第4話:魔獣

 町の中央広場まで下がったクオンは、眼前に広がる光景に瞠目する。そこは老若男女問わず大勢の住民乃至ないし観光客が私人公人問わず群れていた。彼ら彼女らは総じて身を守る武器防具を持たず、広場の周囲には彼ら彼女らを守る為の兵が配備されていた。しかしその人数はあまりにも不足している様で、これだけの大人数を数名の兵士だけで守り切れるとは到底思えない、というのがクオンの率直な感想だった。


 こんなに人が……。参ったな。こんな事なら馬車に戻って短剣を持って来ればよかった。


 しかし、だからと言ってクオンにはどうする事も出来ない。護身用の武器は馬車の荷台に置いたまま。取りに戻ろうにも時間がかかりすぎる上、馬車を停めてあるのは町に入ってすぐの場所。ただ徒に時間が過ぎ、やがて魔獣達の叫声きょうせいと兵士の雄たけび、そして武器がぶつかり合う甲高い金属音が広場をつんざき始めた。

 その音は平和とは対極にある戦いの音。平和で成り立つラス・シャムラには本来存在しない音であり、そうでなくても普段の生活で聞く事が無い音。故に、その音は人々の精神を煽る。不安と恐怖が火にくべられ、沸々と感情の波が寄せる。

 人が群れ集団を成せば感情は共鳴される。個としては微弱な不安かもしれないが、これだけ多数の人が集まれば最大限の恐怖として統率と秩序を乱す。


 始まったな。あの中に俺の造った武器防具はあるんだろうか? そもそも、ウチの工房で造った武器防具は何割くらい占めてるんだ?


 不安に押し潰されない為の逃避行動か、或いはただの興味本位か。何れにせよ、クオンの思考の俎上に上るのは、すぐ間近で行われる戦闘の行方とは直接的に関与しない議題だった。

 戦いが始まってから数分が経過した時、事態は急変する。広場から少し離れた先、町の入り口と広場との丁度中間あたりで巨大な火煙が発生する。それは火の消し忘れによる火災か、或いは魔獣の侵略によるものか、それとも火事場泥棒によるものか。その原因は不明だが、何れにせよ人々はそれを見て辛うじて保っていた平常心の殻が砕ける。

 混乱と恐怖に打ちのめされた人々の行動は多種多様。逃げ惑う者、困惑する者、恐怖に支配されてただ泣き腫らすだけになった者、平常心を取り戻そうとする者、近くの人と口喧嘩の末に乱闘に発展する者。

 統率力と平常心と団結力を亡失した集団は最早集団と呼べず、ただ無数の個が存在するだけの愚者。僅かとはいえ存在した兵士達の僅かな存在意義が崩壊し、最早彼らでこれら個の集合体を取り纏め、防衛することは不可能となった。


 魔獣の被害とは無縁だった町。平和が向上したが故の突発的被害に対する免疫力の低下……か。この様子だと、沈静化される事は無いな。


 そして事態は発展する。風が火の粉を運び、火事の程度が刻一刻と広がる。そして、恐らく前線の兵士達が作る守りの壁も突破されたのだろう。多数の魔獣達が町の中を跳梁跋扈ちょうりょうばっこする様が広場からでも容易に視認できる。辛うじて生き残った兵士達が町の中へと戻り、広場を守護せんと流れる血を踏み締める。

 その時、不意にクオンの脳内に数日前に師匠と交わした何気ない会話が思い起こされる。


 神様は実在するのか……か。いたらこんな事にはなってないと思うけどなぁ。それとも、魔獣は魔獣としての生活がある以上、食物連鎖による捕食は自然の摂理として処理されるってことか? どっちでもいいが……不味い事態だな。


 クオンも広場を離れてどうにか逃げていたものの、次第に無垢の人間達の数は減っていく。それに対して魔獣達の数は一向に減る気配はない。勿論、兵士達の尽力で斃される魔獣は多少いるものの、しかし目に見えて数が減った実感はない。


 クソッ……寧ろ増えてるんじゃないか?


