第3話 幼馴染・恋乃ちゃん

 俺の体は傘で覆われた。


 なんだろう、と思っていると、


「康夢ちゃん、どうしたの?」


 という声が聞こえてきた。


 かわいい声。


 誰だろう?


 そう思ったのだけど、また失恋のつらさと苦しみが俺を襲う。


 しばらくの間、俺は泣き続けた。


 ようやく心が静まっていき、顔を上げると、そこには傘を持った妖精がいた。


 俺は、俺は、夢を見ているのだろうか?


 夢のような気がするけど、夢じゃ無い気もする。


 夢ではないとすれば、もしかするとこの世を去ってしまったのだろうか……。


 それほどかわいくて、美しい人。


 その人、いや妖精が俺のそばにいる。


 どうして俺のそばに……。


 そう思っていると、その人は、


「康夢ちゃん、わたしよ。恋乃」


 と言ってきた。


「恋乃ちゃん……」


 そうだ。この子は浜海恋乃(はまうみこいの)ちゃん。俺の幼馴染。


 清楚。


 ストレートヘア。かわいらしい唇。柔らかそうな肌。きれいなスタイル。いい匂い。


 そして、優しい笑顔。


 疎遠になってもうだいぶ経つが、幼い頃はよく遊んだものだった。


「とてもつらそうだけど」


 俺は恋乃ちゃんに、失恋のことを話そうと思った。


 疎遠だったとはいうものの、俺達は幼馴染。


 癒してくれそうな気がしたからだ。


「俺、失恋しちゃったんだ」


「失恋……」


 恋乃ちゃんは、少し悲しそうな表情をしたように思える。


「俺、高校二年生の始業式の時から好意を持っていた後輩の子がいたんだ。だんだんそれが恋に変わっていって、告白しようと思ったんだ」


「後輩……」


「それでさっき告白したんだけど、振られちゃったって……。一組のイケメンが好きになって、付き合っているそうだ。彼女、俺の方に好意を持っていると思ったから、俺も告白したんだけど……。単なる思い込みだったんだ。俺って情けないね」


「そんなことはない。好きになって、その好きな人が自分に好意を持っていると思ったら。告白まで行っちゃうと思う。康夢ちゃんの気持ちはわかるよ」


「ありがとう。そう言ってくれて。でも俺って、失恋したのはこれが初めてじゃないんだ。高校一年生の時も、好きだった子に振られちゃって。三組のイケメンが好きって言われたんだ。その時は、付き合っていなかったようだけど、その後、付き合っているって話」


「その子も、康夢ちゃんに好意を持っていると思ったの?」


「思ったよ。でもそれも俺の単なる思い込みだった。これで二度目の失恋。自分がもう嫌になってくる」


 また悲しくなってきた。


「それにしても、なんで俺よりそのイケメンたちの方がいいんだろう。理解ができないんだ」


「康夢ちゃんのこと、好きな人はちゃんといると思う」


「俺のことを好きな人、恋してくれる人なんているのかなあ?」


「いるよ。きっと」


 心なしか、恋乃ちゃんは少し恥ずかしそうだ。


 俺のことを好きな人って、自分のことを言っているのだろうか?


