第36話

 暴漢に襲われそうになった私が、駆けつけてくれたヴェルナーさんに事情を説明していると、慌てた様子のジルさんが店に飛び込んできた。


「あ、ジルさん! わざわざ来てくれて有難うございます。髪留めのおかげで助かりました!」


 私がにっこり笑うと、その顔を見たジルさんは安堵した表情を浮かべ「そうか……」と優しく微笑んだ。


「……?!??」


 ジルさんの笑顔に、私が花と光の舞い散る幻影を視ていると、近くから息を呑む気配を感じた。


 私がふと隣を見ると、ヴェルナーさんがまるで信じられないものを見て驚愕したような表情をしている。


「……え、笑顔……?! え、団長、が……?」


 お姉様方の話通り、ヴェルナーさんもジルさんの笑顔を見たことがなかったようだ。ジルさんは真面目だから、きっと勤務中は一生懸命なのだろう。


「む。ヴェルナーか。ご苦労だった。後は俺に任せてお前は王宮へ戻れ」


「……っ、俺は……っ! …………っ、はい。了解しました」


 ジルさんから指示されたヴェルナーさんは、一瞬、何かを言いたそうにしていたけれど、結局何も言わず席を立った。


「あ、ヴェルナーさん! 有難うございました! 来てくれて助かりました!」


 私がヴェルナーさんの背に向かって声を掛けると、ヴェルナーさんは振り向かず手をひらひらと振り、店から出ていった。


 なんだかヴェルナーさんの様子がおかしい気がするけれど、上司であるジルさんがいるから、大人しくしているのかもしれない。


「魔道具に反応があったと知って急いで来たのだが……遅くなってすまない」


「いえ、お忙しいのに来てくれて嬉しいです! それにヴェルナーさんもいてくれてすごく助かりましたし!」


 王宮からここまで30分はかかると聞いていたけれど、ジルさんはそれより随分早く来てくれた。馬車の準備をするだけでも結構時間がかかるのに、だ。


「……むぅ。そうか……ヴェルナーか……」


 ジルさんがそう呟くけれど、何となく機嫌が悪くなったような気がする。


「……あ。でも、ヴェルナーさんはどうして私が絡まれているってわかったんでしょう?」


「魔道具に反応があった場合、近くにいる団員と衛兵団に連絡が行くようになっている。恐らくヴェルナーが一番アンの近くにいたのだろう」


 ジルさん曰く、緊急時に連絡が取れるように、各団員にも通信の魔道具が配布されているのだそうだ。


「な、なるほどです!」


 理由がわかってスッキリした。ヴェルナーさんが近くにいてくれたのは運が良かったから、らしい。


「アンも驚いただろう。念の為しばらく外出は控えて欲しい。今日はこれを食べてゆっくりしてくれ」


 ジルさんはそう言うと、懐から可愛くラッピングされた袋を取り出した。


「これは……?」


「アンが食べたいと言っていたモーンクーヘンだ。話に出た店のものではないが、うちの料理人が作ったものだからきっと美味いと思う」


「……あっ! 有難うございます……っ! 嬉しいです……!!」


 まさかの贈り物に、私の胸の鼓動が早くなる。


 ──ジルさんはいつも私の話を聞いて、覚えていてくれるのだ。


「いつもアンにはプレッツヒェンをご馳走になっているからな。それにアンが喜んでくれるなら俺も嬉しい」


「〜〜〜〜っ!!」


 そんなことを微笑み付きで言われたら、もう撃沈するしかなかった。

 いくらジルさんへの想いに蓋をして閉じ込めようとしても、結局はこうして軽々と開けられてしまうのだ。


「た、大切にいただきますね……! 本当に有難うございます……!」


「うむ」


 私は気を抜けば「好きです!」と叫んでしまいそうになるのを何とか堪え、ジルさんにお礼を言った。


「……ああ、髪留めの術式だが、一度発動した場合ヘルムフリートに調整させる必要がある。それまで防御魔法は発動しないから、もし外出するのなら護衛をつけるので連絡して欲しい」


 今回の事件の首謀者が見つかるまでは、お店に篭もっていた方が良いだろう、とジルさんは思っているようだ。


「あ、はい! じゃあ、しばらくは大人しくしておきますね」


「店にも防犯の魔道具があるとはいえ気をつけてくれ。出来るだけ会いに来るから、必要なものがあれば教えて欲しい」


「わかりました。では、またメモをしますので、お願いしますね」


「うむ」


 そうして、仕事に戻るというジルさんを見送った後、私は指示通り家に引き篭もることにする。

 お店の方はしばらく外に出なくても営業できるし、問題は食料や日用品だけなのだ。


 私はお願いする品を考えながら、ジルさんに貰ったモーンクーヘンを食べるために、クロイターティを淹れることにする。


 いつものように魔法で水を作り、沸かしている間にモーンクーヘンを盛り付けようと袋を開ける。


「……あれ? この匂い……」


 袋を開けると、ノワゼットに似た香ばしい香りが漂ってきた。


 ──私はこの匂いを、つい最近嗅いだことがある……?


