第21話:未知の脅威
【輝皇暦1657年6月9日 プレラハル王国王都】
陽光が山峰より高く昇り陽気な暖風が町を浄化する。喧騒と芳香が町を平和と繁栄に満たし、一日の活気が最高潮を目指して高まっている様子が客観的に示唆されているのを、グルーリアス・ツェーノンは王城の執務室に備えられた大型窓から見下ろす。
彼はプレラハル王国が誇る国王直属組織である四騎士にその名を連ね、更にはその筆頭として国家のために心身を奉公している。
己の職務を最大の矜持とする彼は今日もまた机に向き合って頭を悩ませる。魔獣の増加及び活発化。それに伴う民草への人的被害の拡大と町の崩壊。逐日報告に上がるそれは、国家的な一大事として俎上に載り、民草の生活安全と国家運営の基盤維持に楔を打つ。
グルーリアスは机上に置かれた一枚の羊皮紙に目を通す。そして、一読して得られた情報の凄惨さを思い大きなため息を吐く。
「マソムラも襲撃されたか……」
マソムラは王国の中でも比較的小さな村。その為、人的資本価値や税収的価値も低く知名度もそこそこだった。しかし、武具の生産地としてはこれ以上はないと言われるほどの名地として一部界隈では有名であり、国家兵力の基盤と言っても過言ではなかった。特に、とある一軒が生産する武具の品質は一級品とされ、国としても特に愛用していた実績がある。
せめてあの方が無事であればいいが……。
国を運営する公人として民草の命に貴賤を見出してはならないが、しかし同じくその武具を愛用する私人として思ってしまうのが現実。今後の魔獣対策の観点からも武具の需要が増加するのが明々白々な今、彼の御仁がどうしても必要だった。
しかし、現実とは非情なもの。それは時として彼らに幸福と安らぎを与えるが、大抵は残酷な運命と歴史的価値の損失を齎す。彼は、羊皮紙に書かれた一文を何度も読み返す。一度ならず二度、三度と読み返すが、しかし現実が反転することはない。
「そうか……ダメだったか……残念だ」
羊皮紙を机に投げると彼は椅子から立ち上がる。下がり切った負の感情をそのままに窓辺へ近づくと、眼下に広がる城下町を見る。国家の非常事態などまるで関係ないと言わんばかりの民草の喧騒がここまで届いてくる。普段ならそれらに活力と意義を見出せるというのに今ばかりはそうではなかった。寧ろ、自身の悲痛な叫声と相反する彼らの陽気な歌声に忌々しさと苦痛すら覚えていた。
しかし同時に、そうした負の感情を抱く自身の軽佻浮薄さも知覚する。職務として守るべき立場にある民草に恨めしさを覚えるというのは公人としてあってはならないこと。こういう時こそ、彼らの立居振舞を胸に粉骨砕身しなければならないのだ。
その時、コンコンコンッと軽快なリズムで扉が叩かれる。グルーリアスが入室を促すと、それを待ってましたとばかりに扉が開かれる。現れ出たのは一人の青年。名をヘストラ・グリムワルデという彼は、グルーリアスの直属の麾下であり彼の副官として志を共にする忠犬である。その武力も然る事乍ら、同志として国を第一に思う献身的な態度をグルーリアスに気に入られて彼の懐刀として収まっている。
「失礼します、ツェーノン様」
「ああ、グリムワルデか。どうかしたか?」
こちらを、と差し出されるのは一枚の羊皮紙。それを手に取ったグルーリアスは書かれた内容を一読する。そして、一通り読み終わった段階でそれを机に置くと再び一息吐いた。それは苦悩ではなく安堵だった。いや、決して安堵できる内容ではなかったが、それでも現在進行形で胃を痛めているものではなかっただけマシである。
内容としては王国の西方に広がるカルス・アムラの森に関するもの。予てより問題視されていた毒沼の処理に関する議題書であり、毒沼の拡大に伴う物流の停滞が議題の俎上に載っていた。
「現在、カルス・アムラに対する各種貿易経路の封鎖とそれに伴う資源枯渇の叫声が挙げられています。早急な対応が必要かと」
「ハァ……問題が山積みだな……」
「魔獣……でありますか?」
まったく、と頭を悩ませるグルーリアスの心情を推し量ってヘストラは問いかける。彼もまた魔獣——彼らは天使と悪魔の実在を知らないように聖獣と魔物の差異を知らず、それらを総じて魔獣と呼んでいる——討伐の任に当たることが多く、その凶暴さと強大さにはホトホト手を焼いていた。
「ああ。お前も魔獣の討伐に行くことが多いからよくわかるだろ、アイツ等の強さが?」
「はい。それはもう……」
魔獣を相手取る時は必ず複数人で対処すること。それは国の兵士なら全員が知っている事で、それほどまでに魔獣が強大であることの裏打ちでもある。国軍に入隊したら一番に教えられる事であり、例え如何なる理由があろうともそれは徹底されている。
「今月だけで二件だ。いくら何でも多すぎる」
