第5話 狼煙と戦場
「ネタ……って」
ぼくの声はか細かった。
仁王立ちの海野マヲリは今度こそタバコを取り出した。
「今のあたしなら何やってもpv稼げると思うけど。そこのシーソーでギッコンバッタンやっただけでも伸びるんじゃない」
彼女の口から長く細い煙が伸びる。
「なんだってできるよ。あたし。なんだってね。底辺からのしあがるためだったら」
マヲリの目は鋭かった。
「覚悟はあるかい、少年。……身一つで宇宙に飛び出す覚悟」
ぼくは完全に気圧されて、マヲリの目を見つめていた。目をそらすことさえ許されない気がした。全てを吸い込む瞳だった。
「……ぼ、ぼく、は」
デカピンさんみたいになりたい。なりたいけど。
「なんだってできる」?
本当に、なんだってできるだろうか?
身一つで宇宙に飛び出す覚悟、とマヲリは言った。ぼくにそんな覚悟は……。
「……──なんてね」
マヲリは──お姉さんはうふふと笑った。
「少年。嘘だよ嘘。全部嘘。信じた?」
ぼくはぽかんと口を開けた。さながら宇宙猫のように。
「う、そ?」
「そう、嘘。よく言われるんだよね。ユナイティのマヲリにそっくりだーってさ。まさか本気で信じるなんて思わなかった。やっぱり似てんだね」
「嘘?」
「嘘だってば〜。少年、あたしの演技に騙されるなんてまだまだだねえ」
お姉さんはニヤニヤしながらぼくを覗き込んだ。
「あたしは宇宙から来たネコ。名前はまだない。そういうことにしておいてよ」
「騙した?」
「うん」
ぼくは勢いよくブランコから立ち上がって、ベンチの上の鞄を引っ掴んで家へ向かって走り出した。後ろからお姉さんの高い笑い声が聞こえてきた。ぼくは恐れおののきながらも怒り、それから恥ずかしさで消え入りそうになっていた。
忙しい頭の中、玄関で靴を揃えるのも忘れて部屋へ駆け込んでベッドに突っ伏して頭を枕に打ちつけた。何回も打ちつけた。
「ちくしょー!ばかやろー!」
ぼくは頭のおかしい美女に捕まってしまっただけだったのか。一瞬でもあの海野マヲリに会えたんじゃないかと期待した僕がばかだった。大馬鹿だった。偽物と本物の区別もつかないようじゃデカピンさんには到底届きやしない……。
スマホを開くと真っ先にマヲリのワイズぺディアのページが出てきたから即消した。通知が来ていたLIMEニュースの内容をチラッとみて、やっぱり消した。
デスクトップパソコンを起動してすぐにヤホーの検索画面を出す。隅の方に前回の検索履歴が残っている。
「海野マヲリ 枕営業」
消せばよかったのに、ぼくは、なんとなくそれをクリックしてしまった。
そして後悔した。
〜〜〜〜〜
読者諸君。ありとあらゆることを端折って、報告だけに止めることを許してほしい。ぼくも、ファンやアンチやらの論争や、ありとあらゆる罵詈雑言などをそのまま繰り返すのは苦しい。だから、中学二年生のぼくが、なんとかサルベージしてきた情報を報告すると言う形で、海野マヲリの炎上について語ろうと思う。
ことの発端は、アミナの芸能界引退だった。アミナは持っていたありったけの情報をあらゆる週刊誌に売りつけてそのまま居なくなった。
アミナ曰く、「マヲリはプロデューサーのお気に入りだから、オーディション番組で大幅な票のかさ増しが行われた」。そして「マヲリとプロデューサーは、デキてる」というのだ。そこから派生して、枕営業の話が飛び交っていた。
それはユナイティというアイドルグループの存在を根本から揺るがす事実だった。ユナイティは、オーディションで選び抜かれた9人の女の子で結成されたアイドルグループだったのだから。
ユナイティの事務所は当然否定した。けれど炎は燃えた。
インターネットはありとあらゆるところで火を噴いていた。素人目にもわかるくらい、「炎上」していた。
魔女を狩るためだけに燃やされる炎は、海野マヲリだけを探し回っていた。
マヲリ、出てこい。真実を話せ。ファンへの裏切りだ……
殺害予告すら出ていた。もう手が付けられないくらい、怒り狂った人々の群れが、リアルタイムで、インターネットの海に群がっていた。
見たくなかった。
見たくないのに、視線は画面に吸い寄せられて、前のめりにすらなっていた。ぼくはなんども姿勢を正したのに。時間が経つにつれてどんどん、画面に顔を近づけてしまって。
脳裏に自称宇宙人のことが思い浮かんでは消えていく。お姉さんは嘘だって言った。全部嘘だって。……言ったけど、それさえ嘘だった時、あのお姉さんはどうなっちゃうんだろう。ぼくはあのお姉さんのことをぜんぶ信じたわけじゃない。
短い付き合いの中で交わした言葉の意味とかを、ぼくは牛みたいに反芻する。
キレイかキタナイかだけじゃ生きていけない。底辺からのし上がるためだったらなんだってやる──。
海野マヲリかもしれないお姉さんは、幽霊屋敷とか、小さい公園とかで、ひとりぼっちでタバコを吸って酒を飲んで……今も多分、どっかにひとりぼっちでいる。
ぼくは椅子に縛り付けられて動けなくて、ぼんやり宙を眺めていた。昨日見たグラビアのマヲリとか、映像のマヲリとか、少し妄想した枕営業をしてるマヲリとかを思い返している間に、姉貴が帰ってきた。
「ミナト!ミナト!やばいよ!なにこれ!なんなのこれ!」
「ぼくも見た」
姉貴の言葉を封じるようにぼくは言った。金縛りが解けたように体が自由になって、ぼくの意識はようやく宇宙から現実へと帰ってきた。
「ユナイティは解散するかも知れないね」
姉貴はぼくの言葉を聞いて半泣きになった。元から半泣きだったのかもしれない。
「やめてよ、そんなこと言わないでよ、マヲマヲが本当のことを言ってくれれば何とかなるかも知れないじゃない!」
「本当のことってなに」
ぼくは冷静に尋ねた。
「枕営業なんかなかったって!Pとできてるとか嘘だって!」
「………」
姉貴の言葉は、悲壮だった。
「嘘だって言って……」
ぼくは椅子から立ち上がった。
「姉貴。出かけてくる」
「どこに」
「夕飯までには戻るって言っておいて」
「いや、だからどこに!」
姉貴の叫び声がついてきたけれど、無視した。
ぼくにも行き先なんてわからなかったからだ。
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