2.ネオテニー


 舞台となる第三体育館は想像を絶する広さで、支給された体操服に着替えてアリーナに出たサクラは自分が小さくなってしまったのかと錯覚してしまった。

 アリーナの青っぽい床には赤いラインで正方形に区切られた試合場が八つ。ちょうど柔道の試合場を大幅に広げたような外見だ。

 少し視線を上げると二階の観覧席に制服を着た生徒たちが座っていた。おそらく上級生だろう。

 その中にはあの生徒会長――最条キリエもいて、サクラは憧れの相手に見られるかもしれないことを意識して少し浮足立ってしまう。


 試合場では新入生たちが各々のクオリアを使い、しのぎを削っていた。

 炎に風に水。超常現象が起き放題だ。

 しかし試合場のふちに張られた不可視のバリアによって余波が外に溢れることは無かった。


「派手だね~」


「映画みたいですね……! みなさんすごいです!」  


 ハルとサクラは壁際に座って順番待ちだ。

 二人は目を輝かせながら現実とは思えないような目の前の光景を眺めていた。


「わっ」


 と、サクラが急に肩を震わせた。すぐ近くで試合を行っている新入生のうち片方に水の弾丸が直撃したのだ。 


「どしたの?」


「さっきから思ってたんですけど、あんな攻撃を食らっても大丈夫なんですか? ……その、怪我とか」


 そんな心配に対し得心したようにハルは笑みをこぼした。


「そっか、サクラちゃんは今日学園都市ここに来たばかりだったよね。それでは説明しちゃいましょう~」 


「よろしくお願いします……!」


 ハルは自身が左手首に着けている腕輪を見せる。

 サクラもそれに倣って左手を確認した。入学前に郵送されてきた、腕時計ほどのサイズの腕輪だ。

 一度つけると自分では外せないという触れ込みには結構な抵抗があったものの、これが無ければ学園都市へ一歩も入れないという旨が添付の説明書に書いてあった。


「サクラちゃんも左手に着けてるこの『リミッター』。これは持ち主のクオリアを抑制すると同時に、見えないアーマーを纏う機能があるんだ。ほら見て」


 ハルが指差した先で行われている試合では片方の放った水弾が再び相手に命中しているところだ。

 その水弾が当たった腕が一瞬だけ薄い虹色に発光したように見えた。


「あのアーマーは受けたダメージを緩和してくれるの。で、ダメージを受けすぎて完全にアーマーが剥がれたらその時点でブレイク……負けってわけだね~」


 サクラはリミッターをかざしてしげしげと眺めた。

 確かにクオリアが飛び交う学園都市では必須のアイテムだ。たしか説明書に自力で外せないと書かれていたような気がする。


「ちなみにリミッターにはいろいろ機能があって、身分証とか学生証の役割も兼ねてるから壊したりすると大変だよ~」


「大変ってもしかして、この街から追放とか……?」


「あはは、どうだろうね。でも象に踏まれても大丈夫ってくらい頑丈だからまず壊れることはないと思うな」


 安心して、と言ったハルは少し眉を下げる。

 サクラがそれを不思議に思ったのを察したのか、


「あ、ごめんね。サクラちゃんはリミッターのことよく知らなかったのにあんな無茶をしたんだなって」 


「無茶って?」


「今朝のこと。あの怖い人に正面から向かって行ったでしょ? だからてっきり機能については知ってるのかと」


「あー……あはは、あの時は無我夢中で」 


 入学式の前、サクラは不良からハルをかばった。

 その際クオリアでの攻撃を受けそうになったのだが――警備隊の介入があり、運よく無傷でその場を切り抜けることができたのだ。


「アーマーがあっても普通に怪我する時はあるから気をつけてね。もしそうなっても私の治癒のクオリアで治してあげるけどね」


 ハルが少し誇らしげに広げた手が淡い緑色に発光する。

 穏やかな雰囲気の彼女に良く似合う、温かな光だった。

 

