第15話:龍人の町

 アルピナは溢出する魔力を魂に抑え込み、魔眼を閉じて大海のような青い瞳に戻す。そんな彼女の近くまでクオンとナナは徐に歩み寄る。


「おい、どうするんだ? レイスが連れ去られたぞ」


「そうですよ、あのままだと兄が……」


「そう焦る必要はないだろう。殺すつもりなら態々連れ去らずともこの場で殺している。連れ去ったらそれを連れ戻そうとワタシ達が追跡することは明々白々なのだからな。加えて、殺す必要がある場合はシャルエルにとって龍人の魂が必要なことを意味する。そうであるならば無駄な荷物である肉体ごと連れ去る必要はない」


 つまり、とアルピナは振り向く。その相好は普段と相違ない可憐さと冷徹さを併せ含むそれだった。


「シャルエルはあの生きた肉体と魂の双方を必要としてる。そうであるなら無理に追わずとも、根城に着くのを待てばいい」


 一定の合理性を得る彼女の言葉に、クオンもナナもとりあえずは納得をいかせる。しかし、それはあくまでも表面的なもので、その内実は焦燥感に駆られていた。だが、相手がアルピナである以上、彼女に逆らえる力を持ち合わせていなかった。加えて、シャルエルを斃すには彼女の力が必要不可欠であることを知悉している手前、彼女の言葉に背くことは出来なかった。


「それにしても、どうするつもりだ? お前の攻撃すら効いてなかったぞ。それも、かなり大規模な攻撃だったが」


「当ては幾らでもある。それともナナ、君がシャルエルを斃すか? 実の兄だろう?」


「えっ? 確かに私の兄ですし可能なら私の手で連れ戻したいですけど、私に斃せるのでしょうか?」


「無理だろうな」


 僅かに見えかけた希望の光をアルピナは容赦なく叩き潰す。或いは光に見えた闇——神の子とヒトの子という決して越えられない種族の壁というそれ——だったのかもしれない。


「だったらどうして……?」


「聞いただけだ。ここで無理だと諦めるようではそこで契約を捨て去ることも視野に入れたが、なかなかどうして兄妹愛に溢れている様だ」


 さて、とアルピナは浮かび上がると明朗快活な相好でクオンを見据える。


「一度龍人の町とやらに行くとしよう。……ああ、クオン。異空収納が使えるようになったようだな」


「何度か見せてもらったし、あの時は無我夢中だったからな。だが、おかげでコツはつかめた。もういつでも使えるさ」


 行くぞ、とアルピナを先頭にしつつ、ナナの案内で二人のヒトの子と一柱の神の子は森を進む。その足取りは重いとも軽いとも言えないもの。レイスの身を案ずる不安とアルピナの自信に対する安堵が入り混じっていた。

 日が西に傾き、青い空が黄昏色に移り変わる時刻。森の中は既に闇の中へ溶け込み、僅かな光を頼りに進むしかなかった。とりわけ苦労しているのはクオンだけで、アルピナもナナも種族のおかげか宵闇の中でも日中と変わらない速度で進めていた。


「人間というのは不便な生き物だな」


「悪かったな。だが、お前は神の子でヒトの子の管理者なんだろ? こういう不便に何か手心を加えたりするものじゃないのか?」


 不満げに呟くクオンに対して、やれやれとアルピナは笑う。そして指をパチンッと鳴らすと魔力の光球が浮かび、森の中を仄かに照らす。


「ヒトの子を創造したのはあくまでも神だ。神の子ではない。それとも、君も龍人になるか?」


「なれるものならな」


 その時、森の奥から微かに光が覗き見える。木漏れ日のように微かに揺らぐそれは、近づくにつれ徐々に大きさを増し、やがて一つの文明光となる。


「あっ、見えましたよ。あれが私達の暮らす町、カルス・アムラです」


 ふぅ、と一息吐いたクオンはそれを仰ぎ見る。人間文明と遜色ない構造を持ったそれは、夜の森の中で燦然と存在感を発揮する。


「何年か前に一度来たことがあったが、思えば未舗装だが道も整備されてたな」


 クオンは町の入り口から真っ直ぐ伸びる街道を見ながら呟く。それは森を南側に大きく抜ける道で、マソムラから丁度反対側に伸びる道。効率を優先して真っ直ぐ森へ入ったクオン達は結果的に無駄な時間を食っていたのだった。

