3.ターニングポイント
模擬戦の終了と共に下校の運びとなった。
本格的な学園生活は次の日、クラス分けが発表されてから始まるらしい。
あの後。
一方的な戦闘で敗北したサクラだったが、アーマーのおかげで目立った外傷無く模擬戦を終えた。
ただ、問題は勝敗ではなくクオリアが一切使えなかったことだ。
教師陣は敗北したサクラに視線を投げ何やら囁き合い、試合を観戦していた大勢の生徒は好き勝手に陰口を叩いており、侮蔑と嘲弄を向けられているのは明らかだった。
最条学園はクオリア養成のエリート学園だ。
先天的にクオリアを使えるとして特別に入学したサクラは言わばスポーツ特待生。
そんな彼女がクオリアを使えないとなれば、その立場が危ぶまれるのも当然のことと言えた。
『今のうちにここから出ていきなさい。クオリアも使えない落ちこぼれはこの学園に必要ありませんわ』
対戦相手のアンジュが言い放った言葉が脳裏にこびりついて離れない。
出ていく――つまり自主退学する。
そんなことはできない。できないが、このままクオリアが使えなくては学園側から同じ提案をされてもおかしくはない。
そうでなくても同級生からの評価は地に落ちてしまった。落ちこぼれ、という言葉が周囲から何度も漏れ聞こえてきて、明日からの教室での身の置き方がサクラにはわからなかった。
……そもそも身を置かせてもらえるのかもわからないが。
「サクラちゃん、元気出して。きっと調子が悪かったんだよ。明日にはきっと使えるようになってるよ」
夕暮れの帰路、隣を歩いていたハルが励ますようにぐっと拳を握ると、髪の赤いリボンが揺れる。
あんなことがあったのに、ハルはこうして一緒に居てくれる。
そう思うと少しだけ救われたような気持ちになって、思わず少し顔がほころぶ。
「あたしは大丈夫です! 落ち込んでなんていられませんからね」
ぐっと握った拳はしかし、ゆるゆると下げられる。
残った元気を総動員しても目の前に広がる現実は変わらない。
明々とした夕日でさえ自分のことを責めているような気がした。
「……本当に大丈夫?」
「え……」
降ろした手がハルの手に包まれる。
サクラを見つめる深緑の瞳は真剣なまなざしを放っていた。
これまで見てきた穏やかなハルとは違う、まるで別人のような。
「落ち込んだっていいはずだよ。だってなりたい自分があるから
その道が閉ざされそうになっているのだから、と。
その瞳は語っていた。
あなたはどうしてここに来たのかと。
それを、言葉にしてほしいと。
「あの人みたいに……最条キリエさんみたいになりたいんです。あの人みたいに戦って、みんなに希望を与えられるようになりたい」
昔、絶望に沈む自分を這い上がらせてくれたように。
そんな
「……そっか」
小さく息を吐いたハルの横顔が逆光で良く見えない。
ただ、サクラにはそれが少しだけ寂しげに感じられた。
「わたしもね、同じだったよ」
「ハルちゃんも?」
ハルは頷く。
「わたしも昔はバリバリ戦うキューズに憧れてたんだけどね。治癒のクオリアは戦いに向いてないからキューズは諦めて人の足りてない救護の道に進むべきだって両親や小中の先生によく言われてたんだー」
広げたハルの手に瞳と同じ深緑の光が宿る。
その光を見つめる表情には複雑な感情が宿っているように見えた。
クオリアは本人の意志では選べない。
どんなクオリアが宿るかは本人の意思や性格が強く反映されると言われているが、全員が全員納得のいくクオリアを持てるとは限らない。
「ハルちゃん、もしかして今も」
「ううん、今は全然割り切ったから。向いてることで活躍して一人でも多くの人を助けたいって思ってる」
そこで一度言葉を切ったハルは、サクラを強く見つめる。
「サクラちゃんも自分の決めた道を進もう。今日はめいっぱい落ち込んで、明日から一緒に頑張ろうよ」
目の前にいるのは、変わることを強いられた少女。
