第8話 消えたカルテ

 退院後の通院で小見主治医が言った。

「右目も網膜剥離を起こしているけど、糖尿病患者に手術しても結果がようないから、このまま手術をせんと温存しときましょ」

 ようは失明するのを待てということや。

 小見主治医は間もなく退職され、若い医師が担当してくれることになった。

「右目の網膜剥離の手術を急がなければなりません。それも出来るだけ早く」

 前の小見先生と真逆のことを言われ混乱した。小見先生が言ったことをそのまま告げると、「誰がそんなことを言ったのですか」と呆れておられた。

 

 腰の重かったオカンだが別の大学病院の門を叩いた。

「網膜剥の手術を出来る医師は限られていて、そこの病院でしてくれると言うなら今すぐしてもらうべきです」の診断が下った。

 急遽、右目の手術をしてもらい、また俯せ寝の始まりだった。

 左目を失明しているので目が見えない。食事、トイレの世話など主人にしてもらった。

 右目の手術は成功して、上側から左にかけ多少視野が欠けているが見えている。

 手術を勧めてくれ、執刀してくれた先生には感謝しかない。


 しばらくして小見先生の手術の時のスタッフの1人から聞いた話では、左目の最初の手術はすでに手遅れの手術だったという。

 それなのに3回の手術、辛い俯せ寝は何だったのだろう。

 あとで何かあったときのために、退院後、カルテからフィルムまでをコピーしてもらっていたのだが、しばらくそのままにしておいた。

 目の調子も良くなり、気持ちも落ち着いた頃に取り出して見たところ、小見先生が執刀した手術のカルテは1枚もなかった。退職されるときに持ち去ったのだ。

 自分のしていることに疚しさがなければ、そんなことをする必要はない。


 最初の手術の前日、風呂場で一緒になった女性がいた。オカンと同じ病名で入院していると言う。小見先生に「糖尿病患者は手術をしても結果がようない」と告げられ、手術はしないのだと言った。

 

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