 結果的にナナを救うことができたし悪路も悪くないものだな、と自身に言い聞かせたクオンは改めて町へ入ろうとする。しかし、そんなクオンと彼に付随するアルピナをナナは呼び止める。


「あの、申し訳ありませんが、一つだけお願いを聞いていただけませんか?」


「願い?」


「はい。少し前に話した通り龍人神話において悪魔は龍の天敵とされています。なので、アルピナ様が悪魔だと知られた場合、状況次第では軽いパニックになるかもしれません。なので、極力悪魔であることを伏せていただけないでしょうか?」


 柳眉を顰めて小声でお願いするナナの態度は至極真面目。心の底から町の平穏を願っている純粋な少女の願いだった。しかし、その願いに納得するクオンに対してアルピナはまた異なる思いを抱き、それを呟く。青い瞳を金色の魔眼に染め、町の中を見通しつつ嗤う。


「残念だが、既に手遅れのようだ。先の小競り合いで放った魔力のおかげで多くの龍人たちは警戒態勢に入っている」


 やれやれ、と腕を組んだアルピナはまんざらでもない様に目を輝かせる。まるで得物を前にした獣のような眼光は、猫のように大きな目を吊り上がらせることで彼女を悪魔足らしめる冷徹な雰囲気を増長させる。


「アルピナ、何を考えてる?」


 まさか、と強行突破の可能性を想定するクオンは額に冷たい汗を浮かばせる。


「我々悪魔の歴史は戦いの歴史だ。創造より常に天使か龍としのぎを削り続けてきた。それが繰り返されるだけだ」


「今はナナの兄を助けるのが目的だろ? 余計な犠牲を増やすつもりか?」


「フッ、冗談だ。今更龍人如きと戦ったところで面白みの欠片もない。まだ適当に天界へ殴り込んだ方が幾分かマシだろう」


 ならばどうされるおつもりですか、とナナは首をかしげる。そんな不安げな少女を一瞥すると、アルピナは平然を装って町へ入る。まるで無防備なそれは、彼女をよく知るクオンをして今なら狩り取れそうとすら思わせる。

 拘束が目的ならそれに身を委ねれば後は勝手に運んでくれる。それがアルピナの考えであり、その目論み通りに彼女は警備兵に拘束される。そしてついでとばかりにクオンも拘束されるとナナは安全な場所に保護される。

 そこから二人は拘束されたまま町を歩く。ヒソヒソとうわさ話に華を咲かせている龍人が多く目に留まるがクオンには不思議と怒りの感情はない。羞恥的な心は幾分か湧き上がっているが、それよりも疑問に浮かぶのはアルピナの目的。彼女の普段の性格なら龍人を踏み倒して従属させそうなものだ、とすら思ってしまうのは彼女の普段の行いか、或いは彼女に対するクオンの不信か。いずれにせよ、抵抗するにもしようがないクオンはアルピナに倣って無言で連行される。

 暫く歩かされていると、クオンの脳内にアルピナの声が響く。それは決して幻聴ではなく、実際にアルピナが話しかけているような現実感があった。


『なんだ? 今アルピナの声が……』


 クオンは心中で呟く、それは不可聴の声となってアルピナに届く。そこからは、まるで声に出して会話しているように心の中は言葉を交わしていく。


精神感応テレパシーだ。本来は秘匿事項の共有に際して使われるものだがな』


『それで、これからどうするつもりだ?』


『仮に龍人が龍の文化文明を継承しているのであれば、これからワタシ達は龍人の長の前に連行される。龍達も罪人を裁くのは慣習的に龍の長である皇龍が行っていたからな』


『継承していなかったら……?』


『どうにかするさ』


 ところで、とクオンは話を転換する。その心中には疑問符が浮かび、彼女の勝手気ままに見える行動の真意を問いかけていた。


『龍人の長に何の用があるんだ? 龍人の発生要因を聞いたところで何か成果があるとは思えんが』


『それもあるが、それとは別に確認したいことがあってな。場合によってはそれ相応の罰が必要になる』

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