「治癒……! すごいですね!」


「……ん。そうだね。結構珍しいみたい」


 ハルが目を細めて笑う。

 それは確かに笑顔だった。しかしサクラには少し翳りがあるように感じられて――その違和感を問う前に、遠くから鋭い声が飛んできた。


『次! 天澄あずみサクラと山茶花アンジュ、7番へ!』 


「は、はいっ!」 


 ひっきりなしに響く戦闘音の最中でも良く通る呼び声に引っ張られるようにしてサクラが立ち上がる。

 ようやくというべきか、サクラが戦う番がやって来た。


「頑張ってね~」


 緩やかに手を振るハルに頷きを返し、7と番号の振られた正方形のエリアへと歩いていく。

 その横顔は少し固く、ぎこちない歩き方から緊張が見て取れた。


『ほら、次……』『もしかしてネイティブの子?』『どんなクオリア使うんだろ……』


 ざわめきと視線がじわじわと集中していく。

 歩くサクラは思わず背筋を伸ばし、10メートル四方ほどの試合場へ足を踏み入れた。

 対戦相手はすでに到着しており、胸の下で両腕を組みじっとサクラを見据えていた。

 ウェーブのかかった腰までの赤髪にアメジストの瞳。鮮やかな美しさを湛えた面持ちは高慢さと品の良さを同時に感じさせる。

 

『あれ、山茶花って……』『山茶花家のご令嬢だわ』『あの良家の?』『名門中学を首席で卒業したって聞いたよ』『ネイティブ対山茶花家か、これは見ものだね……!』


 周囲の囁き声がサクラの耳に届く。

 どうやら目の前の相手はかなりの使い手のようだ、と生唾を飲み込む。


「あなたネイティブなんですってね。楽しみだわ」


「お、お手柔らかに」


 値踏みするような目に、サクラは静かに返す。

 審判役らしき教師は時計を確認し、手を挙げる。


「それでは始めなさい」


 無感情な声に、どくんと心臓が跳ねる。

 先に動いたのは相手のアンジュだった。


「どんな力を持っているか……確かめさせてもらいますわ!」


 アンジュは慣れた動作で指を鳴らすと、虚空から複数の岩塊が生じた。

 サッカーボール大の武骨な岩たちは公転でもするかのように主のそばを周回している。


『出た、岩のクオリア!』『アンジュ様の衛星!』


 試合場の周囲からもてはやすような声が響く。

 ”衛星”。確かにあの6つの岩塊が巡る様はアンジュを中心とした衛星そのものだ。


「まずは小手調べといきましょうか!」


 アンジュが細い手で宙を撫でるような動きをすると、岩塊のひとつが弾かれたようにサクラへ襲い掛かった。

 

「……っ!」


 慌てて横に跳んで回避するサクラ。

 その動作にアンジュは眉をひそめると、床にめり込んだ岩塊を傍らに戻す。

 まるで念動力でも使っているかのような力に、サクラは改めてこの学園都市に集う少女が普通ではないことを思い知る。


「避けているばかりでは戦いになりませんわよ!」


 次に飛んできたのは二つ。

 ひとつは先ほどと同じように回避する。

 しかし飛んだ先にもう一つの岩が飛来し――サクラの胴体に直撃した。


「か……は……!」


 呼吸が止まった。

 ズキズキと胸部に走る電流のような痛み。アーマーのおかげでその程度で済んでいるとも言えるが、しかしみぞおちへの衝撃は避けられず喉が締め上げられたように開かない。

 思わず膝をついて咳き込む中、今しがたサクラを襲った岩塊がアンジュの元へと戻っていく。

 サクラはその挙動に違和感を覚えた。


(……追撃しない……?)


 岩を手元に戻し再び公転させるアンジュもまた何かに気づいたようだった。

 眉間に皺を寄せ、奥歯を噛みしめると、その花びらのような唇を開く。


「あなた、もしかしてクオリアが使えないの?」


「…………!」


 潜められた囁きがサクラの身体を震わせる。

 そんな姿を見据えるアンジュの面持ちは、感情の読めない冷たさに満ちていた。


「その緩慢な動き。肉体強化も働いていないでしょう」


 肉体強化。

 全てのクオリアに共通する、能力者の身体能力を大幅にブーストする機能だ。

 これによりクオリア所有者は超人じみた動作が可能になる。

 例えばどれだけ鍛え上げたボディビルダーでも学園都市の女子高生に腕相撲で負けてしまう程に、リミッターがかかっていてもその効果は絶大だ。

 しかし、少なくともアンジュの見る限り今のサクラにそんな力は働いておらず、ありふれた高校生以上の身体能力はない。


「ち、違います! あたしは本当にクオリアを……!」


「……その動揺。自覚があるみたいですわね」

 