きっと様々な葛藤があったはずだ。その想いが痛いほどに伝わってくる。
本当に優しい子だ、とサクラは思う。
皮肉な話かもしれないが、そんなハルにだからこそ治癒のクオリアは宿ったのでは無いだろうか。
「……ありがとう、ございます。でも、どうしてそこまで言ってくれるんですか?」
「だってサクラちゃんは助けてくれたじゃない。リミッターのことを知らなくたって、立ち向かってくれたもん」
それがただ嬉しかったんだ、と。
ハルはそう結んだ。
今日この学園都市に来た時、確かな不安があった。
知らない場所に来てしばらくたった一人で過ごす。寂しさもあったのは間違いない。
だからこそ今日、ハルに出会えたことが奇跡のように思えた。
「あたし、ハルちゃんがいて良かったです」
柔らかな笑顔とともにこぼされたその言葉に、ハルは僅かに目を見開くと、
「……そっか。それならよかった」
その時、電子音が連続した。ハルの学生鞄の中からだった。
ハルは「ごめんね」と一言断ると音源であるスマホを取り出し通話に応じる。
「……先生。はい。……はい。わかりました。今から伺います」
通話を終えたらしいハルはスマホをしまうと小さくため息をつく。
「どうしたんですか?」
「あ、ごめんね。先生から呼び出されちゃって……学校に戻らなきゃ」
「じゃああたしも付き合いますよ!」
その申し出に、ううん、とハルは首を横に振った。
「サクラちゃん、今日は入寮手続きがあるんでしょ? 早く帰ったほうがいいよ」
「そうですか? じゃあ、また」
「うん、また明日ね〜」
そう言ったハルは手を振って来た道を戻って行った。
クラス分けもまだなのに先生から呼び出しとはなにかあったのだろうか。
キューズ志望でないハルは模擬戦を行わなかったのでその関係かもしれない、と適当に結論づけたサクラは一人で帰路を辿る。
「ハルちゃん、本当にいい子だな」
彼女は自分のことを信じてくれた。
クオリアを持たないのではないかという疑いを一切持たず、ただひたすらに励ましてくれた。
何度でも思う。ハルに会えて良かったと、心から。
「……もしあの時ハルちゃんがいてくれたら……」
微かな声は誰の耳にも届かず、夕焼けに溶けて消えた。
* * *
学生寮と言っても構造はワンルームマンションそのものだ。
ひとり暮らしには少し広めの1LDKに一通りの家具が揃っている。
最新式のシステムキッチンや調理器具などは料理できないサクラでは持て余してしまうが、総合的には至れり尽くせりと言えるだろう。
これで寮費はゼロだというのだからクオリア使いの好待遇具合には驚きだった。
そんな広々とした自室の中、サクラはベッドに横たわっていた。
すでに消灯された部屋には静寂が漂っている。
あれから寮にたどり着き、入寮の手続きを済ませ、先に到着していた荷物を最低限解いたりささやかな夕食を摂ったりシャワーを浴びたりしていたらとっぷりと夜である。
どっとのしかかる疲労感にぐったりしつつ、あとは寝るだけ……だったのだが。
(眠れない……)
身体は疲れているし眠気もある。
なのに寝付けない。
新しい環境。
今日経験した様々なこと。
明日からの不安。
そんな諸々がざわざわと胸のあたりにわだかまっている。
寝つきは悪い方ではないし、嫌なことは寝て忘れるタイプのサクラとしては珍しいことだった。
だからこそ、こんな夜の身の置き方がわからない。
「……だめだー!」
がばりと起き上がる。
このままでは煮詰まるだけ煮詰まってマイナス思考の煮凝りになってしまう。
その辺を散歩でもして気分を入れ替えることにしたのだった。
* * *
心地いい春の夜風が吹き抜ける中、寮の前の道をどこに行くでもなくとぼとぼ歩く。
馴染みのない街並みなので迷子防止に地図アプリだけは起動しておきつつ、街灯が落とす光を遮るように通り抜けた。
まばらな星空を見上げながら、最条学園のスカウトが家に来た時のことを思い返す。
