第23話:魔獣の角
「付言すると、爆発により削られた地面は燃焼した痕跡が一切残存していませんでした」
調査内容を纏めた羊皮紙を眺めつつエフェメラは呟く。吐き出される溜息は、俯き顔に付随する顰めた柳眉と併せてその不安感を助長する。天巫女として民草の安寧を司る彼女としては、更なる不安種の出現に思うところがあるのだろう。
「つまり、一切熱を伴わない爆発だったという事か。しかし、これを読む限りは相当の爆発だったようだが……」
「だったら尚更おかしいな。これだけの規模の爆発なら相当な熱が発生していても不思議じゃない」
「まぁ、俺達は爆発物に関しては完全な門外漢だ。或いは俺達の与り知らない技術があるのかもしれない」
やれやれ、とばかりにグルーリアスは呟く。しかし、それを否定するようにアエラは鋭い口調で唱える。
「それはそれで危険じゃないかしら? 私達の知らない所で過激派が台頭しかねないわ」
未知の技術が平和と人道に則したものであれば賞賛に値し、更なる発展と飛躍のために投資することを厭わない。しかし、それが危険と野心に結びつくものであればそうはいかない。平和技術の軍事転用の可能性も考えらえるが、それが危険と結びつく限りは公的な機関の保護下に据えることが安全への最善策である。つまり、今回の爆発事故を引き起こした技術の真なる目的が何であろうとも、それに危険性が伴う限りは盲目になれないということ。
それを突き止める方法と取り押さえる策を見出すのが喫緊の課題となる。
「ありうるな。だが、手がかりがなさすぎる。魔獣が同士討ちでもしたか?」
「魔獣にそんな力があるなんて聞いた事ないな。だが、今まで見たことがないだけで実はそれを持っていたという可能性もないわけではない」
可能性の閾値を超えない予想は妄想と変わりない。幻想に夢を見出してそれに取りつかれていては現実を見失いかねない事を知っているグルーリアスは頭を振る。
「そもそも、魔獣の定義って頭に変な角が生えてる凶暴な動物ってだけよね? 本当にそんな力があるのかしら?」
「その角に何か秘密があのかもしれませんね」
ふふっ、とほほ笑むエフェメラの何気ない一言にグルーリアスは反応する。眉をピクリと動かして彼女を見据えると、心中で己の考えを取り纏めつつ口を開く。
「イラーフ、確かあの角はコレクターの間でかなり高額で取引されていたな?」
「はい。その他、一部界隈では漢方等の材料として使用されているそうですが効果はそれほどないようです。一部の方々は身体機能の改善や向上が見られるそうですが、同様に死亡報告も上がっています。その為、魔獣の危険性と重ねて角の所有と使用、そして売買は禁止されています」
「身体機能の改善と向上?」
はい、とエフェメラはガリアノットの方へ向き直りつつ返答する。瞳のハイライトは消え、失望色に染まった瞳で悲しみと共に真実を吐き出す。
「これは、信者の方々よりお伺いした話になりますので確証は致しかねます。以前、私の許にエルサット・メルキンスと名乗る女性が訪れました。彼女の祖母ポムラ・メルキンスは、以前より重い病気で寝たきり状態にあり典医からも長くない命だと言われたそうです。しかし、御令孫はそれを哀れんで隠匿していた魔獣の角を煎じて飲ませたそうです。御本人としては、風聞程度に得た知識だったそうですが一縷の望みに掛けたそうです。結果的に、その薬を飲ませたところ立所に健康状態が回復し、翌日には畑仕事に従事できるほどの行動力を見せたそうです」
また、と彼女は言葉を続ける。まだあるのか、とばかりに瞠目する三者を置き去りにして彼女は言葉を紡いだ。その言葉には感情が込められておらず、決められた言葉のみを発するように命じられた奴隷のようでもあった。
「それ以外では、某町に住むガストン・リックヴェルトという男もまた同様に薬を飲んだそうです。彼は、以前より格闘家として名乗りを上げるべく日夜鍛錬をしていたそうです。しかし、結果は芳しくなく生計も厳しい状況だったそうです。そして、彼はとある格闘技の大会前に魔獣の角を煎じた薬を服用しました。彼もまた、前述の女性と同じく風聞程度の知識しか持ち合わせていませんでした。しかし、結果として死亡することはなく直後に行われた格闘技の優勝したそうです。なお、後にその男は優勝を剥奪されています」
その後も、エフェメラは類似例を数点挙げる。その中には、魔獣角を取り込んだ結果死亡してしまった例もいくつか含まれていた。
しかし、何より奇妙なのはその性別や年齢に一定の規則性が見られない点。往々にして、どんな病気やケガにも一定の法則性や規則性が存在するもの。しかし性別も、年齢も、生活歴も、種族も。全てが不整合で、それでもまだごく一部だというのだから驚異的だろう。それが不気味に思えるほどに大多数存在するのだから、注目しない訳にもいかなかった。
