私は―― ~お前無しなど考えられない~



 ルリは唇を触りながら、戸惑っていた。

 まさかグリースにもキスされるとは思わなかったのだ。

 それにも困惑したが、ルリはもう一つ困惑する理由があった。

 友人とか兄とか、そういう感じの存在と思っているはずなのに、キスされるのが嫌じゃなかったのだ、不快感もない。

 それにとても優しい口づけだった。

 比較するのはどうかと思ってしまうが、さっきやった真祖のディープキス、あれはすごく息苦しいし、口の中に長い舌が入ってくるわで何か微妙だった。

 キス、というか捕食されているような感じがしたのだ。


 二人にキスされて、ふと気になった、もしアルジェントが自分にキスしたらどういうキスをしてくるのだろうと。

 ルリは少し考えて、考えるのを止めた。

 アルジェントは、絶対口にキスは、しない。

 真祖が仮に許してもしないだろう、だってアルジェントはルリの事を愛しているという事実を、主である真祖とルリにはバレてないと思ってる。

 グリースには――多分過去のやりとり的にバレてると思ってるだろうけど。


 少し考えてから、真祖が激怒していた事を思い出してルリは慌てて真祖を見る。

「げ」

 思わず声が出た、真祖の表情はこれまでにない程怖い表情をしていた。


――怒っている、ものすごく怒っている――


 絶対前言ってたあの言葉なんて忘れているのが分かる程、真祖が激怒しているのがルリには分かった。


――何であんなこと言ってたのに、こんなに怒ってるの?!――


 ルリが訳が分からなくなった。



 ヴァイスは怒りと嫉妬が抑えられなかった。

 己は気に入られている、友人や兄のような親愛のような感情を抱ける存在等ルリの口から言われた事は一度もない。

 言われても精々「まぁ、立場が真祖の妻なのが……」という感じだ。

 だが、それに対して何か言うことはできないルリを「吸血鬼達の王の妻」という立場に、自分の妻にしたのはヴァイスだ、ルリの意思を無視して自分の妻にしたのだ。

 盟約通り差し出してきたのは人間の国の者達だが、ルリの権利等は無視された。

 アルジェントやヴィオレから、ルリがいつになったら家族や友人と連絡を取ってもいいのかと時折尋ねてくるというのも聞いている。

 最初の頃はホームシックになって一度グリースに連れていかれた、今は我慢をしているようだが、またいつ爆発してホームシック状態になってもおかしくない。

 それに部屋出せない状態が今だ続いているので、必死に苛立つのをおさえているとも聞かされている。

 アルジェントやヴィオレではその苛立ちを抑えれないようだ。

 腹立たしいことに、その苛立ちを解消するのがグリースだ。

 どうやらグリースの奴はヴィオレとアルジェントがいない状態のルリの部屋に来ると、時折何かを渡したり見せたりしているらしい、何か――それを渡されたり見せられたりすると、少しの間だけルリは家族や友人たちと連絡を取っていいかを聞くのを止める。

 となると、手紙、もしくはそれらの声や映像だろう。

 向こうの国の監視を掻い潜って、行っているのが予想できた。

 そういうのもあり、おそらくルリの所謂好感度という物があるとしたら三人の中ではグリースが一番上にいるのが嫌でもわかった、そしてこれを考える事が嫌だった。


――自分はおそらく、一番、下、だ――


 ヴァイスの怒りと苛立ちが更に悪化する。

 グリースとアルジェントの二人が羨ましくて、妬ましくて仕方なかった。

 グリースはどうしようもできない、アレがこの城に勝手に侵入してくるのをかなりの回数防ごうと努力をしたものの、グリースはその努力を軽々と踏みつけて侵入してくるのだ。

 アルジェントをどうするか、世話役を解任するか。

 できない、それをしたらアルジェントが今後「何をしでかすか分からない」危険性が一気に増す上、他の者をつけると言ってもアテがない、適任者がいないのだ。

 確かに、配下の者達は皆自分には忠実だ、だが「ルリの世話役」をさせるとなると適任者は今の所ヴィオレとアルジェントの二名しかいない。

 それに、仮に適任者がいて、アルジェントを解任したとしよう、ルリのヴァイスへの好感度は確実に急降下する。


『本人が隠してるの知っててつけたのに、自分より好かれてるとかそういうのが気に喰わないって理由で解任するなんてサイテー』


 そんなことをルリが言ってきそうな気がして、ヴァイスはそれをすることができない。

 アルジェントはグリースの事を除けば、基本ルリの事を第一に行動しているので、グリースがかかわらない限りは、ルリはアルジェントの事を信頼しているのも分かる。

 グリースは周囲の妨害やいちゃもんなんかどこ吹く風と言わんばかりの行動だが、基本行動は現在は全て「ルリの安全」の為だ、そして同時に「ルリの精神の安定」も含んでいる。


 先ほどの口づけは、それではないが。


 先ほどの行動を除けば、現在のグリースの行動ほぼ全てがルリの為。

 外に出れなくて買いに行けないぬいぐるみを買ってプレゼントしたり、欲しいけどゲームが下手だから遊べないと諦めているゲームを買って遊んでそれを見せてあげたり、誰かに抱きしめてほしいと思ってる時は一度確認してから抱きしめたり。


