第9話:遺剣
「何故この刀剣を使わない? 欠片とはいえ、龍の角が使われている。ならばそれ相応の力を保有しているはずだ」
「使えないんだよ、俺には」
クオンはアルピナからその刀剣を受け取る。そして、試し斬り用に設置された巻藁を両断しようとする。しかし巻藁はびくともせず、まるで岩石を切った時のように弾かれた。
その姿を見て、アルピナは声に出さないものの心中で笑う。そして、かつてヴァ―ナードが生きていた時代を思い出して感慨深い思い出心を満たす。
相変わらず頑固な奴だな、ヴァ―ナードは。例え欠片であってもその意志までは曲げられないか。
「龍は主を選ぶ。それが強さとは限らないがな。どうやら君はその刀剣の主としては不釣り合いなようだ」
アルピナはクオンからその刀剣を借りると、それに魔力を流す。彼女もまた本来はその剣の主としては認められていないが、魔力で意思を捻じ曲げて強引に従わせる。そしてそのまま軽く刀剣を振るうと、巻藁は風に吹かれる草花のように軽く切れ落ちる。
「それが本来の力ってことか」
「今のは魔力で強引に従わせているだけだ。精々半分程度の力しか出ていないだろう」
さて、とアルピナは片手に魔力を集約させる。その手を翳すと空間に漆黒の穴が開き、その中に手が吸い込まれる。そして彼女がその手を引き抜いた時、その小さな手には不釣り合いな長刀が握られていた。
「クオン。君はこれを使うのがいいだろう」
アルピナからそれを受け取ったクオンは、鞘から引き抜いて細部を観察する。白銀に輝く剣身は、見た目に反して異様なまでに軽い。しかし同時に、力が十二分に伝わるだけの重量も兼ね備えているようだった。持ち手も自分のために用意されたかのような大きさで、初めて持ったにも関わらずまるで長年愛用してきたかのような錯覚を感取する。
「これは……?」
「これは遺剣“ジルニア”。この刀剣と同じく龍の角が使用されたものだ。しかし、一部に角を使用したこの刀剣と異なり、これは龍の角そのものが刀剣へと変質した物。扱いはより困難だが従えた時の効力は格別だろう。君ならこの剣を使いこなせるはずだ」
クオンは剣を振るう。何も力はいらなかった。まるでクオンの意思に従って自律しているかのような自然な感覚で巻藁は両断された。
「凄いな、これは」
「ワタシの命と引き換えにしても決して亡くしてはならない大切な剣だ。君が持っておけ」
サラリと言い捨てるその言葉にクオンは一瞬呆然とするが、すぐに理性を取り戻すとアルピナにそれを返そうとする。命より大切なものを使えるほど図太い神経を持ち合わせている自信がなかったのだ。しかし、そんなクオンの精神事情などお構いなしにアルピナは工房の中央まで歩く。魔力を利用して家具小物を部屋の隅に追いやると改めてクオンに対して向き直る。
「何をするつもりだ?」
「時間が惜しいだろう? 少々強引だが、契約に伴って君の魂へ流れたワタシの魔力を引き出してやろう。聖獣と戦うための鍛錬にもなる。全力でかかって来い」
魔力は悪魔を悪魔足らしめる固有の力。当然、一介のヒトの子でしかない人間が持つことは出来ない。しかし、その理を破る抜け道こそが契約である。契約に伴う魔力の譲渡はヒトの子に一時的な魔法の行使を可能にする。
アルピナは身体全体から高密度の魔力を溢出させる。それを魔力として認識できないクオンの脳は純粋な威圧感として処理する。それでも、クオンにとってそれは圧倒的なまでに恐ろしいもの。可憐で小柄な少女のどこにこれほどの冷徹な恐怖が宿るのだろうか。改めて彼女が真に悪魔であることをクオンは認識せざるを得ない。
「……わかったよ。それじゃあ、さっそくいくぞ、アルピナ!」
