第6話:契約

「それで、その悪魔とやらが俺に一体何の用だ? 神話だと確か、悪魔は人間の前に現れて願いを叶える代わりに対価を求める、とあるが……。確かに命を助けてもらった恩はあるが、その恩に相当するだけの対価を払った覚えはないし、そもそも悪魔を願った覚えはない」


「何を言っている。あの時君は悪魔に助けを求めただろう? 恐らく無意識の叫声きょうせいだったのだろうが願いは願いだ。叶えた以上、対価は頂く必要がある」


 言葉には特別な霊力が宿るというものだ、という話もまた神話とは別に古来より伝わる。数分前、確かにクオンは悪魔に助けを求めた。しかしそれは真に悪魔の救いを希った訳ではなく、生の藁を掴む為の無意識の叫声だった。だが、それでもその願いは届いた。或いは届いてしまったと言っても過言ではないだろう。悪魔という非人間的存在、且つあまり好意的な印象がない存在にその願いが届いてしまった代償というのは往々にして高くつくものだ、とクオンは知悉していたからだ。

 しかし、とアルピナは徐にクオンの背後に回り込むと、肩に手を乗せて重心を預ける。


「本来はあの程度の願いで悪魔が出張る事は無い。これはワタシの気まぐれでもある。ワタシの自由意志で君を助けたとあれば君の対価は必要ない」


「それじゃあ……」


「ああ。しかし君はこれからどうするつもりだ? 聖獣の被害数が増加し、ついには町が一つ消滅した。この地界に何かが起きている、というのは例え蒙昧な下等生物だろうとも理解できるだろう。折角の縁だ。君がこの先に進みたいというのであればその願い、このワタシが聞き届けよう」


 その小柄な躯体から放たれているとは考えられないほどの魔力がクオンの心身に襲い掛かる。クオン自身、悪魔が放つ魔力を感じ取る事は出来ないが、威圧感として全身が脳に危険信号を発し、気を失いそうになりながらも辛うじて堪えつつ、クオンは逡巡する。

 別にクオンは一国の救世主でもなければ正義の勇者でもない。武器防具をつくるただの職人の一欠片であり、国に属する民草ではあるものの完全な門外漢だった。国の危機であるからには国が総出で対処するのは確実である以上、態々自ら危険に足を踏み入れる必要はない。

 しかし、それと同時にクオンの心中に浮かび上がるのは好奇心。悪魔を名乗る少女との出会い、そして契約。一国の危機を前にしてこれから起こる事に対する好奇心が沸々と湧き上がる。果たしてそれがクオンの魂から浮かぶ本心なのか、或いはアルピナが裏で精神操作をしているのかクオンには判らない。


「対価として何を求める?」


 クオンの問いに、アルピナは何処からともなく真球の宝玉を一つ取り出す。彼女の手掌に収まるほどのそれは、淡い光を放つ硝子の工芸品の様。


「君の時間を貰う。これは龍魂の欠片と呼ばれるものだが、これと同じものがこの地界にあと五つ散在する。それを探すのに協力してもらおう。それが対価だ。さあクオン。ワタシと契約を結ぼう」


 その時、アルピナが持つ龍魂の欠片が放つ光が増幅し、時を同じくして、クオンの胸元も輝き始める。胸元に手を入れ、クオンはいつも肌身離さず身に着けているネックレスを取り出す。

 それは小さな宝石が一つだけ埋め込まれたネックレスで、しかし埋め込まれている宝石の数に対して、台座は宝石が既にその埋め込まれたものも含めて全部で六つある不思議な代物だった。

 クオンはそれを幼少期より肌身離さず身に着けており、死別前に両親から譲り受けた大切なものだった。曰く、代々受け継いできた家宝のような代物で、親から子へ、子から孫へと永劫に亘り受け継ぐ必要があるという言い伝えが存在する曰く付きのものだった。


「何だ、急に?」


「ワタシが持っている龍魂の欠片はこれ一つ。そして、残りは全部で五つ。同じく君のネックレスに一つの宝石が埋まっている」


 つまり、とアルピナは腕を伸ばす。そして、それに合わせて、龍魂の欠片は宙に浮かび、クオンの手元にあるネックレスの台座に丁度嵌るサイズへと縮小し、あるべき場所に収まる。


「フッ。これで残り四つだ」


「はぁ……これじゃあ断れないね。まあいいか。どうせ今の俺程度だとその辺で魔獣……いや、聖獣だったか? それに討たれ死ぬだけ。無事に帰れる保証もないし、このままだと今後も無事とは言い切れないからな」


