第37話

 ふと目を覚ますと、私は見知らぬ部屋のソファーに寝かされていることに気が付いた。


「五感を元に戻しましたから、起き上がれるでしょう?」


「……え? ……っ?! フライタークさん?!」


 突然意識が戻ったところに声を掛けられた私は、驚きで慌てて飛び起きた。

 しかも目の前には私の意識を奪った張本人がいて、思わず身体を強張らせると、彼──フライタークは初めて会った時のような、穏やかな声で言った。


「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。ここは私の商会です。貴女から詳しくお話を伺いたくてお連れしました」


 フライタークはそう言うと、にっこりと綺麗な笑顔を浮かべるけれど、意識を失う前の狂気じみた表情を見た私は、警戒を解くことが出来ない。


「……お話ってなんですか? 引き抜きの件ならお断りしたはずですが……?」


「その件はもう諦めましたよ。……まあ、とりあえずお茶にしませんか? こちらは私が経営する製菓店『ニーダーエッガー』でお出ししているモーンクーヘンです。おかげさまで王都で大人気なのですよ」


 いつの間に用意されていたのか、テーブルの上には綺麗に盛り付けられたモーンクーヘンとお茶が置かれていた。


「こちらを食べながら、ゆっくりお話の続きをしましょう」


 フライタークはそう言うと、優雅な仕草でお茶を飲んだ。その姿だけを見れば、まるで貴公子のようだ。

 その様子は意識を失う前、悪意に満ちた表情を浮かべていた人と同一人物にはまるで見えない。


 私はお皿の上のモーンクーヘンを見る。

 王女殿下が評判だと言っていた通り、とても美味しそうに見える。


(……だけど、何だろう……この嫌な感じ。もしかして毒が盛られている、とか……?)


「おや。モーンクーヘンはお嫌いですか?」


「……いえ、今はお腹が空いておりませんので……。あの、それでお話とは何ですか?」


 フライタークの目的が何かわからないけれど、恐らく話が終わるまではきっと、私に危害は加えないだろう……と思う。


(受け答えには気をつけなくちゃ……! いつ態度が豹変するかわからないし、できるだけ時間を稼がないと!)


 私はギュッと手を握って気を引き締める。


「ではお伺いしますが、王女殿下の婚約式に使われたマイグレックヒェン……。珍しい色をしていましたね。あの花はどこで手に入れたのですか?」


「既にご存知だと思いますが、あの花は王室が管理してまして、今回特別に──」


「それは事実ではありませんね」


「──え?」


 いつものように答えようとした私の言葉を遮って、フライタークが否定する。


「貴女はギルドで大量のマイグレックヒェンの球根を購入していますよね?」


「……っ! それは……っ!」


「ギルドは公平性を重んじていますから、どこかの店に肩入れすることはありません。しかしそれは金銭面のことだけでしてね。情報の方は少しの金銭と引き換えに簡単に手に入るのですよ」


 まさかギルドで購入した品を把握されているとは思わなかった。

 どう返答すればわからない私は、言葉に詰まってしまう。


「小さい店で販売するには多すぎますよね? しかも毒があると知られているのに、どうしてあんな大量の球根が必要だったのでしょう?」


「…………」


 私は質問に答えず沈黙する。ここで下手な言い訳をすると、逆に墓穴を掘ってしまいそうだからだ。


「私が思うに、貴女はあのマイグレックヒェンを白色に、毒を持たずに育てる方法を知っているのではありませんか?」


 もはや質問ではなく、確信を持ったフライタークの言葉に、私の肩がピクリと跳ねる。


「……やはりそうなのですね……フフフ……っ! なら、その栽培方法を教えて貰いましょうか」


 私の反応を見て、答えに辿り着いたフライタークの口調が一転する。

 そしてお店で見せた、悪意に満ちた表情になると、冷たく鋭利な視線を私に向ける。


「……ひっ!!」


 まるで喉元に氷の刃を突きつけられているような、そんな鋭い視線に私は恐怖する。


 もしここで栽培方法を教えたら、きっと命だけは助かると思う。

 だけど栽培方法を教えるということは、私の魔法のことも知られることになるのだ。

 となれば、命は助かったとしても、私はずっとこの人に囚われたままになるだろう。


 私がどうするべきか悩んでいると、そばに来たフライタークが、私の顎を掴んで目を覗き込んできた。


「素直に教えた方が身のためですよ? ──精神を壊されたくなかったら、ね」


「な──っ?!」


 私はフライタークが放った一言に絶句する。


「フフフ……。正気じゃなくなっても頭さえ無事なら情報を取り出せますからね。死なないように四肢を切断すれば、抵抗もできないでしょう? ……まあ、それも昔の話ですが」


