学五年生のある夏の日。

 

 親友と初めての口喧嘩をした。

 夏の夕日が降り注ぐ校庭で、サクラとその親友は言い争いになったのだ。

 きっかけは覚えていない。記憶に残らないほど些細なことだったのだろう。


 だが、問題だったのはその口論がただの糾弾だったことだ。

 心無い言葉をまくしたてる親友。サクラがいくら弁解しても聞き入れてもらえない。

 

 そんな怒りと悲しみの渦へ放り込まれ、サクラの感情は暴走した。

 心はクオリアの根幹だ。荒れ狂うサクラの心は、内に秘められていた異能を無自覚に解放した。

 

 バチン、という異音が鳴ったのを覚えている。

 それが何かサクラ本人にもわからないまま――事態は起こってしまった。

 

 何が起こったのか、今でもよく思い出せない。

 ただ、その時とてつもない雷鳴が轟いたことだけは確かだ。


 力の止め方はわからなかった。なぜなら使い方を教わっていないどころかその力の存在すら知らなかったからだ。

 学園都市でクオリアを目覚めさせてもらい、それから使い方を教わる普通の能力者とは違う。

 その時のサクラには、それが自分から放出されたものだとすら理解できなかった。


 迸る雷は近くの木に直撃し、鋭い木片が大量に飛び散る。

 運よくと言っていいのか、サクラには掠りもしなかった。

 だが、親友の方はそうでなく。


 終わってみれば。

 サクラの目の前にあるのは焼け焦げてバラバラになった木の残骸と。

 そして、飛び散った木片で身体中を裂いた親友と――その親友が、サクラを見つめる怯え切った瞳だけだった。




 * * *




『……ばけもの、って。言われちゃったんです』


 洋館の廊下を走り抜けながら、サクラは口元に力ない笑みを浮かべた。

 それは、なにかに心を折られた人の顔だった。

 

 その顔は念話の相手には見えなかっただろう。

 しかし、その声色を耳にすれば、サクラが深い後悔と悲しみを抱いていることは容易に気づけたはずだ。


『君は……』


『ごめんなさい! いやあ暗い話でしたよね! えへへ、なんでしょうね、この話を家族以外にしたのは初めてなんですけど照れますね……!』


 無理やり話を打ち切りつつ廊下の角を曲がると刃物カニが見えた。慌てて立ち止まりつつ手近な棚に隠れてひとまずやり過ごす。

 音を殺して息をすると沈黙が漂った。


『……君は怖いんだね。だから模擬戦でクオリアを使えなかった』


『……っ』


 静寂が破られる。

 サクラは答えない。ただ、身体をわずかに震わせた。

 

『クオリアは心の力だ。メンタルが好調ならいつも以上の出力を発揮できるし、逆に落ち込んでいるだけで上手く扱えなかったりする』


 模擬戦の時のことを思い出す。

 あの時のサクラは言い知れぬ不安に押しつぶされそうだった。

 そんな状態で試合に臨んだ結果があの惨敗だ。


 声の主は穏やかに言葉を紡ぎ続ける。


『その過去で、君はその力を嫌というほど思い知っただろう。だからこそ自身のクオリアが孕む危険性を理解している』


 だから所持者を守ってくれる『リミッター』の存在が嬉しかった。

 この学園都市における戦いはあくまでスポーツであり、いたずらに人を傷つけるようなものではないと知った。


 だが、それでも誰かを傷つけてしまうのではないかという懸念は拭い去れなかった。


『君は対戦相手を傷つけるのが怖かった。だからクオリアが使えなかったんだ』


『……そうだったんですね』


 その言葉はすとんと腑に落ちた。

 サクラはよく知っていた。クオリアが容易に人を傷つけ――時には殺すことだってできるような力だと。


 怪我を負わせてしまったというのは、同時に怪我で済んだという意味でもある。

 一歩間違えれば親友はこの世を去っていただろう。

 だからこそ心の奥底で、自らの力を恐れ続けていた。


 ――――この力で、また誰かを傷つけるのか?


 その恐怖がクオリアの発露を塞いでいた。

 それは深く深く刺さった楔のようなもので、容易には抜けないだろう。

 それでも声の主は続ける。


『君は、優しい人なんだね』


『……そんなことないです。あたしは……』


『大抵の人はね、そんな状況に陥ってもうまく正当化して何となく乗り越えていくものなんだ。それは悪いことではないけど――過去と向き合い続ける事は尊いと、私はそう思うよ』


 言葉が出なかった。

 そんなことは無いと、そう言いたかった。けれどその声には言い知れぬ力が宿っていて、口を挟めなかったのだ。


『だから、あまり否定しないであげてくれ。いつか自分を認められる時がきっと来るから』


 本当は、こんな諭しに意味はない。

 一時的に痛みは和らぐかもしれないが、楔自体を取り除かなければ意味がない。

 そしてそれは当人以外には不可能だ。


 会話が止まり、廊下を進むサクラの足も止まる。


『突き当たりの扉に着きました。ここですよね?』 


『……ああ』


 サクラの目の前にあったのは大きな両開きの扉だった。

 この向こうにハルがいる。


 サクラは意を決して扉を押し開いた。

  

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