第20話:牢屋の中②

 やれやれ、とばかりにアルピナは溜息を零す。それは失望ではなく心配からくる本心の吐露だろうか。常に余裕綽々で傲岸不遜な態度を崩す様子がない彼女としては珍しい態度であり、クオンもナナも思わず面喰う。しかし、アルピナはそんな二人を見ると微笑を浮べて腰に手を当てる。


「くだらない心配はするな。スクーデリアがそう簡単にやられることはない。アイツは悪魔としては珍しい穏健派だが、それでも神龍大戦を生き抜いた稀代の大悪魔だ。下手な武闘派よりよほど強い」


 しかし、とアルピナは目を鋭くする。言葉に重みが増し、彼女の警戒心がクオンとナナに刺さる。


「だからこそ細心の注意を払い警戒する必要がある。ワタシ一柱ならたとえシャルエルスクーデリアが二柱がかりで挑んで来ようとも負けることはあり得ないが、クオン、君を守りながらともなれば話は変わる」


 尤も、例え何があろうとも君を死なせるわけにはいかないがな。


 クオンの顔を見据えつつアルピナは微笑を浮かべる。その相好の裏に隠された真意を読みとれないクオンは、ただ無言で彼女を見つめ返す事しか出来ない。そんな二人の間に割り込むようにナナは口を挿む。


「アルピナ様、クオン様。御一つ相談なのですが、私の父はどうしましょうか? 明日の朝にでも兄を捜索する部隊を動かすようなのですが……」


「無駄死にになるだけだから大人しくしていろ、と諫言したところで素直に聞くとも思えないな」


「そうだな。俺もアルピナも扱いは犯罪者と同等。処刑されていないだけでもマシか?」


 だとすると、とクオンはアルピナを一瞥する。次に紡がれる彼女の言葉が凡そ予想できるクオンは、しかしそれ以外の策がないため無言を貫く。


「捨て置けばいい。恐らくアイツ等は凡その位置程度しか掴んでいないだろう。しかし、あの程度の実力では道中で聖獣相手に敗走するのが関の山だ。例え、アイツ等が死んだところでワタシの知ったところではないからな」


 それに、とアルピナはナナに詰め寄る。その冷徹な瞳は彼女の心身のみならず魂まで凍り付かせるだけの威圧感を醸し出す。それは魔力に依存するのではなく、純粋な彼女の悪魔としての立場に起因するものだった。


「契約に際して君がワタシに願ったのは兄の救出のみ。それ以外については何ら指定されていない。そうだろう?」


「……はい。私の願いは兄の救出です。その為に私はアルピナ様に忠誠を誓いました」


 ならば、と格子に足をかけて見下ろすアルピナに対して、ナナは覚悟を決めてその言葉を遮る。その決断は、幼気な少女にはあまりにも残酷であり自身と同じ運命を辿りかねないというクオンの忠告を跳ね除けるほどのものだった。


「なので、私は種族全体に対するアルピナ様からの加護を求めません! 父達は私が説得して見せます!」


 その言葉を聞いて、アルピナは暫し硬直する。瞠目し大きく見開いた瞳孔は青く輝き、かつての友の姿をその少女に見出していた。


 まったく……。流石はジルニアの直系なだけのことはある。


「フッ、よい心がけだ。しかし、手立てはあるのか? 無謀を努力と読み違えていない事に期待しよう」


「大丈夫です! これでも皇龍様の血を引いていますので」


 気合を入れる様に握りこぶしを胸の前で掲げる彼女は、一見して気丈な戦乙女。しかし、その内実はまだ子供。それにこれだけの覚悟を負わなければならない現実というのは唾棄すべき事実だろう。しかし、それに頼らなければならないのもまた現実であり、その狭間に立つクオンはもどかしさすら感取する。


「……無理はするなよ」


 クオンはどうにか言葉を絞り出すが、唯一出た言葉はそれだった。それしか言えなかった。


「はい、ありがとうございます」


 では、とナナは立ち上がる。その相好は凛々しく、決意と覚悟に染まった龍の顔だった。アルピナが懐かしさを感取するほどのそれは非常に頼りになるもので、胸の内の不安と心配が吹き飛ばされそうなほどだった。


「私は父の許に戻ります。アルピナ様もクオン様も兄の事をよろしくお願いいたします」


 深々と頭を下げたナナは牢屋を後にする。石床を叩く靴音が次第に遠のいてゆき、牢屋には再度の静寂が帰還した。アルピナとクオンは揃って一息吐くと肩の力を抜く。アルピナは壁にもたれ掛かって両手両足を組み、クオンは床にしゃがみ込んだ。


「無事に事が運べばいいな」


「ワタシはワタシの、君は君の、ナナはナナのすべきことをするのみだ。クオン、君も明日に備えて心身を休めておけ」


 ああ、とクオンは横になると目を閉じる。しかし、なかなかどうして寝つきが悪い。興奮か緊張か。或いは不安かもしれない。いずれにせよ、彼の心が彼を睡眠状態から限りなく遠い地に追いやっていた。これが平時なら、夜なべしてもよかったかもしれない。己の趣味や生活の質向上のための勉学に取り組んでもよかったかもしれない。

 しかし、今回ばかりはそういう訳にはいかなかった。明日以降に身を案じ、一秒でも長く心身を休めたい思いが彼の心に渦巻いていた。加えて、そんな焦燥感が彼の不眠感を助長することでより一層の覚醒状態へ心身を促される。

 そんな彼の精神状態を見通したのかアルピナは指を軽く鳴らす。その音に導かれるようにクオンの体表に魔法陣が描かれると、そこへ彼女の魔力が軽やかに流れ込む。それは、彼の心身を癒すことで安らぎと平穏を齎す。それにより彼の瞳はまどろみ、脳が入眠状態へと移行する。


「これは……?」


「催眠魔法だ。君達ヒトの子は我々と異なり睡眠を必要とするだろう? ワタシとの契約を途中で蔑ろにされるわけにはいかないからな」


 心地よい波に揺蕩う様な感覚に包まれて、クオンの瞳は徐に微睡んでいく。無意識に閉じられた瞳に促されるように、ごく自然な睡魔が彼の意識を薄めていく。そして、それまでの覚醒状態がウソだったかのように、彼は瞬く間に眠りに落ちていった。そんな彼の寝顔を見届けたアルピナは柔ら微笑むと、魔力の流入を解除して魔法陣を消した。

 壁の高い位置に設けられた明かり窓から差し込む月光が二人を照らす。白銀色に染まった牢の中で、アルピナは月輪を見つめる。


 10,000年振りか……そろそろ会えそうだな、スクーデリア。それにしてもワタシがいない間に何があったのか……。天使どもの目的さえ把握できればいいが……。


 月輪が一層の輝きを地上に齎す。黒鳥が群青を我が物顔で飛び回り、そこに混在するように天使達が舞う。決して地界のヒトの子に見つからないように動くその様はアルピナの魔眼には滑稽に映り、それと同時に薄気味悪さも与える。

 10,000年ぶりに歴史の歯車が回り出す。それを知る者も知らない者も関係なく、地界に存在する凡ゆる生命がやがて訪れるその時に向かい歩き始めた。

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