第21話
お店がお休みの日、そろそろ起きて準備しようと思っていたところに、同じくお仕事が休みのジルさんが私服姿で現れた。
めちゃくちゃ格好良いジルさんの私服姿に、私の眠気は一瞬で吹き飛んだ。
「あ、えっと、どうぞ中にお入り下さい!」
いつまでもジルさんを入り口で立たせておく訳には行かないと思った私は、慌てて家の中に入って貰った。
見慣れたキッチンにジルさんが立っている……それだけでキッチンが宮殿のように華やかに見えてしまうのはどういう原理なのだろう。まあ、宮殿の中なんて見たことが無いけれど。
「む。まだアンは朝食を摂っていないのか?」
料理をした形跡がないキッチンを見たジルさんが、名探偵の如く推理を的中させる。
騎士団長様は休みの日でも細かいところに気が付くようだ。
「あ、はい。そうですけど……」
「俺が早く来たせいだな。すまない」
ジルさんが申し訳無さそうな顔をする。
でもそれは、お店が休みだからと惰眠を貪ってしまった私のせいでもあるので、ジルさんにそんな顔をさせるのは違うと思う。
「ち、違います!! 私が夜更ししちゃって、つい寝坊しただけで、本当はもっと早く起きるつもりだったんです! だからジルさんが謝る必要はありません!」
正直、私が夜更ししたのもジルさんが原因なのだけれど……。
私は寝ても覚めてもジルさん一色のこの状態を、早くどうにかしないといけないな、と思う。
「……む。そう、なのだろうか……。いや、でもしかし……」
「そうですそうです! ホントお気になさらず!! あ、ジルさん朝食はもう食べられました? もし良ければご一緒しませんか?」
未だ躊躇うジルさんの思考を切り替えるために、私はジルさんを朝食に誘ってみる。まあ、すでに食事は済ませているだろうから、カフェーでも飲んで貰おうと思ったのだけれど……。
「む。アンの作った朝食……。ご馳走になっていいのだろうか」
「はいっ! 勿論です! あ、でも本当に簡単なものですけど!」
「構わない。とても楽しみだ」
まさか食べると思わなかったけれど、ジルさんの表情が明るくなったので良しとしよう。それに私も誰かと食事をするのは随分久しぶりだ。
ジルさんが一緒に食べてくれるのなら、こんなに嬉しいことはない。
「ああ、忘れていた。手土産を持って来ていたんだった。気に入って貰えると嬉しいのだが」
そう言って、ジルさんはロングコートで隠れていた手に持っていた紙袋を差し出した。
「……っ?! こ、これは……っ!!」
ジルさんが持って来てくれたのは、老舗のケーゼ専門店で作られている限定品、ケーゼトルテだった。
「これは開店前に並んでも手に入らないという幻の逸品……?! 手に入れるのは大変だったんじゃ……?」
まさか朝イチにジルさんがお店に並んで購入したのだろうか……。なんか全然想像できないけれど。
「……いや、予め頼んでおいたからな。大変ではないから安心して欲しい」
ですよねー。
英雄がお店の行列に並んでたらみんなびっくりするだろうし、お店もすごく困ると思う。
「有難うございます! すごく嬉しいです!! 休憩の時に一緒に食べましょう!!」
新鮮なケーゼ、クワルクを使用して作られたというケーゼトルテは、一見濃厚そうに見えて実はさっぱりしているという、大人気の商品なのだ。
一度は食べてみたいと思っていたのですっごく楽しみ。
「うむ。喜んでくれたのなら嬉しい」
ジルさんの安堵した微笑みに、今日初めての花が舞い散る幻影を見る。相変わらず凶悪な笑顔である……良い意味で。
「じ、じゃあ、朝食の準備をしますね! 温室で待って貰っていいですか?」
「それは申し訳ない。俺も何か手伝いたいのだが」
「え? え? えっと、じゃあ、サラダに使う野菜とクラテールを採りに行くので、手伝って貰っていいですか?」
「わかった」
高位貴族のジルさんに野菜の収穫なんてさせちゃって良いのかな、と思いつつ、ジルさんは意外と土いじりが好きなのだと知っている私は、まあいっか、と考えを改める。
(ここにいる間だけでも、好きなことをして過ごして欲しいしね)
私はジルさんからコートを預かり、ハンガーに掛けると、奥の棚からエプロンを取り出した。
「ジルさん、服が汚れるといけないのでエプロンを付けて下さいね」
私が用意していたエプロンは、黒い首掛けタイプのもので丈が長く、腰紐を前で結ぶものだ。
「ああ、有難う、助かる」
ジルさんはエプロンを受け取るとバッと広げ、手際良く着用していく。
首に紐をかけ、後ろで腰紐をクロスさせキュッと縛り、腰紐を前に持ってくると器用に蝶結びをする。
腰紐の位置を浅目にしているのに、それでも足が長いってわかるのがすごい。しかも意外と腰が細くて驚いた。これは盲点である。
(……くっ……!! と、尊い……っ!! ヤバい……っ!!)
