第12話 母の脳梗塞
オカンには夢があった。
フィンランドで旅行透析をしながらオーロラを見ることだ。
大阪に透析患者のための旅行会社を立ち上げた、透析患者の社長がいる。
その話を知人にしたら「まず国内で旅行透析してみたら」と言われ、昔、主人とよく訪れた石垣島に行くことにした。
石垣島德洲会病院に旅行透析を申し込み、近くのホテルも1週間予約した。
透析の合間に、牛車に揺られ離島巡りをしたり、シュノーケリングを楽しんだ。
石垣島から帰って来た後もスポーツジムへ通い、娘と台湾旅行を年に2回は行っていた。
しばらく順調に暮らしていたある日、3カ月前に父が亡くなり、宮崎で一人暮らしをする母から電話があった。「昨日から手足が痺れて動かないの」と言う。「それって脳梗塞やない。自分で救急車を呼んで病院へ行って」と言っても「大丈夫よ」などとゴチャゴチャぬかす。だったら電話してこんといて。明日は透析もあるし、いっそのこと放っておいたろかと思ったが、その日の最終フライトに飛び乗っていた。ゴールデンウィーク直前、よく空席があったもんや。
空港からおそろしく不便な所に実家はあり、バス、タクシーを乗り継ぎ、実家の鍵を預かっていないオカンは真っ暗な中、40分は待たされた。
内側からの鍵をようやく開けた母は、玄関先に倒れ込んでそのまま起き上がれず、結局救急車のお世話になった。
ラクナ梗塞と診断され救急病院から近所の病院に転院して、最終的に施設でお世話になることになった。
翌日のオカンの透析には行けず、血液検査のデータがガタガタになり、3時間透析が4時間になったのもこの頃だった。
車椅子に座る母は施設を訪れるたび、「施設はいや」と言う。そりゃあ、自分の歯ブラシで隣のおばあさんの入れ歯を洗う施設は嫌やわな。
オカンの住まい近くのマンションを車椅子使用にリフォームして暮らすことになった。
引っ越しのための荷物の整理に1カ月ほど宮崎に滞在することになった。
これなら旅行透析の練習をする必要もなく、宮崎で一月も透析することになるとは夢にも思っていなかった。
引っ越しのための荷物の選別が母が思っているのと大きく違っていて、オカンは生活に必要な最小限を持って行けばいいと思っていた。
母は物にすごく執着し、しかも食器棚の中のものまで、見ているわけでもないのに、荷物に入れるものを細かく指示を出した。持って行ったそれらは大阪の引っ越し先で一度も使われることがなかった。
絶対袖を通すことのない和服は桐の箪笥ごと持って行くと言う。洋服に至っては、ああ、思い出したくもない。全部、燃やしてしまいたかった。
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