第8話:死と覚悟
日輪が西に傾き、空が朱く移ろい始める頃。黒鳥が活動を始めて辺りで鳴き声を響かせる。クオンが行きしなに二日要した行程を僅か半日で踏破したダ・ダーグ。その健脚はやはり通常の地界生物を軽く凌駕するもの。機械仕掛けの見た目に則した力はクオンを感動させる。
都会の喧騒から遠く離れ、森の木々の奥底から長閑で凪いだ世界が移ろい現れる。自然と調和した人工的な家屋たちは景色に溶け込み、まるで非人工的な一枚絵としての様相を見た人の眼に焼きつけてくれる。
「ここが君の故郷か」
「知ってるのか?」
「まさか。10,000年前にこの村は存在していなかった」
それにしても、とアルピナは金色の魔眼を開いて周囲を窺う。足元を流れる小川の潺が小さく鳴り、小動物が草花を揺らし小波いた。
「ヒトの子の気配がない。剰え、聖獣の気配が微かに残留しているようだ」
「……まさかッ⁉」
クオンは馬を走らせる。例え非地界生物であっても本質は通常の馬車馬と大差ない。扱い慣れたクオンにとって、その程度は造作もないことだった。
巨大な機械馬が未舗装の小道をかける。ミニマムな家屋の合間を抜けて、その巨体に見合わない風切り音をまき散らして村に突入する。
「こ、これは……」
惨劇。或いは蹂躙。一方的なまでに全てを奪いつくされた光景に、クオンは瞠目し唖然とすることができない。確かに、村に入る少し前から血の匂いが漂っていたような気がしていた。てっきりどこかの獣が食事にありつけたのだろうと、とたいして気に留めていなかった。しかし、実際は捕食者と被食者の生態ピラミッドではなく、意志と悪意に則った殺意の舞台。鼻を突く嫌な臭いはそれを発する人間の悲しみと無念の臭いだった。
呆然と立ち尽くすクオンの背後から、アルピナは徐に歩み寄る。血溜まりを踏み締める音が跳ね、彼女は腰に手を当てる。クオンの背中越しにその先を見ると、そこに転がるのは一つの肉塊。かつて人間だったと思われる者が転がる。乾血と鮮やかな脂肪や肉組織の色が折り重なり、鮮やかなミルフィーユを思わせる。しかしそれは決して食欲をそそるものではなく、寧ろ精神的にショックを与えるものでしかない。お陰で彼は胸に嘔気を運び込む羽目になった。
「“それ”が君の家族か」
「……俺は元々孤児だった。それを師匠が拾ってくれて今の俺がある。この人は俺の師匠であり、家族でもある人だ」
「死んでから時間が経つ。既に魂は霧散し失われた。輪廻も転生も不可能だ」
輪廻は天使、転生は悪魔の権能であり、聖獣や魔物には与えられていない。故に、今回の一件の実行者が全て聖獣で構成されている以上、事後の現場にたどり着いても、そこは全て無駄の徒労となる。
「……霧散した魂はどうなる?」
「そこで自然へと還る。ただそれだけだ」
ふぅ、とクオンは大きく息を吐く。それしかできなかった。何も言葉が出なかった。
「いつまでそこに跪くつもりだ? 君がいくら希っても誰も君を助けることはない」
「それがたとえ、天使や悪魔であってもか?」
「神であろうとも、だ。反魂術は所詮夢物語でしかない。君はどうする? ここで心打ちひしがれて地に伏すか?」
クオンにとって師匠は恩師であり恩人。彼こそが彼の生きる意義であり、生きる目標である。それが失われた今となっては最早生きる理由はない。できることなら全てを投げ出してこの地に師匠の傍で果ててしまいたい。それが彼の心の全てだった。
しかし、それは許されない。クオンはアルピナと契約を結んでいる。例え歪な形式で結ぶことになったとはいえ、それが契約であることには変わりない。
クオンは改めて立ち上がるとアルピナと対面する。その目は赤く腫れ、しかし鋭く輝いていた。対してアルピナもまた、猫のように大きな青い瞳を蛇のようにぎらつかせる。その相好は可憐なようで同時に冷徹さも併せ含んでいた。そして、近くの岩場に腰掛けると足を組んで頬杖をつき、無言で彼の言葉を聞き及ぶ。
「アルピナ。改めて俺と契約を結んでくれ。俺の時間をやる。代わりにこのふざけた事件にケリをつけさせろ」
「いいだろう。では、引き続き君はワタシとともに進め。君を目的へ届かせてやろう」