――嗚呼、忌々しい!!――


 考えれば考える程、ヴァイスは自らの首を絞めているかの如く、怒りと嫉妬等の感情を悪化させていった。


「し、真祖? どうした、の?」


 これも気に喰わなかった。

 ルリは未だに自分の名前を呼ばないのだ、一度たりとも。

 ルリにとって自分は「ヴァイス」という名前の夫ではなく、「真祖」という吸血鬼の王という立場の方が強く占めているのが分かる。

「――ルリ」

「な、何?」

「お前は、グリースから既に私の『名』を聞いたはずだ、何故私をその名で呼ばぬ?」

「え゛? あ゛ーうー……いや、だって、下手に名前呼んで問題起きたらその、やだし? ヴィオレもアルジェントも真祖の事は『真祖様』だから、そのー……」

「ヴィオレとアルジェントの前なら、それでもよかろう。だが、何故名前を知っているのに夫である私の名を、私と二人だけの時でも呼ばぬのだ?」

 ヴァイスの言葉にルリはベッドに座ったまま、きょどり始める。

「答えよ、何故だ?」

「え、えー……いや、その……何となく」

「何となく、だと?」

 徐々に圧を込めてヴァイスは言葉を口にした。

 ルリは慌てふためいている。

「いやその……? いや、だって真祖だし……私は真祖の妻って立場だし……」

「確かに私は真祖だ。この国の王だ。だがそれ以前にヴァイスという存在でもある」

 ルリは相変わらず言いづらそうな、気まずそうな顔をしている。

「ルリ、私はお前に無理難題は言っておらぬつもりだ。ただ私と二人きりの時だけでいい、私の『名』を呼んで欲しいと言っているだけだ」

「う、う゛――……」

「ルリ、私の名前を呼ぶのがそれほど嫌か?」

「う、うーん……その真祖で頭に定着しちゃってるから、名前の方で呼んでと言われても違和感が……グリース以外真祖の事名前って呼ばないし……」

「アレにとって私の身分などどうでも良いのだ。そもそも、何故私は妻にまで立場で呼ばれ続けなければならぬのだ?」


 ヴァイスは、ルリに「妻」という立場とそれ以外を無意識に強要してしまっていた。


 ルリは何か言いたげだが、それを我慢しているような顔をしてから、ため息をついて諦めたような顔をして、恐る恐るヴァイスを見上げた。

「……前、アンタが私の事喰おうとした事あったでしょう? ……グリースに『あいつの名前呼ぶ時は気を付けた方が良い、また過去思い出して喰おうとしかねない』って言われたから……痛いの嫌だし」

 ルリの言葉に、ヴァイスの表情はこわばった。


――嗚呼、これは完全な自業自得ではないか!!――


 以前過去の事を思い出し、人間政府への不信からルリの事を喰おうをした事があった。

 グリースはそこの事を危惧してルリに事前に「ヴァイスと呼んだ場合、また喰われる可能性が若干残ってるから気を付けておいて」と忠告していたのだ。

 通りで頑なに「ヴァイス」という名を、言葉を口にしない訳だ。

「わ、分かった。もしそういう衝動が出ても耐える、故に頼む。名前を呼んではくれないか?」

「……本当?」

 ルリは若干不安げかつ、疑っているような表情をヴァイスに向けている。

「――本当だとも」

 ルリは何か信用できなさそうな表情をしている。

 前科ありの自業自得故、ヴァイスには信じてくれと懇願するしかできなかった。

「……ヴァイス」

 暫く沈黙してから、ルリはヴァイスの「名」を呼んだ。


『ヴァイス』


 ヴァイスは頭をおさえる、痛む、酷く痛む、苦しい、憎い、哀しい、色んな感情が一気に押し寄せる。

 昔の――殺された妻の声が頭に響いた。


――許さない、憎い、また私から奪うのか、そんなことをさせてたまるものか――


「ぐうう!!」

「ひっ?!」

 ヴァイスは自分の腕を引きちぎった、ぼとりと片腕が床に落ち、血がだらだらと滴る。

 荒い呼吸を繰り返し、残っている腕で胸を抑え、膝をついた。


――嗚呼、グリースはコレも予期していたのか、忌々しい、憎悪対象を何故お前は哀れむ――


 ヴァイスは呼吸を少しずつ整えながら、ゆっくりと思考を整えていった。



 ルリは硬直していた、真祖の要望通り、彼の名前を呼んだら、苦しみ始めて、憤怒の形相になったとおもったら急に自分の片腕を引きちぎったのだ。

 そして床に膝をついて胸を抑えている、腕は――流石吸血鬼の王と言うべきか、もう元に戻り、一緒に破れたはずの服も綺麗な状態になっていた。

「……」

 近寄るのは危険な気はしている、でも放っておくのはできない。


 ルリがわが身が可愛いという性格の持ち主なら違っただろうが、ルリはわが身より他人の身を案じてしまうというの性格の持ち主だった。


 ぎゅっと真祖を抱きしめ、黒い髪を撫でる。

「――ヴァイス、無理しないで」

 優しい声色で真祖――ヴァイスに言葉をかける。

「……嫌いとかじゃないの、どうすればいいか分からないのまだ」

 少し困っているような声色でルリは続ける。

「現状に不満がないと言えばウソになるし、誰かを愛していると言えばウソになる、どうすればいいか分からないの。色んな事がありすぎてでもね」

 ルリはヴァイスを抱きしめたまま続ける。

「私は、ヴァイスもグリースも、アルジェントの事も大事なの。……まぁ、だから結果として今日アルジェントの事あんな状態にさせちゃったり、ヴァイスの機嫌損ねちゃったりしたけど……」

 ルリは少しだけため息をついた。

「――ごめんなさい。私は三人の『愛』へどう対応すればわからない、私恋をしたことがないの、まだ恋をしてないもの……うん、だから覚悟はできてる、ヴァイス、私は――」

 ルリの言葉は最後まで紡がれなかった。

 ヴァイスがその言葉を遮るように、深く、口づけをしたからだ。

「――ルリ、それ以上言うな、否言おうとするな、私は、私達はお前がいない事など考えられぬのだ」

 今度はヴァイスがルリを強く抱きしめた、ルリは少し安心した表情を浮かべた。


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