 そして、被食者が減少し捕食者が減少しない状況で発生する事態は一つ。数少ない被食者に捕食者が集中してしまうのだ。故に、クオンもまた無数の魔獣達に狙われながら町の中を逃げる羽目になった。


「あぁ、クソッ。せめて馬がいる場所まで行けたらどうにかなりそうなんだが……」


 荒い呼吸をどうにか整えつつ、クオンは周囲を見渡す。火の手が廻っていない所まで逃げては来られたものの、そのお陰もあって周囲は見慣れない家屋が建ち並ぶ。王都と村の往復はこれまでも師匠に連れられて何度か経験があるものの、ここラス・シャムラに立ち寄るのは初めての事で地理はさっぱりだったのが災いしてしまった。


 下手に逃げるとろくな目にあわんな。ここは町のどの辺だ? 馬を何処に止めたかさっぱり分からん。


 いや、とクオンは呼吸を整えて冷静に考える。この状況で馬が今もなお同じ場所にいるとは思えなかった。クオンが馬車を停めたのは町の入り口近く。しかも町の中でもそれなりに栄えた地区。きっと誰かが逃走用に持ち出しているに違いない。

 そう結論付けたクオンは、別の策を思案する。しかし、武器を持たない生身の人間では魔獣に太刀打ちする事は不可能。かといって、今から武器を調達してもそれを扱った経験が少ない以上、勝てる見込みはない。

 確かにクオンは武器防具を作る側の人間であるし、その過程で多少の扱いなら心得がある。しかし、それはあくまでも武器防具の制作に於ける必要最低限の扱い。全体のバランスや斬れ味等を確認する程度で、魔獣を薙倒せる程の技量があるかと問われたら答えはノーであるのが本音。

 しかしそれでも、とクオンは近くに落ちていた長剣を拾い腰に携えている。もともと職人として町から町を移動する際に護身用として短剣を携帯していたが、しかしこの平和な世にあってそれを使う事態は限りなく低い。そしてその武器は馬車の荷台に置いてきてしまった手前、仕方なく手頃な武器を調達するしかなくなったのだ。


 長剣はほとんど使ったことないが……まあ、無いよりはマシか。


 しかしクオンの安全な逃亡も限界が訪れる。道に迷ううちにドンドン町の奥へと誘い込まれたクオンはやがて多数の魔獣にその存在を捕捉される事になる。

 クオンは数少ない経験と訓練から得た教訓と実績を思い起こしつつ、魔獣と敵対する。

 魔獣たちの実態は多様。それは外見も同様であり名前が示す通り獣型の魔獣が大多数を占めるが、中には鳥型だったり蟲型だったり、或いは人型の魔獣も含まれる。しかし、その顔に生気はなく、絡繰り人形とも操り人形とも形容出来そうな、虚ろな存在として混ざっている。

 クオンは手にしていた長剣を抜き放つと、眼前の魔獣達と対峙する。ふと剣の柄を一瞥するとよく見た紋章が描かれていた。それは彼の師匠が自身を示すためにいつも彫り込んでいた紋章。つまり、正真正銘彼の師匠が打った剣だった。

 見えない所からの支えを受けたクオンは、至って冷静に魔獣と対峙する事が出来た。フゥ、と小さく息を吐き出すと、その目には不安も恐怖も焦りも見えなかった。

しかし、やはり経験不足である事と多数の無勢である事が合わさり、クオンは徐々に消耗する。数体を斬り伏せる内にそれ以上の数が乱入する展開が数度繰り返される。

 やがて遂にクオンは魔獣の手に捕まってしまう。体格の差、そして何より種族の差というのは凄まじく、クオンがどれだけ藻掻こうともその手を振り払う事は出来ない。


「クソがッ‼ 放せ‼」


 魔獣は知性を持たず、本能が主たる行動原理。故に、どれだけ叫声を上げようとも彼らの心に訴えかける事は出来ないのだ。

 そしてついに、クオンはその生命活動から手を放す時が来てしまった。彼を握り締める手は強くなり、もう他に生き残りはいないのか無数の魔獣がクオンを取り囲む。その血肉を貪りたいと魔獣同士が押し合って迫る。

 そして彼は叫ぶ。それは無意識の叫声で、彼自身それを知覚しておらず記憶もしていなかった。


「ああクソッ、ここまでか……。こうなったらもう何でもいい。天使でも悪魔でも何でもいい。本当に存在するのなら、俺を助けてくれッ……」

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