 慌てて弁解するサクラの姿に、その糾弾が真実味を増す。

 それに気づいた観衆が向ける眼差しが、徐々に疑念を孕んだものへと変化していく。


 その視線に背中を突き飛ばされたようにサクラは広げた手を前に突き出す。

 しかし何も起こらない。火は出ないし、水は散らない。

 異能を発しない手の震えは全身へと浸食していく。


「なんで……っ!」


 絶望に満ちた表情で、何度も身体に力を込めるサクラ。

 しかし電源の抜けたパソコンのスイッチを必死に連打しているかのように、その意志に応えるものは何もなかった。


「……ふざけないで!」


 静寂を切り裂く怒声と共に放たれた岩塊が再びサクラに直撃する。

 ぐらり、と足元が揺らぎ、華奢な身体が倒れ伏す。

 それでも戦意だけは萎えていないのか、顔を起こしてアンジュを見上げ――びくりと全身を硬直させた。


 こちらを見下ろすアンジュの表情が、あまりにも怒りに染まっていたからだ。

 熱を帯びたその感情を抑えるように、アンジュはゆっくりと語り始める。


「この最条学園は学園都市の中でもトップに位置するエリート学校。才能と努力を併せ持ち、厳しい試験をくぐり抜けたごく一部の少女だけが足を踏み入れることを許される聖域なの」


 静かな口調。

 しかしその声には加速度的に昂る感情が溢れ出していく。


 山茶花アンジュという人物が、自身の力に――そしてこの学園に抱いている憧れと誇りがびりびりと肌に伝わってくる。


「ネイティブというだけで入学した上クオリアすらもろくに使えない……あなたなんかにはふさわしくない!」


 その糾弾がサクラの胸に深く突き刺さる。

 だが。


 使えない力。

 使えない?

 その言葉が萎みかけていたサクラの戦意をわずかに揺り戻した。


『……ばけもの……っ』


 フラッシュバックしそうになる記憶を無理やりに振り払う。

 違う。自分に根差す記憶はこれじゃない。


 思い出すべきは――そう、ある日見た試合。

 テレビの向こうで躍動する光。観客たちの笑顔。

 絶望の淵にいたサクラを救いあげてくれたあの光を。


 サクラは未だままならない呼吸の中、必死に声を上げる。


「あたしは……みんなに希望を届けられるような選手になりたいって、だから……!」


「……そんな曖昧な展望でよくも入学してきたものですわね」


 だが、搾り出した言葉は一刀のもとに切り捨てられる。

 何も言えなかった。悔しくても、今のサクラがクオリアを使えなかったのは事実。

 そしてその様子に周囲も気づき始めたようだった。


『え、もしかして使えないの? 本当に?』『ネイティブっていうのも嘘ってこと?』『じゃあどうやって入学してきたんだろ』『コネでしょ』『ずるくない? あたしらあんなに苦労したのにさー』


 広がる嘲笑。侮蔑。疑念。

 どろどろとした感情の渦に押しつぶされ、サクラは立ち上がれないでいた。

 その中で、アンジュだけが冷たい瞳を下ろしている。 


「今のうちにここから出ていきなさい。クオリアも使えない落ちこぼれはこの学園に必要ありませんわ」


 その言葉に、サクラの目が見開かれる。


 それだけはできない。

 何を捨てても、キリエのようになると誓ったのだから。


「それでも、あたしは――――!」


 わずかに残った力を絞り出し、立ち上がろうとした、その瞬間。

 サクラの目の前の床に岩塊が突き刺さる。


「…………ぁ」


 そこで終わりだった。サクラがそれ以上動くことはなく――直後、これ以上は続行不可能と判断した教師が試合終了の宣言をした。

 アンジュは冷めきった面持ちで試合場を出て、静かに呟く。


「ここはあなたの居場所じゃない」


 去っていくアンジュの残したその言葉が、サクラの頭の中をぐるぐると回っていた。

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