第6話 小宇宙から逃走
ぼくはスマホだけ握りしめて、夕闇の中を早足で駆け抜けた。
幽霊屋敷までは徒歩20分。早歩きでどれくらい短縮できたかはぼくにもわからない。
でも、天文学的な確率でタイミングがぴたりと重なった──奇跡みたいに偶然が働いたとするなら、たぶんこの時だった。
幽霊屋敷まで目測50メートル。そこでぼくは、黒いワゴンに「むりやり」引き摺り込まれそうになっているお姉さんを見た。ぼくはあっと叫び、何が何だかわからないなりに走り出した。
「お姉さん!お姉さん!」
ぼくの50メートルのタイムは、12秒だ。
だけどそれ以上の速度が出ていたと思う。
ぼくはお姉さんの周りに取り付いている大人たちに体当たりを食らわした。男たちがぼくの乱入に驚いているあいだ、ぼくは冷静にスマホのRECボタンを押す。手ブレとかこの際気にしていられない。
「ヤッホー、ハローワイチューブ。今日はちょっと乱暴な幕開けです。きょうは生放送でお送りします」
──生放送、と聞いて男たちは顔を隠した。嘘なんだけどな。ただの録画。
「少年!なにやってんの!?」
「ええと、今日は追いかけっこです。逃げようと思います。鬼は顔隠しちゃったこの人たち。で、ゲストは知り合いの宇宙猫さん。美人でしょ。……宇宙猫さんと二人で逃げ切れたらぼくの勝ち、ってことで」
ぼくはまた男たちにカメラを向けた。スパチャよろしくね、と言おうと思った矢先に、お姉さんがぼくの手を乱暴に引いた。
「きみ、なにやって……」
「逃げよう、お姉さん。逃げよう!」
「どこに!?」
ぼくはお姉さんの手を握って引いた。
「こっち!」
ぼくは車の入ってこれない細路地を選んだ。小学校のとき陽キャたちにさんざん連れ回された経験がここにきて役に立つとは。
石垣の間とか、畑の横とか、獣道みたいなつぎはぎの道を歩きにくそうにしながら、お姉さんは口を開いた。
「ねえここ、私有地じゃないの」
「わかんない。緊急事態だし、構っていられないよ」
「それよりきみ、あいつらの顔映して生放送だなんて……」
「嘘だよ。カメラは回したけど、放送はしてない」
お姉さんはあからさまにホッとしたみたいだった。ぼくの肩を叩いて、はぁとため息をつく。
「勇気あるんだか、考えなしなんだかと思ったら……ずる賢いね、きみってやつは」
握りっぱなしの手はお互い汗で滑っていた。ぼくらはぱっと手を離した。
「ねえ、あの人たちなんなの」
ぼくが先を生きながら、尋ねる。
「あたしを切って逃げたい人たち」
お姉さんは静かに言った。
「トカゲのしっぽみたいに。チョッキンって」
「……そっか。宇宙人はタイヘンだね」
お姉さんは立ち止まった。ぼくもそれに気づいて立ち止まった。
「ねえ、どこへ逃げるつもりなの。どこにも逃げらんないのに」
「どこへでも逃げるよ」
「そうは言うけどさ、……誰も彼もがあたしのこと探してんのよ。どこに行けばいいの。だって、だってあたし……もうどこにも帰れない、どこにも……」
唇の形が、吐息みたいな言葉を形作った。
──ユナイティにも。
ぼくはそれに気づいたけど……なにも言わなかった。そのかわりぼくはお姉さんに歩み寄って、その手を掴んだ。
「どこへだって行くよ。ぼくは」
ぼくらが辿り着いたのは、安いホテルだった。陽キャと一緒に歩いていれば「ラブホだw」とか言って指差して笑うような、けばけばしい外装の。
でも僕らにとっては束の間の安息地に他ならなかった。
「少年が老けて見えて助かった」
「ひどいな」
「じゃあ言い直す。少年がませた外見してて助かった」
お姉さんは一つしかないベッドの上に転ぶように倒れ込んだ。避妊具が束になって置かれている他は、普通の部屋に見えた。なんだか気まずくてテレビをつけたら、大音量でアダルトビデオが流れ出して、慌てて消した。お姉さんはケラケラ笑った。
「バレたらあたし、ショタコンになっちゃうわあ」
「言ってる場合ですか」
「ほんとによ。……どうする?これから」
ぼくは時計を見た。そろそろご飯の時間だ。姉貴から鬼のような連絡が来る前に、ぼくは先んじてメッセージを打っておく。友達の家に外泊する。と。それだけ。
「ご家族、心配しない?」
「大丈夫だと思う」
「思うって……不安だな」
お姉さんはそれっきり口をつぐみ、天井の模様をひとつひとつ数えるみたいに大の字に横になった。ぼくはスマホの電池を気にしながら、ネットの海に少し顔を出してみる。
インターネットは相変わらずの炎上っぷりだったが、ひとつだけ変わったことがあった。
僕とお姉さんが手を握り合って走る写真が追加されて拡散されている。ぼくの顔にはかろうじてモザイクと黒い線が追加されているけれど、お姉さんはそのままだ。
誰?彼氏?