『君には特別な力がある。ぜひその力を我々の学園で活かしてみないか?』
黒スーツでかっちり固めた女性はそう言った。
自惚れていたのかもしれない。
特別な力があると告げられ。
自分でも何かができるんじゃないかと――”何かができる自分”になれたんじゃないかと勘違いをして、舞い上がった。
力があっても使えなくては意味がない。
刃の無いナイフでは、何も切れない。
「うーっ、だめだめ! やるき! げんき! 前向き!」
うわーっ、と諸手を上げて空元気を出す。
瞬間、人影が前方に見えて、見られてしまったかと頬をほのかに赤く染めつつ腕を降ろす。
だがその人影はよくよく見れば背中で、こちらを見てはいなかった。
胸を撫で下ろすサクラだったが、その姿には見覚えがある。
「あれ、ハルちゃん……?」
川沿いの道の20メートルほど先をハルが歩いている。
亜麻色の髪に赤いリボン。その後ろ姿は間違いなく下校時に別れた
こんな時間まで制服のままで、その足取りは夢遊病者のように頼りない。
彼女は教師に呼ばれて学園に戻ったはずだ。
今帰ってきたところなのだろうか、と考えたがむしろハルが向かう先は学園方面。
忘れ物でもしたのかと思いつつ呼んでみることにした。
「おーいハルちゃーん!」
反応がない。聞こえなかったのだろうか。
そこまでの距離は離れていないはず。一瞬無視されているのではないかという考えがよぎったが、さすがにそれはない気がする。
(……なんだろう。何か嫌な予感がする)
妙な胸騒ぎに背中を押されて走り出す。
ゆっくり歩く彼女にすぐに追いつき、サクラが肩に触れると――――
「あれ?」
ゆらり、と。
蜃気楼だったかのようにハルの姿が消える。
驚いて辺りを見回すと、また20メートルほど先を歩いている。
いったいどうなっているのか。クオリアを使ったのかとも考えたが、彼女の力は治癒だったはずだ。
異様な事態に胸騒ぎを覚えながらサクラはハルを追いかけることにした。
* * *
「ひいひい、ハルちゃーん……深夜マラソンは勘弁ですよぉー……」
息も絶え絶えのサクラだった。
あれからどれだけ走っただろう、未だにハルに追いつけないでいた。
いや、正確には追いつけはする。ただ追いついた瞬間、別の場所に現れるのだ。
「待ってー、ハルちゃん……」
立ち並ぶ寮エリアを走り抜け、気づけば最条学園前までやってきていた。
そろそろ疲労が洒落にならなくなってきたが、さすがに真夜中に一人で放置はできない。
いっそ交番に駆け込んでみようか。クオリア関係の異常ならこの街の警備隊などが対応してくれるかも……と考え始めた時だった。
学園の校門前で立ち止まったハルが、再び霧のように消えてしまった。
ぱさ、と微かな音を立ててハルの髪を結っていた赤いリボンが地面に落ちる。
「これって……」
近寄って赤いリボンに手を伸ばし、拾い上げた瞬間。
ぎゅるりと世界が回った。
「え――――」
さっきまでサクラがいたのは夜の校門前。
それが、瞬きの間に全く別の場所へ変化していた。
初めに感じたのは圧倒的な血生臭さ。
気づけばそこは薄暗い洋館のような場所だった。
前後左右に長い廊下が続き、空気中に漂う赤っぽい塵でいまいち遠くまで見通せない。
それだけならまだ良かった。異様だったのは壁や天井、床など至るところに蠢く赤黒い肉だ。それらが豪奢な壁紙や絵画を覆って台無しにしていた。
そして天井には背骨とそこから伸びる肋骨のようなものが通っている。まるで巨大な生物の体内に迷い込んだような光景にサクラは思わず身震いした。
目の前に広がるのは圧倒的な非現実。
しかし、サクラが感じたのは――彼女自身自覚ができないほどにおぼろげな、懐かしさのような感覚だった。
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