第22話:訓練塔

 翌日、グルーリアスは王城の訓練塔に足を運ぶ。眠たい目を擦りつつ乱れた髪を掻く仕草からは威厳を感じさせない。どこにでもいる民草の一欠片であり、それが王国が誇る四騎士の筆頭であるとだれが読み取れるだろうか。

 東雲色の空に朝鳥が舞う。日の出の知らせと各々の活動の始めを促す歌声が湧き上がり、立所に人々は薄ら目を開け始める。

 しかし、中にはそれより早く活動を始める勇士が存在する。その内の一つが王宮に詰める兵士達であり、中でもグルーリアスの麾下に入る者達は特別早朝より活動を開始する。それは、誰かの令によって行われるのではなく揃って彼らの意志によって行われる。四騎士という、国家に属する一兵卒なら誰もが羨望と憧憬の眼差しを向ける立場のさらに筆頭地位。そこに立つ上官の麾下としての役目を果たすための努力だった。

 そして、グルーリアスもまたそんな献身的かつ篤実な麾下の思いに報いるべく彼らの元へ足を運ぶ。一目見てその努力を褒め称えるだけでも、彼らとしては珠玉の褒美であるのだ。

 グルーリアスは訓練塔の扉を叩く。重く響く低音が鳴り、彼はドアノブに手をかける。冷たい無機質の感触を掌全体で知覚しつつそれを回す。扉の先からは金属同士がぶつかり合う高音と、激しい動きによって生じた熱が滞留し、開け放たれた扉がそれを一気に開放する。グルーリアスは耳を劈くその音と、汗ばんだ熱気に顔を顰めつつ室内を見渡した。


「相変わらず、朝早くから頑張っているようだな」


 彼の声に気づいた兵士達は、各々が動きを止めてその場で彼に向き直る。そして、王国式の敬礼を捧げ彼の返事を待つ。グルーリアスは、そんな彼を一瞥すると楽にするように促す。

 性別を気にせず綯交された彼の虎の子たる麾下達は、揃って凛々しい顔立ちと堅実な視線を見せる。彼ら彼女らがこうして彼の下で志を一つにしているのも、彼の性格と人格の成果であり彼の為人が如実に現れ出たものだ。

 そんな彼らの中に立つ、彼の忠実な麾下として勤める女性。ルゥナ・スウェットバルトは部隊の副長として一歩前に立つ。


「我々がこうして鍛錬に従事できますのも、全てツェーノン様のおかげですので。それで、このような早朝から一体どういったご用件でしょうか?」


「恐らく、昨日グリムワルデから伝達されているだろうがカルス・アムラへの遠征任務だ。一応、国王陛下の許可も下りた。よって、只今より五時間後より出立する。総員。準備をしておいてくれ」


「畏まりました。ところで、その任務の目的はカルス・アムラの毒沼に関するもののみでしょうか?」


 それは、近頃増加傾向にある魔物被害の調査は蔑ろにするつもりなのか、と仄めかすもの。本人はそのつもりは一切なかったものの、しかしその言外を無視することはできない。故に、グルーリアスは頭を掻きながらため息を吐く。


「一応はそのつもりだ。魔物の件に関しては二兎を追って一兎すら得られないのは愚行でしかないからな。ただし、偶然関与してしまったらその限りではないがな」


 麾下は揃いも揃って血気盛ん。好戦的な輩に調査任務だけでは不足であり、魔物に対する攻勢意思を強く抱く彼らの心意気をよく知るグルーリアスはそれとなく伝える。それは本心でもあり、可能なら魔物の件も纏めて解決してしまいたいというちょっとした傲慢さも合わせ含んでいた。


「承知いたしました。しかし、カルス・アムラは龍人の支配地域でもあります。彼らとの無駄な衝突が考えられますが……」


 龍人は、プレラハル王国内に暮らしつつもある種の独立権を有する特殊な立場にある。商人や観光客が訪れることは特別問題ないが、武装した集団が立ち入るとなるとやはり特別な事前申告が必要不可欠。仮にそれが怠られた場合、無駄な戦闘とそれに伴う人件的かつ時間的な損失が生じてしまう。その危険性を知るルゥナはグルーリアスに尋ねる。


