第19話:牢屋の中

 その後、二人は暫くの間無言の時を過ごす。壁にもたれてしゃがみ込むクオンは舟を漕ぎ、アルピナもまた寝てはいないものの腕を組んだまま俯いて目を閉じる。それは牢屋の中だというのにクオンにとっては平和な時と大差ないほどの安らぎを感じていた。アルピナと言う絶対的強者がそばにいることの安心感がこれほどのものとは露にも思っていなかった。

 しかし、その安らぎの休息時間もすぐに終わりを告げる。牢屋に続く長い通路の奥から靴音が響き始めると、それは徐々に近づいてきた。目を覚ましたクオンは顔をあげると鉄格子の向こう側を凝視する。

 音の高さと間隔からして恐らく子供だろう、と彼はそれとなく予測し、アルピナは片目を開くと金色の魔眼で通路の先を見通す。そこから得られる魂の色を認識すると、彼女の顔には仄かに笑顔が覗く。

 通路の先からヒョッコリ顔を覗かせたのはナナだった。手には袋を持ち、顔には疲労の色が浮かんでいた。息が微かに上がり髪は乱れているが、大きなケガはないことから酷い目にはあっていないようで一先ず胸をなでおろす。

 そんな彼女の様子を見たクオンは身体を起こし、アルピナは微笑む。二人は揃って鉄格子の傍まで歩み寄ると、彼女と目を合わせる。


「やはり君だったか、ナナ」


「よくここまでこれたな」


 心配と関心を投げ与える二人の態度は、滲出する優しさの色しか見えない。ナナもまたそれに応える様に精一杯の元気と笑顔を二人に見せる。


「はい! お二人が囚われているというのに私だけジッとしているわけにはいきませんので」


 そうだ、とナナは格子の隙間から手にしていた袋を差し込むとクオンはそれを受け取る。


「お食事です。アルピナ様は恐らく不要かと思われますが、一応二人分用意しました」


「悪いな、態々。アルピナは……食えるのか?」


「ああ。食べる必要はないが食べられない訳ではないからな」


 それで、とクオンは食べ物を口に入れつつ問いかける。行儀が悪いと思われかねないが、今更気にするほどのものでもなかった。そもそも人間と龍人と悪魔では文化文明が異なる以上、些細なマナーはこの際それほど意味をなさないのだ。


「俺達がここに送られた後、そっちはどうなったんだ?」


「あの後すぐ集会は解散し、あれ以上の議論は行われませんでした。父は変わらず私が悪魔に洗脳されているとして私の意見には耳を貸そうとしません」


 契約はしてますけどね、と笑う彼女の様子からして心理的外傷はないだろう、とクオンは胸をなでおろす。しかし、それでも全てが解決したわけではない以上、手放しで喜ぶことはできなかった。


「しかし、ワタシは随分とあの領袖に嫌われているようだな」


「お前、ずっと昔に龍に対して何かしたんじゃないか?」


「まさか。かつて矛を交えたことがある龍はジルニアだけだ。それ以外とは比較的友好な関係を築いてきたつもりだ」


「私の……」


 ああ、とアルピナは笑う。その瞳は懐かしいものを見るような儚さと、かつての友を想う特別な感情に起因するものだった。


「先程は申し訳ありませんでした。父も悪気があって言ったわけではないと思います。父は皇龍様の血を引いていることを何よりもの矜持として生きていますので。それに、私としてもアルピナ様とジルニア様との関係も知らず……」


「フッ、気にするな。君の一族がジルニアの血を継いでいることは紛れもない事実。魂の色も彼と酷似しているからな」


 だからこそ、とアルピナは金色の魔眼を強調する。何度も確認しても彼女の魂はジルニアのそれとほぼ同一であり、忌々しく思うほどに彼女がジルニアの系譜であることを殊更に強調していた。


「我が友の名を汚すような態度を許す訳にはいかなかっただけだ。彼は皇龍として全ての龍を統括していた。彼ほどの気概を持つ存在は後にも先にも存在しないだろう。事実、ワタシと彼は同じ時代に生まれ、常に矛を交え続けていたが一度も勝てたことはない」


 ……一体何年生きてるんだ、この悪魔?