絶対似合うと思っていたけれど、予想以上に似合っていて直視するのが辛い。しかしジルさんは更に私を追い込んでいく。
ジルさんが白いシャツの袖を捲ると、綺麗な筋肉が付いた腕が現れた。いつもはきっちりとした騎士団の服を着ているので、全く肌の露出がない分、こんな風に露出されてしまうと、何とも言えない耐え難い気持ちになってしまう。
「すっ、すごく似合ってますねっ!! ジルさんみたいな格好良い店員さんがいたら毎日通っちゃいそうです!!」
……声が上擦ってしまったのは不可抗力だ。挙動不審になるのも仕方がない。全ては格好良すぎるジルさんのせいなのだ。
「む。そうか。似合っているのなら良かった」
「似合い過ぎです!!」
ジルさんは自分の容姿がどれだけ優れているのか全く理解していない。そこは自覚して欲しいと思うものの、ここで私が下手にアドバイスなんてして、ジルさんの魅力を令嬢達に知られてしまうのも嫌だ。
だから私はもう少しだけ、こんなラフで格好良いジルさんの姿を独り占めしたいと思う。
思わずジルさんのエプロン姿で一人フィーバーしてしまったけれど、ジルさんがお店に来てからまだ10分程しか経っていないことに驚いた。
10分間でこれだけ興奮しているのに……。このままでは早々に燃え尽きてしまう。
「ごほんっ! では、温室へ行きましょう!」
「うむ」
私は咳払いをして気持ちを切り替えると、ジルさんを伴い、温室の一区画で育てているラウケとバジリコを収穫する。
ラウケはセサミ風味の味と香りがするとても美味しいクラテールだ。主にサラダに使われることが多いけれど、炒めても美味しいしパスタに入れても美味しいからとても重宝している。
バジリコはさわやかで甘く、独特の芳香があるクラテールだ。ラウケと同じようにサラダに入れたり、ソースにして料理に使ったりピザに乗せたりと大活躍してくれるのだ。
「うむ。いい香りだな」
収穫するだけでクラテールの爽やかな香りが広がって、とても食欲を刺激される。
「この2つのクラテールとトマーテに、ブーファラのモッツァレッラを使ったサラダを作ろうと思うんですけど……苦手なものはないですか?」
「苦手なものは無いから大丈夫だ。……楽しみだな」
ジルさんが嬉しそうに微笑んだ。本当に楽しみなんだなってよくわかる笑顔だ。
クラテールを収穫し終え、キッチンに戻った私はパンに目玉焼き、ヴルストを焼いてお皿に盛り付ける。
その隣にサラダとヒューナーズッペを添えると、とても豪華な朝食になった。
「これは……すごく美味そうだ」
見かけによらず、食べるのが大好きなジルさんが目を輝かせている。その反応に私は心の中でガッツポーズをする。
「普段はもっと質素なんですけど、今日はジルさんが一緒なので張り切ってみました」
ちょっと自慢気に言っているけど、ヒューナーズッペは昨日の残りである。それでも野菜によく味が染みているから、昨日より美味しくなっていると思う。
* * * * * *
お読みいただきありがとうございました!
言わずもがな、エプロン回です。(違)
アンちゃんのエプロン萌で話が終わってしまいましたよ…_(┐「ε:)_
こんなはずでは…! でもソムリエエプロンは正義。( ー`дー´)キリッ
次こそは寄植え作りの回になる…はず!(自信ない)
❀名前解説❀
カフェー→コーヒー
ケーゼ→チーズ
ケーゼトルテ→チーズケーキ
ラウケ→ルッコラ
バジリコ→バジル
トマーテ→トマト
ブーファラ→水牛の乳
モッツァレッラ→モッツアレラ
ヴルスト→ソーセージ
ヒューナーズッペ→チキンと野菜のスープ
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