「それに関しては昨日の内に伝書を飛ばしている。付言するならば、必要なのは申請ではなく通達だ。つまり、一度伝書さえ飛ばしてしまえば返事を待つ必要はない。それが彼らの目に届くより後に立ち入れば大義はこちらにあるからな」


 では失礼するよ、とグルーリアスは踵を返す。後は頼んだ、と一言かけた言葉に敬礼を返す彼ら彼女らを横目にグルーリアスは姿を消す。その場には、彼の虎の子の兵士だけが残された。

 敬礼を解いたルゥナは、振り返りつつも微笑を浮かべる。それは、彼女の心の状況を端的に表したものであると同時に女神のような安らぎを振り撒く。


「さて、出立まで時間はあるみたいだし暫くは鍛錬を続けよう」


 ルゥナは訓練用に刃が潰された剣を抜き放つと部屋の中央まで歩く。身体から放たれる殺気に近い覇気は男女拘わらず萎縮させ、冷たい汗を背中に流させる。本当に訓練なのか、と愚痴を吐きたくなるほどのそれに臆する者もいれば、今度こそはと奮起する者も現れる。そんな彼ら彼女らを眺めつつ、彼女は冷たく笑う。


「いいよ。誰からでもかかっておいで。私が全員叩きのめしてあげるから」



 王城に戻ってきたグルーリアスは、長い廊下を黙然と歩く。石造りの床を叩く靴音が甲高く反響し、側面に備えられた巨大窓からは朝の陽ざしが降り注ぐ。


 出立まで時間はある。その間に少しばかり話でも聞いておくか。


 グルーリアスは、疲労に伴うため息を心中で吐き捨てつつ時間に追われる自分を嘲笑する。暇で時間を徒に過ごすよりは何倍もマシだ、と鼓舞しながら足を進める。そして、聳え立つ両開き扉を四度叩くと徐に顔を覗かせる。そこには、自身と同じく四騎士に数えられる面子が揃い踏む。用意されたティーカップに手を伸ばす仕草は優雅かつ大胆で、生粋の武人肌であるガリアノットすら様になっている。


「何だ、お前も来ていたのかマクスウェル」


「俺だけ仲間はずれにさせるのもいい気分ではないからな。それに、魔獣の件は可能な限り共有しておいた方がいい」


 とにかく座れ、とガリアノットは手招きする。それに促されるようにグルーリアスはソファに腰掛ける。すぐさま彼の前には湯気が仄かに立ち上るティーカップが差し出され、給仕は退室する。広い部屋には四騎士だけが残された。

 グルーリアスは、ティーカップを手に持つと徐に口元まで近づける。湯気と共に湧き上がる香りはほのかに甘く、季節柄まだ肌寒い早朝の風に当たった体を温める。時間が時間だけに|焼き菓子等は用意されていないが、それさえあれば長閑な茶会としては完璧な場として成立していただろう。

 心残りを僅かに覚えつつも、しかし本題を蔑ろにするわけにはいかないとばかりに気持ちを切り替えた彼は口を開く。


「すまんな、朝早くに集まってもらって」


「いいわよ、貴方だって昼前にはここを出るでしょうし」


「情報は鮮度が命とも言いますので特別気になさるほどの事ではありませんよ」


 開口一番謝罪から始まる彼の言葉を否定するのはアエラとエフェメラ。彼女達こそが、現在喫緊の俎上に載っている平原の爆発事件とそれに伴う魔獣の損壊を調査した中心人物である。時間と労力を最も割いているであろう彼女らに言われたともあれば、グルーリアスはそれに従うしかなかった。


「それで、どうだったんだ? 平原の爆発跡を見に行ってきたんだろ?」


「ええ。かなり酷かったわ。多分、マクスウェルでも十日はかかりそうね」


「ほう、そいつはなかなかじゃねぇか」


 ニヤリ、と歯を剝き出しに笑うガリアノットの瞳は決して笑っていなかった。寧ろ、最上級の警戒心が如実に現れ、この重大さと危険性を心に受け止めていた。

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