第24話:出立と暗躍
真昼を告げる時の音が王都に響く。グルーリアスは、麾下の部隊を率いて王都を守護する壁の外に整列する。その数は50。小隊規模のそれは、王国の中でも指折りの強者で構成され、一般の雑兵を相手なら二倍差も覆すと噂されるほど。
グルーリアスは、副官であるヘストラを横目に添えて馬にまたがる。その額には冷たい汗が滲み、目は忙しなく周囲を見渡す。そして、緊張感に圧し潰されそうな胃を抑えて大きく息を吐いた。
「緊張なされていますね、ツェーノン様」
「何歳になっても出発の瞬間ほど緊張する時はない。多分、世界中を探し回っても俺ほど緊張する人なんていないだろう」
まったくだな、と苦笑するグルーリアスの瞳は決して笑ってなどいなかった。それは本心からの叫声であり、彼の生真面目さと誠意を物語るものだった。
彼は、多くの麾下の命を預かる身として最上位の覚悟を抱いている。それは四騎士と呼ばれるようになって一層増し、結果的に多くの麾下からの尊敬と人望を縦にしている。そんな彼の思いを知ってか、ヘストラは優しい口調で返す。
「しかし、その緊張感のおかげで私達は安心して身と心を預けられるのです。どうか、その小心者と卑下する己の覚悟を誇りに御思い下さい」
「……ああ、そうだな」
自然と肩の力が抜ける。心に圧し掛かる不可視の重圧がソッと融解する様な気がした。ヘストラにとっては何気ない一言のつもりだったかもしれない。しかし、その加飾ない一言がグルーリアスにより一層の安楽を与えてくれる。
さて、と軽く頬を叩く。不安は過去に捨て去った。あるのは多数の麾下を危険にさらさない決意のみ。四騎士と呼ばれる所以を今一度胸に秘め、彼は渾身の叫声を上げる。
「これより、カルス・アムラの森調査と周辺魔獣の把握に赴く。総員、魔獣の襲撃に最大限の警戒を怠るな。誰一人として脱落することは許さん」
そして、彼は大きく息を吸い込む。雲一つない快晴が出立の門出を祝福するように彼らを照らす。ジリジリ、と焼き付ける陽光は季節外れの熱気と無際限の口渇感を齎す。
「総員、進め!」
グルーリアスの言葉を契機として、総勢50頭の馬は一斉に駆け出す。大地を揺らし、空気をかき分けて轟く蹄音は平原を西へ横切る。街道を埋め尽くす人馬一体の群衆は巨大な一つの集合体を形成し、矮小な羽虫を蹴散らすように進軍する。
この様子なら何事もなく終われそうだな、という心声が漏聞しそうなほどの余裕。魔獣被害の増加が果たして嘘であるかのような静寂が平原を包む。
「このまま無事に事が運べばいいですが……」
「まあ、無理だろうな」
見てみろ、とグルーリアスは地平の先を見やり笑う。ヘストラは、それに先導されるように視線を動かすと彼が言わんとすることを瞬時に理解する。
彼が指さす先には一匹の魔獣が徐に歩く。それは本来の魔獣と同じく単独で生きているのか、或いは群れから逸れた惑い星か。いずれにせよ、それまでの静寂とは打って変わった緊張感が小隊を包む。
「いかがされますか?」
「……まだこちらには気が付いていない。それに、近くには町も村もない。ならば、無理に戦う必要はないだろう。下手に手を出して余計な損害を出すわけにもいかんからな」
先を急ぐぞ、とグルーリアスは視線を戻す。かしこまりました、とヘストラもまたそれに従うと彼らはカルス・アムラへの旅程を再開した。
さて、先を急がねばな……。一体、この国に何が起きているのか。得体の知れない恐怖が傀儡人形の紐を操っていなければいいが……。
心中に冷汗を浮かべながら、彼は地平の先を見据える。しかし、カルス・アムラまではどれだけ急いでも一昼夜以上必要。焦燥感で時の流れに抗うことは不可能であることを知悉している彼は、無駄に焦燥する自己の心を嘲笑する。幸い、まだ国は陥落していない。それならば、徒に心身を消耗させる必要はないのだ。
彼は、穏やかに凪いだ心を取り戻すと大きく息を吐く。天頂の日輪に見守られながら、彼らは馬に揺られるのだった。
同時刻、王都王城の青色屋根の上に白い影が立つ。それは人間大ほどでしかないため地上からは拝むことはできない。そのため、それに気づく者は誰一人としていなかった。
その影は、純白の繭のように柔らかな表面を風に煽られつつ眼下に広がる広大な大地を見据える。その繭を形成する三対六枚の翼は、この世に存在する凡ゆる宝石より美しく輝き、凡ゆる装身具より美しかった。
そして、地上を見下ろす繭は唐突にその翼をはためかせて内部を露わにする。中に立つは一人の少女。稚い少女のような風貌で、猫のように大きな瞳は地上を見守る聖母のように優しく垂れる。全身が純白に覆われた彼女の出で立ちは清楚な令嬢のように映る。上空を吹く強い風が、彼女が身に纏う白いスカートの裾を揺らした。
そして彼女はまるで我が子を見守る母のような慈愛心を振り撒きつつ、王都を離れる小隊規模の馬群を見て微笑む。
「ふふっ。カルス・アムラに向かいましたか。あのペースでは明後日にでも到着するでしょうか」
彼女は、深紅の瞳を金色に染め上げて地平の先に聳えるカルス・アムラの森を見据える。地上からは拝むことができないそれも、上空からは薄靄の奥に辛うじて捉えることができる。それはまさにこの国を内包する星が湾曲している——即ち、この星が球体である——ことの証左である。
あの森には龍人がいましたね。私が望む完成度ではありませんが、それでもヒトの子を凌駕する程度の力は有しているはず。そこにあの子も介入するようであれば、より一層楽しめそうですね。
さて、と少女は小さい身体を伸ばす。凝り固まった身体をほぐす様に大きく息を吐くと、稚い子供のような無邪気で可憐な微笑みを浮かべる。
「シャルエルは無事に龍魂の欠片を入手できたでしょうか? 確か、あの子にはスクーデリアを一任していたはず。アルピナの性格を勘案すれば間違いなくあの子が持っていると思うのですが……」
しかし、と彼女は心中で反駁する。それは、アルピナの性格を誰よりも知悉している彼女だからこそ到達した反応か、或いは彼女を知悉しているからこそ嵌り込んだ泥濘か。
1,000年ほど経って未だ入手どころか手がかりすら得られないということは、彼女はブラフでしょうか? しかし、残りの悪魔からも入手の報はまだありません。だとすれば一体何処に……?
手がかりが得られない彼女は思考を巡らせる。しかし、現時点では尤もらしい答えに到達することはできなかった。それでも、彼女は燻る心を振り払うと微かな希望に光を見出す。
まあ、いいでしょう。当の本人も帰還し、早速スクーデリアの元へ向かった様子。シャルエルからの連絡を待つとしましょうか。
彼女は金色の瞳を茜色に戻すと柔和な笑顔で先行きを眺めるのだった。
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