 契約成立だな、とアルピナは笑う。その目は純粋な一人の少女の様で、しかし何処か心が落ち着く様な、そんな雰囲気を醸し出していた。

 ネックレスを再びしまい込み、軽く身なりを整えるとクオンの胸元に掌大の魔法陣が浮かび上がる。


「何だ、これは?」


「契約を結ぶからには相応の手順が必要だろう」


 大海の様な蒼玉色の瞳が金色の魔眼に変わり、輝くアルピナは指をパチンッと鳴らす。その音に共鳴するようにアルピナからクオンへ微量な魔力が流し込まれる。魔法陣を介して注がれるそれはクオンにとって最適な魔力へと変換され、彼の身体に満ちる。

 やがて魔法陣は消え、クオンは身体の力を抜く。身体を見回し数度動かすが、とりわけ変化は感じられない。あくまでも契約に必要な儀式だけだったということだろう、とクオンは解釈する。

 しかし同時に、アルピナは心中で思考する。クオンに決して気づかれないように秘匿されたそれは、彼の内奥に潜む彼の魂を露出させる。その魂を魔眼で見通しつつ、彼女は心中で溜息を零す。


 やはり、この魂で正解のようだな。しかし……となると残りは砕け散ったか、或いは霧散したか。前者だと助かるがな。


「それで、これからどうするつもりだ? 契約は結んだし互いの目的は共有できたが、ただ闇雲に歩き回った所でどうにかなるわけじゃないだろ?」


「ああ、まずは近場の町に行こう。後の予定はそれからだ」


 そう言うと、アルピナは指を鳴らす。彼女の横の空間が罅割ひびわれと共に砕け散ると、それは瞬く間に黄昏色の渦となって広がる。まるで、この世ならざる地の様な異様な雰囲気が溢れ出し、周囲の植物すら元気を無くし、虚しく萎れる。


「それは?」


「これはここ地界とワタシ達悪魔が住む世界、魔界を繋ぐ門だ」


 話している途中、渦の中から現れたのは一頭の巨大な馬。しかし、ただ馬と言ってもその姿はクオンの知るそれとは大きくかけ離れた姿をしていた。確かにぱっと見の外見こそ同一だが圧倒的に違う点が二つ。一つはその馬の身体を構成する大部分が金属で構築されていた事だった。節々には歯車が嚙み合わさり、まるで機械人形の様な出で立ちを醸し出す。そして二つ目は頭部。数分前に彼女が明言した通りその頭部には黄昏色の角が一本聳え、それはこの馬が正しく魔物である事を物語っていた。


「これはダ・ダーグ。これからの移動は暫くこいつに乗れ。ワタシ一人なら空を飛んで移動してもいいが、君にそんな芸当が出来るとは思ってもいない」


 失望する様な発言にクオンは何処か不満を覚えつつも、黙って話の続きを聞く。


「ああ、勿論、君を侮辱している訳ではない。種族の差はそう簡単に覆るものではないからな。しかし、人間でも、努力次第では悪魔と契約により多少の魔法を行使する事は可能だ」


「そうなのか?」


「ああ。ただし、ヒトの子が魔法を行使する為に必要な要素は悪魔に全幅の信頼を寄せる忠誠心だ。ヒトの子である事を捨てる事、即ち地界に生きるあらゆる生命の母である神に背くという大罪を成立させるのは、有形の降伏ではなく無形の契約に他ならない。つまり、君が真にワタシを悪魔と認め魂を売り払って忠誠を誓うのであれば、その力の一端を行使する事が可能となる」


 アルピナは腕を組みつつコートを靡かせてクオンの周囲を徐に歩く。


「今回の契約は君の狂気ではなく、ワタシの自由意志による側面が大きい。故に、契約は結んだがワタシに魂を売るほどの覚悟を持ち合わせていないはずだ。しかしワタシはそれを咎める事はない。安心してダ・ダーグの背に跨ればいい」


 そういうと、アルピナは浮かび上がる。可憐な外観と傲岸不遜な態度という相反するコントラストは非常に不釣り合いであり、また同時に非常に様になっている様子でもあった。

 はいはい、と心持ちを切り替えたクオンは手にした武器を鞘に納めてダ・ダーグに跨った。


「さあ、行こうか」


 馬に跨る青年と宙に浮かぶ少女は平和を取り戻した平原を駆け抜けていった。

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