 どこで嗅いだ匂いだろうと思いだしていると、誰かが店のドアを叩く音がする。


「えっ?! だ、誰?!」


 先程のこともあり、警戒心が強くなっている私は、居留守を使おうと考えた。

 だけどドアの外にいるらしい人は諦める気がないのか、ずっとドアを叩き続けている。


(どうしよう……! 防犯の魔道具が反応していないし、大丈夫かな……)


 悪意がある者が来たら結界が発動する、とヘルムフリートさんが言っていたし、外にいる人は衛兵さんかもしれない。


「えっと、どちら様ですか……?」


 私が恐る恐る声を掛けると、穏やかで丁寧な口調の、男の人の声が聞こえてきた。


「突然すみません。私は『プフランツェ』を経営しているフライタークと申します。こちらの店主の方と少しお話させていただきたいのですが」


 お店に来た人は、私が予想も出来ない人だった。


「えっ?! 『プフランツェ』の……?!」


 意外な人物に、私は思わずドアを開けた。

 するとそこには声と同じ穏やかな印象の、綺麗な顔をした男の人が立っていた。


 王都にある超有名店で、お貴族様に人気のお店の経営者にしては、フライタークと名乗った人はとても若く見える。


「初めまして。もしかして貴女が店主のアンネリーエさんですか?」


「は、はい! そうですけれど……」


「こんなに若くて可愛らしい方だとは思いませんでした。よろしければ、お店の中でお話をさせていただきたいのですが」


 初対面の人なのでどうしようかと思ったけれど、優しそうだし同じ花屋の経営者だし……何より魔道具が反応していないということもあり、私はフライタークさんをお店に招き入れた。


 中に招き入れたものの、奥に案内するのはさすがに気が引けたので、お店に椅子をおいて話を聞くことにする。


「このような場所で申し訳ありませんが、手短にお話を伺ってもよろしいでしょうか?」


「もちろんです。では、単刀直入に申しましょう。アンネリーエさん、『ブルーメ』ごと貴女を私が経営する商会に引き抜きたいのですが……いかがでしょう?」


「えっ?! このお店と私を、ですか?」


「はい。私は貴女を高く評価しています。もし私の店に来て下さるのなら、この店の売上の五倍の報酬をお支払いします」


「ご、五倍……っ?!」


 物凄い報酬額に驚いた。以前来たナントカ男爵とはエライ違いだ。


 あの「プフランツェ」の経営者に、そんなに高く評価して貰えるのはすごく嬉しい。

 だけど──……。


「評価いただいてとても嬉しいのですが、申し訳ありません。そのお話はお断り致します」


 私が申し出を断ると、フライタークさんの眉がピクリと動く。


「……報酬が足りませんでしたか? それなら、更に金額を上乗せさせていただきますよ」


「いえ、金額の問題ではなく、私はここを人に売るつもりはありません。いくら高額を提示されてもそれは変わりません」


 フライタークさんが報酬を上げると言ってくれたけれど、私は再度断った。

 私が断る度に、フライタークさんの雰囲気が変わっていく気がする。


「……どうしても断る、と?」


「はい。せっかくお誘いいただいたのに、申し訳ありません」


 初めは穏やかなフライタークさんだったけれど、段々空気が怪しくなってきた。

 そんな重苦しい空気に、私の中の何かが警鐘を鳴らしている。


「そうですか……とても残念です。……でも仕方がありませんよね。私の慈悲を拒絶したのは貴女なのですから……」


「え……? 一体何を言って……」


 言葉の意味がわからず困惑していると、突然世界が反転するような感覚に襲われた、と同時に、店に置いていた魔道具から、サイレンのような、けたたましい音が店中に響き渡る。


「ど、どうして……っ?!」


 店中に充満する悪意に、今まで魔道具が作動しなかったことを不思議に思っていると、フライタークさんが嬉しそうに声を上げた。


「はははっ! 貴女には防御魔法が掛けられていましたね? 少し離れたところから拝見しましたが、見事な魔法でしたよ」


「っ?! あの人達は、貴方が……っ?!」


「その通り。あんなゴミのような中毒者たちでも役に立ちましたよ。さすがの私でもあの魔法に襲われていたら、ただではすみませんでしたからね」


 フライタークさんは随分用心深いらしく、私の様子を確認するために敢えて酔っ払いたちを仕向けたのだという。


「おかげでこの店に掛けられた術式にも気付きましてね。認識阻害の魔道具を用意してきたのですよ」


「な……っ!」


「邪魔者が来る前に、さっさと移動しましょうか。話の続きはそこでしましょう」


 フライタークさんが指をパチンと鳴らすと、封じられたかのように五感が遮断されて身動きが出来なくなる。恐らく、なにかの魔道具を発動させたのだろう。


 結局、私はろくに抵抗出来ないまま、意識を失ったのだった。

 



* * * * * *



お読みいただきありがとうございました!( ´ ▽ ` )ノ


ヤバい奴来たー!ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ

アンちゃんまたもやピンチです。


次回もどうぞよろしくお願いします!(*´艸`*)

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