「致死率は約80%といったところか。よく、民衆はそれでも飲もうと判断するものだ」
「生還者も死亡者も、正確な数までは公表されていませんので。それに、それを売ろうとする人達は自らに不都合となる情報は隠蔽しようとします。そして、それを買おうとする人たちは藁にも縋る思いでそれを入手します。そんな人たちが、裏打ちされた情報を収集した上で正常な判断を下すでしょうか? 仮にそれで躊躇するようであれば初めから手を出すことはないかと」
冷徹に、しかし真実を淡々と告げるエフェメラは溜息を零す。仄かに温かいティーカップに口をつけ、乾いた口唇が艶やかに濡れる。年齢にそぐわない優艶な色合いが立ち込めるが、それに言及する者も目を奪われる者もいなかった。
「あら、随分と淡泊なのね。天巫女として、信者の罪と罰に嘆いているのかと思ったわ」
「はい、確かに私は天巫女として皆様を正しき道に導く役目があります。しかし、政の駒を進めるに当たって綺麗事だけを語り並べ立てるのは危険が伴います。付言して、政と宗教は分離して考えるべきだとする意見もあります。以上のことから今この場においては現実的な思考を保つべき、と判断したまでです」
なるほどね、と笑うアエラは得心がいった顔で笑う。そんな二人のやり取りを眺めるグルーリアスとガリアノットもまた、微笑を浮かべた。
「はははっ、随分と現実主義的な教祖様だな。その様子だと、魔獣角の流通に関してはイラーフに一任しても大丈夫だろうな」
「はい。そちらに関しては私にお任せください」
胸を張って答えるエフェメラは、稚さの中に気品と覚悟が浮かぶ。年齢を感じさせない凄みと意志が滲出する様は流石の四騎士といったところだろうか。
ところで、と彼女は咳払いをして他の四騎士を一瞥する。
「少々話が脱線しましたが、魔獣への対処はいかがなさいますか? このまま見過ごしていては被害は拡大する一方です。この辺りで大きく掃除しておかなければ国の沽券に関わりかねず、場合によっては暴動の発生も懸念されます」
「ああ。イラーフの言う通りだな。しかし、立場上無計画な行動がとれないのもまた事実だ」
彼ら四騎士に限らず、プレラハル王国に属する全公人の生活は民草からの税によって賄われる。つまり、彼らの一挙手一投足は民草の血と汗によって形成されている事と同義である。その為、それを蔑ろにする様な行いは民草の顰蹙を買いかねない事を彼らは知悉しているのだ。
「だからこそ、ツェーノンは遠征に赴くのだろ?」
「ああ。俺が得る情報、イラーフとキィスが得た情報。これらから今後を策定するしかない」
「だな。さて、俺はその間何をしようかな? お前達ばかりに仕事させてたら、俺が税金泥棒になってしまうからな」
豪胆に笑うガリアノットは焦燥感を照れ隠すような態度を見せる。しかし、それはただの体裁であり実際の所は露ほどの思いも抱いていない。寧ろ、立場上暇であるほうが平和な証であるため何もしたくないという本音すら抱いている。
「麾下達の練度を高めておいたら? 今のままだと、こっちが掃除されるわ」
「そうだな。なら、お前達の麾下も俺が纏めて面倒見てやるよ」
ガリアノットは、四騎士はもとよりプレラハル王国に属する全ての兵士の中で最強と謳われる実力を有する英傑。武器防具を持つ誰もが究極的な目標として崇める存在であり、そんな彼に師事した者は総じて強者として名を馳せるジンクスがある。
「そうですね。マクスウェルさんの鍛錬があれば、他の方々も魔獣への対抗力が身につくかもしれませんね。尤も、私は武官の麾下を持っていませんので他の御三方だけになりますが」
賛同するエフェメラの言葉に相槌を打つアエラは、微笑を浮かべつつ言葉を紡ぐ。
「そうね。それじゃあお願いするわ。詳細は後でグローヴェルを通して伝えるってことでいいかしら?」
ダストン・グローヴェルはアエラの副官として従事する男。彼もまた一兵士として王国に身を捧げる存在として剣を持つ。そんな彼に全幅の信頼を寄せる彼女は、何処か乙女のようでもある。しかし、それは彼女のみの秘密であり誰も知ってはならないこと。そんな彼女の深層心理を露知らないガリアノットは鷹揚に頷き、グルーリアスもまた同様の提案を投げる。
「決まりだな。さて、俺はそろそろ行く。後のことは頼んだ」
グルーリアスは、冷めきった紅茶を飲み干すと勢いよく立ち上がる。そして、その勢いそのままに部屋を後にする。足早に歩くその姿勢は彼の意志の表れであり、魔獣の非道な行いに対する仮借ない態度の表明だった。
しかし、彼らヒトの子はそれが正しくは魔獣ではないことを誰も知らない。天使や悪魔という机上の存在、即ち己の上位存在が実在することを知る時まで彼らは不条理と悪夢に彷徨い歩き続ける。それがそうした生命の掌の上であることも知らずに……。
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