 笑いながら悍ましいことを口にするこの男の方こそ、精神が壊れているのではないかと思う。

 恐らくこの人はそうやって、これまでも人を恐怖に陥れてきたのだろう。


「こう見えて私は紳士ですからね。痛みで人を屈服させるのも良いのですが、その方法だと結構手間がかかるのですよ。ならば、自分から話したくなるような状況を作り出せば良いのではないか、と思い付きましてね」


「そんなの、どうやって……っ?!」


 思わず問いかけた私を見て、フライタークはニヤリと笑うと、懐から何かのケースを取り出した。


「本当はゆっくりと私好みに仕上げるつもりだったのですよ? 貴女のような強い意志を持つ人を組み伏せるのも楽しかったでしょうに……勿体ない。しかし貴女は一筋縄では行かないようなので、直接摂取して貰いましょうか」


 フライタークがケースから取り出したのは、何かの液体が入っている瓶だった。

 その液体を見た私は、得も知れない違和感を覚える。


「それは……?」


「これは今巷を賑わせている生命の水──”アクア・ヴィテ”ですよ。これは少し濃度を上げているのでキツめですが、その分効果は凄まじいですよ」


 私に説明しながらフライタークが瓶の蓋を開けると、以前嗅いだことがある、香ばしい香りが薄っすらと漂ってきて──……。


「これは……モーンの香り……?」


「へぇ。驚きました。随分鼻が敏感なのですね。その通り、”アクア・ヴィテ”はモーンの花から作られているのですよ」


 ──私はようやく、今まで感じてきた違和感の正体に気が付いた。


「……まさか、あのモーンクーヘンにも……?!」


 私の推測に、驚いたフライタークの目が見開いた。


「これはこれは……まさかモーンクーヘンにも気付かれるとは……! 素晴らしい! ああ、本当に、壊してしまうのが勿体ない……!!」


 フライタークは、たまらない、と言った様子で笑い出す。


「私は貴女がとても気に入りました。私とともに『プフランツェ』で働きませんか? 貴女もこのまま薬漬けにされるのは嫌でしょう?」


 恐らく、これが最終通告なのだろう。

 きっとこの提案を断れば、私はこの人の言う通り薬漬けにされて──ジルさんとは二度と会えなくなると思う。


「──お断りします」


 でも、それでも、私の意思は変わらない。

 ジルさんたちと交わした約束を、私はどうしても破りたくなかったのだ。


 それにもし提案を受け入れたとしても、この人は密かに”アクア・ヴィテ”を使い、私を操ろうとするだろう。


「……っ!! そうですか……そんなに薬漬けになりたいのなら……。お望み通りにしてあげましょう!」


 提案を拒否されて逆上したフライタークが私の顎を掴んで持ち上げると、私の口の中に”アクア・ヴィテ”を注ぎ込んだ。


「ぐ……っ! ……っ?! がはッ! ゲホゲホッ!!」


 抵抗する間もなく”アクア・ヴィテ”を飲まされた私は、突然のことにむせて咳き込んでしまう。


「……はぁっ、はぁ、は……っ!」


 私は身体に力が入らず、後ろのソファーに倒れ込む。

 すると頭がクラクラしてきて、動悸がだんだん激しくなってきた。


「ハハハッ! 早速薬が効いてきましたね! もうこれで貴女は私無しで生きていけない身体になったのですよ!!」


 フライタークの言葉が頭の中に響き、頭痛とともに吐き気と悪寒に襲われ、私の意識が朦朧となる。


(……ジルさん……)


 薄れていく意識の中、私は大好きな人の面影を思い出す。


「────アン……っ!!」


 私の名前を呼ぶ声に、目を薄っすらと開けてみれば、涙でぼやけた視界にジルさんの姿が映る。


 たとえそれが、私の願望が見せた幻だったとしても、最後に見た光景がジルさんの姿で本当に良かった、と心から思う。


 きっとこのまま意識を失い、目覚めた時にはもう、私は薬の依存症で正気を失い、違う人間のようになっているだろう。


 そんな醜い私の姿が、彼の記憶に残るぐらいなら、せめて──……


 光が降り注ぐ温室で、一緒に過ごしたあの穏やかな時間だけが、貴方の心に残りますように──と、私は切に願った。

 



* * * * * *



お読みいただきありがとうございました!( ´ ▽ ` )ノ


……薬怖い。


次回もどうぞよろしくお願いします!(*´艸`*)

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