クオンは床を蹴る。受け取ったばかりに遺剣を握り、彼女に斬り込む。しかしどれだけ強く攻めようとも、どれだけ早く斬り込もうとも、アルピナのその冷徹な相好も傲慢な姿勢も崩すことはできない。その小柄な体格のどこにこれだけの力があるのかと忌々しく思わざるを得ないほどの屈辱感をクオンは味わう。
「チッ、化け物かよ……」
「ヒトの子としては悪くないだろう。しかし、まだワタシには遠く及ばないだけだ」
事実、クオンのそれは既にヒトの子を超越していた。アルピナから注がれた魔力を既に己のものとして還元し、無意識に体内を循環させていた。それを無意識に発露させ、ヒトの子としての壁を破っていた。しかしそれでも所詮はヒトの子レベルであり、契約者と被契約者との間にある隔絶された壁でもあるのだ。
流石はクオンだ。ワタシの想像をはるかに超える。ここまで探し求めた甲斐があったな。
アルピナとクオンの攻防は夜遅くまで続く。人が消え、静寂に包まれる村跡の奥からは、覚悟と決意の熱気が溢れていた。
夜の帷に地上に落ち、静謐な闇が世界を支配する時刻、アルピナは独り工房の屋根に立つ。柔らかな寒風が吹き、彼女の黒い髪と服を揺らす。宵闇の中に満天の星が浮かび、猫のように大きな青い瞳に映る。
中では疲れ果てたクオンが最後の安眠を享受し、保護され育まれた師匠との数十年に亘る思い出を夢見心地に回顧していた。
アルピナは青い瞳を金色の魔眼に染め、王国を見渡す。普通の眼では観測できない強い力が王国の至る所に蔓延る。それは聖力と呼ばれるもの。魔力が悪魔を悪魔足らしめるものであるならば、聖力は天使を天使足らしめる力。即ちそれはこの地界に天使が降り立っている事の証左。
その中でもとりわけ強い聖力が五ヶ所。王都と、それを中心に東西南北の四方へ進んだ先の奥でそれは観測される。
「なるほど、そう言うことか。それにしても久遠と刹那……縁の力というのは素晴らしいな」
そして、アルピナは同じように魔力を解放する。その聖力の持ち主に気づくように、10,000年振りの帰還を惜しげもなく示しつけるように。そして、それに返事をするかのように、王都から同量の聖力が湧き上がる。それを探知したアルピナは、無意識に口角が上がる。
向こうもワタシの存在に気が付いたというわけか。さあ、雪辱戦を始めようか。
可憐な青い瞳が鋭く光り、平原の彼方に存在する宿敵を見据えていた。
【輝皇暦1657年6月9日 プレラハル王国マソムラ】
朝日が昇り、澄み渡る快晴が世界を満たす。草花は陽気に背を伸ばし、朝鳥達は軽やかにハミングする。
クオンは身支度を整え、師匠と暮らした家との惜別を済ませる。そして、どこかスッキリとした相好でアルピナに対して頷く。そんな彼女は玄関の庇に腰掛けたまま足を汲む。頬杖をついて眼下にクオンを見下ろしつつ、彼の決意と覚悟の瞳を受け止めた。
「それで、これから何処へ行くつもりだ? お前の事だ。多少の当てはあるんだろ?」
目的地が全く不明なクオンはただ純粋にアルピナへ問いかける。
「プレラハル王国は王都を中心に東西南北の四方に町が発展しているのだろう? それらの町へ行く必要があるが、まずは西へ向かう。ワタシが知っている時代とは地形が様変わりしている以上、そこから先は手さぐりで情報を集める必要があるがな」
アルピナは宙に浮かび、クオンはダ・ダーグに跨る。金属質の無機質な体表が、朝の陽光に照らされて鈍い輝きを返す。クオンが手綱を握るとダ・ダーグは静かに走り始める。常歩から速歩、駈歩へと加速し、風を切る音が絶えず耳元で立ち続ける。その頭上ではアルピナが優雅かつ可憐に飛翔し、無垢の野鳥たちと並び飛ぶ。その姿は傍から見れば優美に映り、まるで天使と形容してしまいたくなる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます