第4話 潮騒と火種
ぼくはインターネットの海に潜る。
とにかく海野マヲリについて、しりたかった。
ワイズぺディアによると、海野マヲリは公称23才。
オーディション番組では得票数一位だったことから、アイドルグループ・ユナイティの結成から今に至るまで、ずっと、センターを維持してきた。彼女がセンターを退いたのは、体調不良で舞台に上がれなかった一回のみだという。その時のセンターは……先日引退した木本アミナ。
掲示板なんかには、「マヲリは唯一無二のカリスマ的存在で、他のメンバーはマヲリの飾り」とまで書かれている。姉貴が聞いたらブチ切れそうだな、とぼくは思った。姉貴はユナイティの「絆」ってやつを何よりも信奉していたから。
ぼくは情報の海の深くまで潜っていく。ログを漁り、日付を確かめて、画面を絶え間なくスクロールさせる。
当時、掲示板ではマヲリ過激派の書き込みを中心に大きな炎の渦が出来上がっていたようで、その燃え滓が虚しく残っていた。
『ユナイティって実質マヲリじゃん』
『マヲリ担て他のメンバーのこと馬鹿にしすぎ』
『マヲリしか見えんし』
『マヲマヲまじ天使』
でも、ユナイティといえば海野マヲリであることは事実だと思う。どんなに興味がなくっても。ぼくのようなアイドルに興味のない陰キャでも、海野マヲリの視線の先に魅了されるんだから……。
画像を調べると簡単に海野マヲリのグラビア写真がヒットした。この時の髪色は清楚なナチュラルブラウン。はにかみ顔よりも、真っ白な肢体に目がいく。黒いビキニに包まれたちいさな胸と、ほっそりしている脚と、それから──。
──少年。
ぼくは先日のお姉さんの言葉の響きを何度も思い出した。目の前のマヲリの肢体と、姉貴の言葉とがぐるぐる回る。
マクラしてるって。
枕営業、それって、そういうことだろ、ああいうことだろ?真実かどうかは、知らんけど、いや、しらんけどさ……。
頭ん中ぐるぐる回るのは、お姉さんのやっぱり白かった脚とか、そこから見えたパンツとか、「少年」って呼ぶ声の掠れ方とかで。
もうダメだ。ぼくはネットの海を切り上げて、ティッシュに手を伸ばした。
〜〜〜〜〜
テスト期間は長い。ぼくには長すぎる。
普段ならば部活動に勤しんでいるはずの陽キャたちは、テスト勉強期間の名目で早くから解き放たれる。期間中、やつらとほぼ同時に帰らなければならないことが、ぼくは本当に苦痛極まりない。
奴らはぼくのことをまるで理解する気がない。そしてぼくも、奴らを理解しようとは全く思わない。だから、近寄らない。君子危うきに近寄らず、という。
だからぼくは、テスト期間の間だけ、こっそり通学路を変えている。
見慣れない小道を行きながら、僕は手頃な小石を蹴る。
「ネタ、無いんだよなぁ」
見栄えのする、ぼくにできそうな、バズりそうなネタ。
一瞬だけ幽霊屋敷のことが思い浮かんだけれど……あのお姉さんを説得するのは難しそうだし、何よりあのお姉さんじたいが──。
ぼくは昨晩のことを思い出してむっと唇を突き出した。二次元以外で抜くなんてあり得ない。あり得ないが……。
「あ、少年じゃーん」
覚えたばかりの──というか昨日何度も脳内再生したあの声がぼくを呼ぶから、ぼくは小石を蹴ろうとした足を空振りしてそのまますっ転んだ。
──ありえるんだよなぁ。
そこは小さな空き地で、慰め程度にブランコとシーソーが設置されている公園だった。宇宙猫のお姉さんはブランコに座って酎ハイを飲んでいた。また酔っ払っている。
ぼくはお尻を払って、打ち付けた尾てい骨の痛みに顔をしかめた。
「お姉さん、よくぼくの顔なんか覚えてましたね」
「忘れるわけないない。あんなに情熱的に言葉を交わした仲じゃないか」