 いや、恋乃ちゃんと話をしたのは、もうだいぶ前のことだ。それはありえないと思う。


「そういう人はきっといる。だから、康夢ちゃんも元気を出して」


 恋乃ちゃんは、微笑みながら言う。


「ありがとう」


 俺はそう言った。


 少しずつではあるが、元気がでてきた。


 恋乃ちゃんは素敵な女の子に成長している。


 ここまでかわいくて、美しくなるとは……。


 昔からかわいい子だったが、最近は、そばに行って話すことはなかったので、今の状態を認識できていなかった。


 一番最近で、恋乃ちゃんのそばまで行って話をしたといえるのは、高校の入学式の時。


 中学校の三年間、恋乃ちゃんのお父さんの転勤で、離れ離れになっていた俺達。


 この時、再会した。


「康夢ちゃん、わたし恋乃。小学校以来ね」


 と恋乃ちゃんに話しかけられた。


 再会できたのはうれしかった。もう会えないのかと思っていたこともあったからだ。


 その時、


「会えてうれしかった」


「これからは、恋乃ちゃんとおしゃべりすることができるようになりたい」


 というようなことを恋乃ちゃんに言っていれば、と思う。


 そうしていれば、恋乃ちゃんとの恋の道が開けたかもしれない。


 しかし……。


 恋乃ちゃんは、その時点でも幼い頃よりかわいくなっていた。


 美しい女の子になっていた。


 俺の胸のドキドキは大きくなり、一気に心が沸騰していく。


 心のコントロールが難しくなり、話をするどころではなくなっていた。


 俺は、


「こ、こんにちは」


 としかいえずにその場を去ってしまった。


 それからは、そばに行って話すことはなかった。あいさつも恥ずかしくてできない。


 遠くから見ているしかなかった。


 一学期が進んでくると、彼女に告白した男子生徒の噂が流れてきた。


 それも一人や二人ではない。


 それだけかわいらしさが増して、魅力的な人になっているということだ。


 俺は、才色兼備で性格も良くて人望が厚く、男子生徒だけでなく女子生徒のあこがれにもなっている彼女にふさわしい人になろうとして、一生懸命努力をした。


 スポーツは苦手だった俺だが、その分勉強した。


 身だしなみだって、整える努力はした。


 俺は中学生の間、笑顔になることはほとんどなく、厳しい性格だと言われていて、俺に話しかけること自体が難しかったようだ。


 人と接することが嫌になっていたのだから仕方がないことだと思うが、それが友達をほとんど作ることのできない要因になっていた。


 しかし、それでは恋乃ちゃんにふさわしい人になることはできない。


 恋乃ちゃんだって、厳しい性格の人と付き合いたいとは思わないだろう。


 それを克服する為、明るく笑うように心がけた。


 心の底から人に優しくするようにした。


 人の為になりたいと思うようになり、人のことを第一に思うようにした。


 しかし、俺にとって、性格の改善はとても難しいことだった。


 笑顔からして、俺にとっては難しいことだった。


 つらいことがあると、すぐ厳しい表情になってしまう


 それでも、少しずつではあるが、今までの自分を乗り越えることができるようになってきた。


 親友の居頭祐七郎(いとうゆうしちろう)も、


「お前、最近、素敵な笑顔をするようになってきたな。そして、一緒にいると心が癒されることが多くなってきた、いつも人のことを第一に思うようになってきたし。いい男になってきたぜ」


 と言ってくれた。


 親友がそう言ってくれてうれしかった。


 努力の結果、恋乃ちゃんにふさわしい男になってきたと思う。


 しかし……。


 そばに行き、話をして、その魅力を味わいたいと思ってはいるのだが、その勇気はない。


 その間に、彼女に告白する男子生徒が増えてきているという噂や、誰かと付き合っているという噂も、聞きたくはないが、流れてくる。


 そういう噂は、聞くだけでもつらい気持ちになる。


 恋乃ちゃんは俺の手の届かないところへ行ってしまったんだ……。


 もう俺のそばに恋乃ちゃんが来ることはないだろう、とまで思っていた。


 そういうあきらめの気持ちと寂しい気持ち。


 それが、他の女の子に心を動かしてしまった大きな理由だと思う。


 しかし……。


 今、恋乃ちゃんは俺のそばにいる。


 そばにいる恋乃ちゃんは、俺の想像をはるかに越える、魅力的で素敵な子になっていた。




 いくら疎遠になっていて、あきらめていたからと言って、なぜこういう人を大切にしてこなかったのだろう。


 そう思うと、自分が情けなくなってくる。


 俺達は疎遠になっていた。


 それでもこうして恋乃ちゃんは、話を聞いてくれる。ありがたい幼馴染。


 いや、そうじゃない。ただの幼馴染ではいたくない。


 こんなにもかわいくて、優しく、素敵に成長した女の子。


 恋乃ちゃんのことを一度はあきらめていた俺。


 でも今は違う。


 俺は恋乃ちゃんを恋人にしたいと強く思うようになった。


 そう思い始めると、恋乃ちゃんに、失恋の話をしてよかったものだろうか、と思う。


 今までは、思ってもいなかったのだが、もし恋乃ちゃんの方に俺への恋する心が少しでもあれば、気持ちがいい話ではないだろうし、場合によっては怒るかもしれない。


「ごめん。恋乃ちゃんにとっては気分のいい話でなかったと思う」


「気にしないでいいのよ。失恋で苦しんでいるんだもん。少しでも励まさなければいけないと思っている」


 恋乃ちゃんは、怒るどころか、俺を励ましてくれている。


 その優しい言葉に涙が出てくる。


 ただの幼馴染じゃなくて、恋人どうしになれるといいなあ……。


 そういう気持ちが、俺の心の中で湧き上がり始めていた。

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