加工取れよ。はよ。
特定班はよ。
音もなく書き込みが増えていく。ぼくはそれを眺めているしかなかった。
何もできなかったのだ。
「どうしたの」
ぼくは声をかけられて初めて、震えていることに気づいた。お姉さんがぼくの後ろ側から画面を覗き込み、そして全てを察したようにぼくの頭を撫でた。
「……ごめん。巻き込んだね」
違う、ぼくが勝手に突っ込んだだけだ。そう思ったけど、身体は嘘をつかなくて、涙が出てきた。お姉さんはぼくを抱きしめた。ぼくもお姉さんに縋りついた。見た目よりも薄っぺらくて、痩せていた。悲しいくらい細かった。
これが。
ほんとうの海野マヲリ。
「あたしが、おとなしく全部話してれば、こんなことには……」
ぼくはかぶりを振った。
「お姉さんは本当のことなんか喋らなくたっていいんだ!」
「……少年」
「本当のことなんか、ないんだから。画面の中のものは、全部嘘なんだから。そうでしょ」
「少年、あのね」
「ぼくの動画だって加工ばっかりだ!顔は消すし、声も変えるし、背景も変えるし、都合の悪いことは全部全部変えちゃうんだ。お姉さんだってそれをやってるだけでしょ、違うの!」
ぼくは確信していた。お姉さんのいう通りだ。キレイかキタナイかだけじゃ戦えない。無加工のキレイなぼくなんか、とてもじゃないけど晒せない。怖いから。とてもとても怖いから!
ぼくは、身一つでは戦っていけない。無理だ。嘘と嘘と嘘、それからキタナイ嘘をつかってじゃないと、最前線になんか出ていけない。
ぼくは、
お姉さんみたいには戦えない。
「でも、少年」
「海野マヲリは、」
ぼくは号泣していた。彼女の胸で情けなく泣いていた。
「ぼくが生まれて初めて恋したアイドルだから。本当のことなんか要らないんだ」
「……少年」
お姉さんはぼくを一層抱きしめて、あやすみたいに背中を叩いた。
「あたし、本当は28歳なの。そんでね。この前叔母さんが死んじゃったから、順番におばあちゃんの家を相続した。もうすぐあの幽霊屋敷は取り壊す予定」
「……!」
「きみが本当のこと話してくれたんだから、あたしも相応に応えなくっちゃ、ね?」
「……いいのに」
それからお姉さんは、ぼくの頬に頬をくっつけた。
「そんでね、少年。きみがあと6年早く生まれてたらなぁって思ってる」
言葉の意味を図りかねていると、お姉さんのいい匂いが鼻先を掠めた。ひたいに触れたものの正体を知る前に、お姉さんはパッと体を離して、ポケットからスマホを取り出した。
「もしもし。あたしです。うん、オモテに出る覚悟ができた。プロデューサーに代わってくれる」
「お姉さん!」
「マヲリです──はい。わかってます。ご迷惑をお掛けしてすみません」
お姉さんはぼくの口を塞いだ。
「はい、……分かっています。戦います。あたし、アミナと」
「!」
「場所は……さっきの場所で。大丈夫、今度は逃げませんから」
ぼくが何か聞く前に、お姉さんは弱々しく笑った。
「帰ろ。少年。あたしたちの戻るべき場所に」
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