第22話
お店がお休みの日、朝早くから格好良いジルさんの初めて見る私服姿やエプロン姿を崇めたせいで、私の脳内はエライことになっていた。
しかも現在、目の前で私の料理を食べてくれるジルさんの優雅なカトラリー使いは、見事としか言いようがないほど美しかった。
ただ料理を食べているだけの姿に感動する日が来るなんて……! あ、指キレイ。
ジルさんの一挙一動に超反応してしまう自分を正直気持ち悪いな、と思う。
空腹のせいもあり、思考力が低下していたのも原因の一つかもしれない。
朝食を食べ、栄養が頭の方へと届いたのだろう、ようやく私の頭が動き出してくれた。
(……あれ? よく考えたら昨日の残りを公爵様にお出ししちゃった……?)
私は我に返ると、自分のやらかしたことを思い出してひーっとなる。
つい流れでこうなってしまったけれど今回用意した朝食は、よく考えたら公爵様に出していい料理じゃないと思う。
厳選した素材に手間ひまかけた究極の逸品を作り出す、お屋敷の料理長さんの料理に馴染んでいるジルさんが、私の素朴な家庭料理に満足できるだろうか。
もし朝食を共にするとわかっていたら、残り物ではなく黄金に輝くコンゾミーを前日から作っておいたのに、と後悔していると、食事を終えたジルさんがカトラリーを置いた。
「この量の朝食を食べたのは初めてだったが、どれも美味くて全部食べてしまった」
色々考えていたけれど、どうやら心配無用だったようだ。ジルさんのお皿に盛った料理は綺麗サッパリ無くなっていた。
「特にヒューナーズッペはまた食べたいほど美味かった。アンの料理はどれも美味いな」
「え、そうですか? えへへ。嬉しいです」
こんな家庭料理を気に入ってくれるとは思わなかった。昨日の残りでもジルさんは全く気にしない人らしい。
(ああ、そうか。騎士団だから遠征に行くだろうし、そこで一流シェフの料理なんて食べられないもんね)
ジルさんは高位貴族の公爵様なのに、私が作ったものでも喜んで食べてくれる理由に思い至り、ようやく合点がいった。
「じゃあ、食器を片付けますので、温室で待っていて貰えますか?」
「む。手伝わなくていいのか?」
さすがにジルさんに食器洗いなんてさせられない。キレイな指が荒れてしまうようなことがあってはならないのだ。
「いいですいいです! 寄植えに使いたいクラテールがあれば教えて下さい」
「……有難う。すまんが頼む」
今日の本来の目的を思い出したのか、ジルさんは素直に温室へと向かう。
私はササッと食器を洗い、テーブルを片付けると、温室の端っこにある物置から寄植えに使う鉢や道具を準備する。
「ジルさん、気に入ったクラテールはありましたか?」
「……む。それが中々決められなくてな」
温室には鉢で栽培しているクラテールと、地植えしているクラテールがあり、種類も結構様々だ。確かに初めての場合、どれが良いのか決められないだろう。
ジルさんが気に入ったクラテールを選べば、用途や属性に合わせて他のクラテールを選ぼうと思っていたけれど、違う方向からアプローチしたほうが良いかもしれない。
「えっと、じゃあジルさんはクラテールをどう使いたいですか? 例えば、良い香りを楽しみたいとか、料理やクロイターティに使いたいとか。用途は色々ありますよ」
「それなら、クロイターティに使いたい。執務室に鉢を置いておけば、いつでも飲めるだろう?」
「なるほど。それなら休憩時間にリラックスできそうですね」
ジルさんの執務室には大きな窓があるそうだ。クラテールの多くは日当たりが良い場所を好むから、育てるには丁度いいだろう。
「初めて飲んだクロイターティがまた飲みたいのだが」
「ああ、カミルとミンゼですね。でも……二つを寄植えにするのはおすすめできませんね」
「む。そうなのか?」
「はい。ミンゼの繁殖力が強くて、カミルを侵食してしまうんです。ミンゼは単体で育てたほうが無難だと思います」
「……むぅ。クラテールは奥が深いのだな」
ジルさんが顎に手を当てて考えている。
クラテールの寄植えは相性をよく考えないとダメなのだ。その辺り、ちゃんと説明しなかった私に非があるかもしれない。
「じゃあ、カミルに合わせてツィトローネンメリッセとツィトローネンバーベナを組み合わせるのはどうでしょう? 丈夫なクラテールなので育てやすいですし、柑橘系の良い香りがするんですよ」
「アンが勧めてくれるのなら、それにしよう」
ツィトローネンメリッセは初夏に白い花が咲いて可愛いし、葉色も明るいグリーンだから、観葉植物としても人気がある。しかも解毒作用や鎮痛作用などもあって、昔から薬用として使われていた便利なクラテールだ。
そしてツィトローネンバーベナは夏から秋にかけて白い花が咲き、触ると爽やかな香りがする。ツィトローネに似た香りはリラックス効果をもたらすので、休憩のお茶にはもってこいだ。