お姉さんはぐっと酎ハイを煽って、空にした缶を握りつぶすと、ポケットからタバコを取り出した。
「身体に悪いですよ、それ」
「うん、でっかく書いてあるね。健康を損ねる可能性があります。でもやめらんないのだよ。酒もタバコも……」
言葉の続きは、なかった。お姉さんはタバコを見つめたけど、再びポケットにそれを仕舞い込んだ。そして、わずかにあからめた頬をブランコの鎖に押しつけて、ぼくに流し目をくれた。
「隣に来てよ」
「えっ」
「暇なのだよ、少年。宇宙人は暇なのだ。何か面白い話をしてくれたまえ」
「面白い話なんか無いですよ」
言われるがまま、ぼくはカバンを放り出してブランコに腰掛ける。お姉さんはうふふと笑ってブランコを漕ぎ出した。
「宇宙は海みたいなものでさあ。荒れることもあるんだよねえ」
ぼくは、「そうなんですね」とだけ返した。
ユナイティのツブッターは未だ炎上を続けている。そのことかもしれないし、彼女のいう通り、本当に宇宙の話なのかもしれなかった。
「いま宇宙は大荒れだから、あたしは舟を一旦降りることにしたんだ」
「──それで、あの家を相続したんですね」
「そうそう。よくわかってんじゃん。頭いいね、少年。何年生?」
「中2ですけど」
「おおー。謳歌したまえよ、ビーアンビシャス。今しかできないことがいっぱいあるからね……」
酔っ払いは高速でブランコを漕いでいる。ぼくは彼女の起こす風を感じながら、ぼうっと前を見つめた。
「お姉さん。今しかできないことって、何ですか」
「恋とか」
「え?ねーわ」
「即答!好きな子とかいないわけ?」
「いませんよ、そんなの」
ぼくは意識してお姉さんから顔をそむけた。お姉さんのつけている香水のかおりが、ふわふわと漂っていた。ぼくは静かに、唇を尖らせた。
「じゃあ部活とかは?」
「帰宅部です」
「つまんねーな」
「聞いておいてそれですか!?」
ぼくもブランコを揺らす。気持ち程度に、ゆらゆら揺れる。お姉さんの起こす波に乗るみたいに。
「もっと、なんかないの?」
「ないですよ。ぼくは所詮、ガリ勉の陰キャですよ」
お姉さんは声を高くした。
「勉強、得意なんだ?」
「当たり前のこと、当たり前にやってるだけです」
「あたし、勉強はてんでダメだったからそんけーしちゃうわあ」
「そんなに大層なことじゃないです」
「自信をもちなよぉ」
酔っ払いは気が大きくなってるみたいだ、立ち漕ぎを始めた。ぶんぶん、宇宙人の漕ぐブランコは、どんどん振れ幅を大きくしていく。
「自分がつまんないから、ワイチューブやってるんですよ、ぼく」
「ワイチューブはやめな」
お姉さんはやっぱり即答した。
「なんでですか」
「きみみたいなのは、食われると思う」
「食われ……?」
ぼくはブランコを揺らすのをやめた。お姉さんは立ち漕ぎをやめた。収まってゆくブランコの揺れの中で、お姉さんはぼくを見下ろした。
「きみには覚悟がない」
ぼくは雷に打たれたみたいにその言葉を聞いた。
「人を傷つける覚悟が足りない。人に傷つけられる覚悟も足りない」
そして跳ねるようにブランコを降りたお姉さんは、足を肩幅に開いてぼくの前に立った。
「気づいてるんでしょ、あたしがどこから来て、どこに向かおうとしてるのか」
何も言えないまま、ぼくはブランコの鎖を握りしめていた。
知ってる。気づいてる。絶賛炎上中の、ユナイティの──海野マヲリ。少女と女性のあいだに立って、彼女は挑発的にぼくを見下ろした。
「有名になりたいんならさ。あたしをネタにしてみなよ。少年」
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