季節外れの冷たい風が村を吹き抜ける。黒に蒼のアクセントが入った髪が揺れる。大海のような青い瞳と雪色の大腿が光る。改めて契約を結び、目的意識が芽生えたクオンの心に混濁した迷いの色は見えなかった。
アルピナは徐に立ち上がる。そして体内で循環する魔力を部分的に解放する。パチンッ、と高い音を指で奏でると、彼女の魔力は村に散在する全ての骸に流し込まれる。彼女の魔力を浴びた肉片は黄昏色の光に包まれると、その光と一体化して粒子となって自然へと還る。
「契約者の意を汲んで餞別を贈ろう。このまま放置しても構わないが、君の意にはそぐわないだろう?」
「ありがとう、アルピナ」
さて、とアルピナは村の奥へと進む。骸は全て消え、血も洗い流された静謐な村は、数刻前まで人の生活があったことを不思議と感じさせない。まるで、初めからそうであったかのような錯覚すら与えてくれる。
村の入り口から最も遠い場所、人の生活住居から少し離れた地に、クオンと師匠が暮らした家がある。工房と言う環境音が激しい建物が住居を兼ねていた都合上、それはどうしても村の中でもとりわけ奥部に入り込まなければその姿を拝むことは出来ない。
数分後、二人は村の中の森を抜けた先にある彼の自宅へと帰宅する。しかし、どれだけ温かを願っても、彼を出迎える心も無ければ、空腹を満たす香りも無い。あるのはただ無機質な壁と屋根であり、その冷たさは一層彼の心を抉る。
しかし、かといってここで立ち止まることは出来ない。クオンは深く息を吐き出すと、冷たく重い鉄扉を開け工房に入る。そこは彼と師匠がかつて鉄を打って武器防具を作成していた空間だった。しかし、けたたましくもリズミカルな音は聞こえない。却って耳が痛くなるような無音が二人を包んでいた。感慨深げに立ち止まって四方をグルリと見渡すクオンに対し、アルピナは自由気ままに工房内を散策し、手ごろな武器防具を手に取っている。それらはかつて師匠が作成してきた諸々の武器防具であり、それが逆説的に彼が存在したことを証明し、師匠の死が夢幻ではなく現実であったことを再認識させる。
「ここにある剣は全て君が鍛刀したものか?」
「いいや。大体は師匠のものだ。ここにある中で俺が鍛えたのはそこに飾ってある一本だけだ」
そういうと、クオンは壁に掛けられた一本の刀剣を指し示す。武骨で質素な見た目ながら、それでも素人目には十分な作品として様になっている様にも感じられる。
アルピナは宙に浮かび上がるとその刀剣を手に握る。魔力を流し込むと彼女の周囲の空気が振動し、家全体から軋音が響く。
「その刀がどうかしたか?」
「何やら懐かしい気配がすると思っただけだ。クオン、この刀剣はタダの刀剣ではないだろう?」
「ああ。確か龍の角か何かを使ってたはずだ」
ほう、とアルピナは振り返る。その顔は特別変わった様子はないが、しかしどこか悦楽さが見え隠れする。
「天使も悪魔も消えたようだが、この時代になっても龍だけは地界に残っていたのか」
「ん? 天使とか悪魔だけじゃなくて龍も実在するのか?」
「輪廻を司る天使、転生を司る悪魔、神の抑止力である龍。この三柱で神の子は構成される。かつて、今から10,000年ほど前まではこの地界に多くの神の子が降りていた。しかし、その様子ではどうやら皆地界から姿を消した様だな」
しかし、とアルピナは地面に降り立つ。ブーツが床を打つ高い音が部屋に反響した。
「よくその程度の認識でこれが龍の角だと判別できたものだ」
「半信半疑だけどな。なんでも、昔からこの辺でそういうのが見つかるらしくてな。でも、正体がわからないから一纏めに龍の角だって騒ぎ立ててるだけらしい」
なるほど、とアルピナは嘲笑する。そして、金色の魔眼を開いて剣の深奥を覗き見る。
やはり君だったか、ヴァ―ナード。まさかこのような形で再会することになるとは思わなかったな。
数秒の間、アルピナは目を閉じる。意識は幾星霜の彼方、数十万の時を遡る。遥か昔に同じ時を生きた旧友の今を感取したアルピナは、魔眼を閉じて徐に青い瞳を開く。
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