私は用意した手袋をジルさんに渡し、自分の手にもはめる。
「じゃあ、株分けしますので、ちょっと待って下さいね」
私は地植されているツィトローネンメリッセの根に、刺激を与えるつもりでスコップを突き立てる。そして株の周りの根を切るように掘り上げ、株全体を土から取り出した。
取り出した株を適当な大きさに分けて、ジルさんの寄植えに使うのだ。
同じように他のクラテールの株も分け、寄植え用に除けた後は、土に肥料を加え、株を植戻しておく。これで心機一転、また元気に育ってくれるだろう。
「さすがに手際が良いな。思わず見惚れてしまった」
「えへへ。もう何度もやってますから、慣れですね。それじゃあ、寄植え作りを始めましょうか」
「ああ、よろしく頼む」
私は物置から持ってきた素焼きの鉢をテーブルに置いた。深みのある落ち着いた色合いのアンティークな鉢は、執務室に置いても違和感がない……と思う。執務室を見たことがないので勘だけど。
「これは良い鉢だな。とても味わいがある。使わせて貰って良いのか?」
「はい。ジルさんが気に入ってくれたのなら是非。ずっと物置に眠らせておくのも勿体ないですし」
素焼きの鉢を気に入って貰えたので、寄植え作業を続行する。
「じゃあ、この網を鉢底に敷いて、その上にこの石を鉢底が見えなくなるくらい入れて下さい。」
用意した石は一センチぐらいの粒のもので、水はけを良くするためのものだ。
「む。……これぐらいだろうか」
「はい、それぐらいで大丈夫です」
石を入れたら次はクラテール用に配合しておいた土を鉢に入れる。
「次は土を入れましょう。鉢の大きさに対して七割ぐらい入れて下さい」
「うむ。わかった」
ジルさんは私の指示をテキパキとこなしていく。力もあるから土も軽々と持ち上げるし、物覚えもすごく良いので、次からはジルさん一人で作れてしまいそうだ。
鉢に土を入れたので、次はクラテールの苗を植える作業だ。
「苗同士はなるべく離してくださいね。育ってくると葉と根が詰まってしまいますから」
「なるほど」
苗を置く場所が決まったら、更に土を入れて苗の隙間を埋めていく。あまり土を入れすぎると水をあげた時に土も溢れてしまうので、鉢のふちから少し下ぐらいにする。
「はい、後はたっぷり水をあげれば完成です!」
「む。これで完成か。予想より簡単で楽しかった。アンが準備してくれたおかげだな」
寄植えが完成した達成感からか、ジルさんが清々しい笑顔を浮かべている。
(……くっ! キラキラ十倍増し……っ!!)
初めて見る種類の笑顔に油断した。こんな笑顔も出来るとは、意外とジルさんは表情豊かだったようだ。
「ま、まあ、準備と言っても土を配合して寝かせておいただけですけどね」
「そうか。手間を掛けさせてしまったな。……お礼に何か俺に手伝えることはないだろうか」
「はっ?! え、いえ、これと言って特に今は何も……」
実際、手伝って貰いたいことは無いけれど、仮にあったとしても仕事がお休みの日まで、ジルさんに力仕事はさせられない──
「……む。そうか……。何か力仕事があればいつでも言ってくれ」
──と思ったけれど、私はジルさんの寂しそうな顔を目撃してしまう。
(ジルさんの後ろにしょんぼりと耳の垂れた犬の幻影が……っ!)
彼のそんな顔に弱い私は、一度ぐらいならお言葉に甘えても良いかもしれない、と考えを改めることにした。チョロい女だという自覚はある。
「はい、手伝っていただきたい時は遠慮なくお願いしますから。その時はよろしくお願いしますね」
「ああ」
私がお願いすると、ジルさんが嬉しそうな表情をする。何だかお互いを助け合う関係って感じがして、私まで嬉しくなってきた。
「じゃあ、休憩しましょうか。ジルさんが持ってきてくれたケーゼトルテと、今日植えたクラテールのクロイターティはいかがでしょう?」
「うむ。それは良い。楽しみだ」
ジルさんも賛成してくれたので、寄植えに選んだツィトローネンメリッセのクロイターティを淹れることにした。
私は先程株分けしたツィトローネンメリッセを摘みさっと水洗いをすると、水気を切った葉を手でちぎってポットに入れ、熱湯を注ぐ。
蓋をして五分ほど蒸らし、お湯が薄いツィトローネ色になったら飲み頃だ。
ちなみにツィトローネンメリッセのクロイターティは爽やかな香りがしてとても飲みやすい。酸味はほとんど無くさっぱりしているから、ケーゼトルテとの相性はすごく良いと思う。
* * * * * *
お読みいただきありがとうございました!( ´ ▽ ` )ノ
今回はまともに寄植え作りの回でした。(ギリギリ)
❀名前解説❀
ツィトローネンメリッセ→レモンバーム
ツィトローネンバーベナ→レモンバーベナ
次回からお話が動く、はず……!(多分)
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