「そうですね。まるで誰かが裏で操っているような感じです」
「ああ。だが、その理由がない」
プレラハル王国に生きる知的生命体は人間を始めとして数種類——天使や悪魔、龍は神話上の存在でありこれには含めない——存在するが、いずれも人間とは友好関係を築いている。付言すると、彼らは総じて主権を移譲されているため実体としては別国家に近い。また、彼らもまた魔獣とは意思疎通が図れずその被害に苦心している点からも、彼らが魔獣を用いて人間国家に敵対行動をとっていないことの理由付けにもなるのだ。
「では、一体何が要因何でしょうか?」
「簡潔な要因で終わればいいんだがな」
「と、言いますと何かあったのでしょうか?」
「ああ。まだ公になってはいないが、プレラハル平原で巨大な爆発騒ぎがあったらしい。それも二時間ほど前だ」
二時間ですか、とヘストラは驚愕を露わに聞き返す。情報通信技術が未発達のこの世界において、二時間というのは超速報級の情報であり、それほどまでに緊急性を持つ情報であることの証左でもある。故に、ヘストラは身を乗り出すようにして事の仔細を問う。
「仔細はイラーフ殿とキィス殿が調査中だ。現時点で判明しているのは巨大な爆発騒ぎがあった事と、多量の魔獣が吹き飛んだということだ」
「魔獣が、ですか?」
瞠目しつつヘストラは上官の言葉を鸚鵡返しにする。その言葉の真意が読み取れず、言葉を失った彼は、それ以降の言葉を紡げずに口吃る。
「ああ。爆発地点に粉砕された魔獣の肉片が散らばっているそうだ。とてもじゃないが、人間技とは思えんな。お前はどう思う?」
「私も同意見です。しかし、仮にそうだとしても誰がしたのかという疑問が残ります。一番に思い当たるのは龍人たちですが——」
「そもそも、龍の末裔というのも眉唾物だがな。龍なんて、所詮は神話上の生命でしかないだろ?」
「それでも、この場合は候補に入れておきましょう。そうあれかし、というのが彼らに対する我々人間の共通理念なんですから」
両者共に苦笑を浮かべつつ話す。それは、現実からの逃避か、或いは内心に思う龍人という種族に対する不信か。いずれにせよ、平原で発生した爆発騒動の正体と実行犯の手がかりが一切掴めていない以上、どれだけ議論したところで予想と妄想の範疇を超えることはできないのだ。
「可能なら味方であってほしいものだな」
「そうですね。しかし、実態が掴めるまでは仮想敵だとして危険視するべきかもしれませんが」
当然だ、と笑うグルーリアスは油断と慢心こそが身の破滅の元になると知悉している。故に、決して警戒を怠らず、エフェメラとアエラの続報を待つ。それによって次の行動の手立てを考えねばならないのだ。
「ところで、カルス・アムラの毒沼に関してはいかがなさいますか?」
話を転換したヘストラは応接用のソファに腰掛ける。上司と麾下という上下関係以上に深い友情で結ばれた二人の間柄故、それほどの堅苦しさは捨て去られもはや咎める者はいない。その為、ヘストラは身体をダラリと砕けて背中を預ける。
「さて、どうしたものか……」
カルス・アムラ湖水は約1,000年ほど前に毒沼化したとされる。その為、毒沼化自体はそれほど問題ではなく、それが徐々に拡大していることが問題だった。以前はそれほど支障はなかったのだが、それが拡大するにつれ人の流れをせき止めるようになり必要な交流が止まってしまっているのだ。
「毒沼に浸食されていない地点を迂回するように街道を再整備するべきではないでしょうか?」
「だが、カルス・アムラからも魔獣の出現報告は上がっている。龍人達の手を借りればそれも可能だろうが、それでもリスクが多すぎるだろう」
どうしたものか、と二者は唸る。すべきことの板挟みにされ、対処の手順と方法の善策を見失ってしまう。しかし、大を生かすための小の犠牲を厭うていれば出来ることもできなくなるのもまた現実である。その為、ここで一度臍を固める必要があった。
「一度、大きく動く必要がありそうだな。グリムワルデ、調査部隊に言伝を頼む。現地調査に赴く必要がある、とな」
「かしこまりました。では、明朝に出立できるよう準備を進めてまいります」
王国式の敬礼を行うと、ヘストラは退室する。その背中は、グルーリアスも認める頼もしさが滲出する。それを見るたびに彼を副官に任命した自分の慧眼に感服してしまう。或いは、それに応えるだけの働きを実現する彼の胆力に敬意を表すべきだろうか。いずれにせよ、とグルーリアスを身体を大きく伸ばす。
さて、アイツばかりに働かせるわけにいかんな。俺も俺の仕事をするか。
グルーリアスは、小さく息を吐き出すと再度机に向き合って羊皮紙に目を向けるのだった。
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