 悪魔とは言え外見上は人間の少女。さすがに年を聞くのが憚られるクオンは、別の疑問をひねり出して彼女に問いかける。


「相性上有利なのにか?」


「ああ、彼とは常に引き分けだった。尤も、最期の1,000年ほどはそんな余裕もなかったがな」


 アルピナは当時を懐かしむように月夜を見上げる。哀愁漂う彼女の相好からはいつもの暴力的で傲岸不遜な態度は見えず、年頃の少女のような可憐さが全面に強く現れていた。


「余裕……ですか?」


「なんか、前も10,000年前がどうとか言ってたな。一体何があったんだ?」


 そうか、とアルピナは溜息を零す。神の子とヒトの子との間に生じている認識の齟齬を憂い、創造の歴史を修正するように当時を回顧する。


「当時は天使と悪魔が常に戦争状態。そこへ龍を巻き込むことで神龍大戦と呼ばれる大規模な戦争が行われていた」


「俺の知ってる神話とは随分違うな。確か人間社会に浸透している神話だったら、悪魔が魔物を地上に放って侵略しているのを神が天使の軍勢を率いて阻止した、とかだったかな? 龍人のほうはどうなんだ?」


「私達のほうもまったく同じですね」


 なるほど、とアルピナは笑う。彼我の認識の違いの原因が分かり、得心がいったとばかりに見せる態度はどこか失望にも見える悲しみの相好だった。


「道理で最初に会った時の君や龍人がワタシに対して不信感を浮かべる訳だ。唯一君だけだ、ナナ。ワタシと直截話して一切訝しがる態度を見せなかったのは」


「あの時は必死でしたので。それに兄の為なら手段を選んでいる余地はありません」


「フッ、兄妹というのはやはりそうでなくてはな」


 ところで、とナナは話を転換する。彼女は焔に揺らめく龍眼を開いてカルス・アムラの森全域を見渡す。しかし、どれだけ龍眼を凝らしても見つからない兄の魂の行方をアルピナに問いかける。


「兄は何処に攫われたんでしょうか?」


「ここから西に暫く進んだ先だ。そこに何か心覚えはないか?」


 此処から西……。


 アルピナの問いにナナは少しばかり思考する。そして、彼女が求めている答えを見つけ出し、瞠目しつつ口を開く。


「確か古い遺跡が……? しかし、あれは建築された時期も用途も一切不明なままです。それが一体何の関係があるのでしょう?」


「やはりまだ残っていたか。その遺跡……正しくは砦だが、それは約10,000,000年前に魔界と地界とを結ぶ門を守護するために構築された要塞だ」


「門? お前、確か俺と会った時は渦みたいなやつの中から出てこなかったか?」


 クオンはラス・シャムラでの一件を思い返しながら問う。マソムラでの一件ほどではないがやはり不愉快な出来事だっただけあり、クオンは無意識に顔を顰める。


「確かにあれを用いれば各個の自由で魔界-地界間の往復は可能だが、毎度それをするのも面倒だという意見が多かったからな。それに、先程も言ったが我々天使と悪魔は常に戦争状態だった。それに備えた拠点のような場所が欲しかったのだろう」


「ですが、何故天使がそこに兄を? それなら天界と地界とを繋ぐような場所に連れて行くのが普通ではないでしょうか?」


「そればかりはワタシにもわかりかねるな。そもそも、天使が我々と同様に地界と天界とを繋ぐ門を用意していたかすら知らないからな。しかし、カルス・アムラの魔界門を管理していたスクーデリアの魔力が消失していることと何らかの関係があることに相違ないだろう」


「スクーデリアと言えば、お前と同じくらい古い悪魔だったか?」


「ああ。アイツはワタシと同じく創世の時代に産み出された最古の一柱だ。そもそも、悪魔に限らず全ての神の子に共通する特徴として、魔力や聖力、龍脈といった力の絶対量は生きた時間に概ね比例する。個の技量や鍛錬で多少の逆転こそあれども基本的にそれが覆ることはない。つまり、スクーデリアはワタシと同等の力を有する、全神の子の中でも指折りの実力者だということ。その身に何かがあったということはそれだけの緊急事態が蠢動しているということだろう」

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