第18話
橙色に染まっていく空の色に、そろそろ閉店の時間かなと思っていると、ドアベルを鳴らしてジルさんがお店に入ってきた。
……相変わらず花が咲き乱れる幻影は健在だ。もしこの幻影が具現化したら、花屋の商売は上がったりになるだろう。
「いらっしゃいませ!」
「む。遅くなってすまない。もう閉店の時間だろうか」
「丁度閉店しようかな、と思っていたところですから、まだ大丈夫ですよ」
ジルさんやロルフさんのようなお得意様なら、閉店していても注文を受けてしまうけれど、実際『閉店』のプレートに変わっていなければセーフなのだ。
「うむ。なら良かった。今回の花束だが、ピンク系統の色で作って欲しい」
「ピンク系ですね、わかりました!」
私はフロレンティーナ王女殿下の可憐な姿を想像し、並べている花からイメージに合いそうな花を選んでいく。
カップ咲きのローゼに鮮やかなピンク色のダリエ、濃い赤紫色のステルンクーゲルにアドーニスレースヒェンと八重咲きのリシアンサス、ユングファーイングルーネン……。
選んだ花をスパイラル状に組んでいくと、可愛い雰囲気の中にも大人っぽさが垣間見える花束が完成する。
「うむ。相変わらず見事な腕前だ」
「えへへ。有難うございます。殿下に喜んでいただけたら嬉しいです」
「勿論フロレンティーナは喜ぶだろう。……ああ、そう言えばヘルムフリートがアンによろしくと言っていた」
「そうなんですね。私からもどうぞよろしくとお伝え下さい。あ、そうだ! またプレッツヒェンを作ったんですけど、お時間があるなら召し上がって行かれますか?」
「それは嬉しい。是非いただこう」
時間が無ければせめてクロイターティだけでも、と思っていたのでジルさんが了承してくれてホッとする。
「良かったです! じゃあ準備しますので、温室の方でお待ちいただけますか?」
「わかった」
私は店のドアに掛けているプレートを『閉店』にすると、お湯を沸かしながらプレッツヒェンとクロイターティの準備をする。
朝に考えた通り、ローズマリンとハーゲブッテ、イングヴェアを入れたポットにお湯を注ぐと、爽やかなクラテールの香りが鼻をくすぐる。
渋くならないようにクラテールを濾し、ホーニッヒで甘みをつけると、ジルさんが待つ温室へと向かう。
花畑を背景にして座っているジルさんは、天井から降り注ぐ光の効果も相まって、とても綺麗に見えた。
男の人に「綺麗」という表現は嫌がられるのは知っているけど、それでも私はこの人を綺麗だと思ってしまう。
(はぁ〜〜。眼福……! この瞬間を形に残せたら……っ! もうこれ芸術作品でしょ)
ジルさんの綺麗な銀髪が夕日で染まり、見事な金髪へと変貌している。いつもの銀髪も好きだけど、金髪になると雰囲気が柔らかく感じるのは、演色性のせいだろうか。
「お待たせしてすみません」
私に気づいたジルさんが柔らかく微笑んだ。もうそれだけで胸が一杯で、この尊い存在に出逢わせてくれた神様に感謝する。
「仕事で疲れているだろうにすまないな。とてもいい香りだ」
プレッツヒェンとクロイターティに使っているローズマリンの香りに気付いたジルさんが、目を輝かせている。
「ふふ、大丈夫ですよ。お口に合えば良いのですが」
私はテーブルにプレッツヒェンが入ったお皿を置き、クロイターティをカップに注ぐ。
カップをそっとジルさんの前において「どうぞ」と勧めると、優雅な仕草でジルさんがクロイターティを口に含む。
「……美味い」
クロイターティを飲んだジルさんが、その美味しさに目を見開いて驚いている。それからお皿のプレッツヒェンに手を伸ばし一口かじると、これまた嬉しそうな表情を浮かべながら満足そうに残りのプレッツヒェンを食べてくれた。
そんなジルさんの様子に、ローズマリンの香りを気に入ってくれて良かったと、ホッと胸を撫で下ろす。
もし好みじゃないクラテールだったら目も当てられない事態を招いていただろう。休んで貰うのが目的なのに、苦行を強いてどうするのだと罪悪感に襲われるところだった。
「……うむ。このプレッツヒェンも素晴らしい。クラテールの香りも良く後を引く美味さだな」
「クラテールは結構好き嫌いが激しいので心配しましたけど、気に入って貰えて嬉しいです! 今回使ったローズマリンは体調を整える効果があるんですよ。しかも若返り効果まで! ジルさんの疲れも取れたら良いんですけど」
ローズマリンは血管を強くし血行と消化も良くなり、新陳代謝が活発になるといわれている。しかも細胞の老化を防いでくれるので、いつまでも若々しくいられると人気のクラテールだ。
「……む。美味くて身体に良いとは、クラテールは凄いのだな。アンは本当に物知りだ」
「っ、有難うございます! でも職業柄知っていて当然のことですから……! ジルさんが魔物に詳しいのと同じです」
花屋と騎士の仕事は全く違うし、持っている知識が違うのも当たり前なのだから褒められても調子に乗ってはいけない。ジルさんは私を過大評価するきらいがあるのだ。
「もしクラテールに興味があるのなら、わかる範囲で教えますよ」
ローズマリンは強くて丈夫なハーブだし、いくらジルさんが<茶色の手>の持ち主だとしてもアルペンファイルヒェンのようにすぐに枯れたりしないはず。
「む。それは有り難い。是非教えて欲しい」
「じゃあ、まずはジルさんお好みのクラテールを見つけないとですね。クラテールはとても種類が多いので」
それから私とジルさんはクラテール談義に花を咲かせ、日が沈むまで話し込んでしまった。
ジルさんは休暇日の調整ができたらしく、次の休みの日からこの温室に来てくれることになり、その時、一緒にクラテールの鉢植えを作る約束をした。
「これからもよろしく頼む」
ジルさんはそう言って花束を抱えて帰っていった。
ちなみに今日作ったプレッツヒェンはほとんどジルさんが食べてくれた。騎士の人は身体をよく使うから、その分食べる量も多いのだろう。
結構な量を作ったので、残ったら持ち帰って貰おうと思っていたけれど、かなり気に入ってくれたみたいでとても嬉しい。
私はジルさんを見送った後、温室に戻り食器を片付ける。
空になったお皿とカップを片付ける音が静かな温室に響いて、さっきまでここで笑っていた人がいなくなった寂しさを痛感する。
(でも、また次の水の日に来てくれるんだし、よく考えたら会う回数が増えるもんね!)
気を取り直した私は、ジルさんが作るクラテールの鉢植えを、どのようなものにしようか考えながら温室を後にした。
* * * * * *
ヴェルナーさんへの勘違いが解け、ジルさんとクラテールについて談義した日から三日後、可愛いお客さんがやって来た。
「初めまして! わたくしフィーネと申します。先日お兄様からいただいた花束がとても素晴らしくて……! わたくしとても感動いたしましたの! だから直接お礼をお伝えしたくて、お兄様にお願いして連れてきていただきましたの!」
(か、可愛いーーーー!! 天使みたい!)
「初めまして! 私はアンネリーエと申します。身に余るお言葉有難うございます。私の花をお気に召していただけて光栄です」
「アンネリーエさん、いただいたプレッツヒェンとても美味しかったです! 素敵なお菓子を有難うございました!」
フィーネちゃんがペコリとカーテシーを披露してくれる。その仕草がすごく愛らしくて感動の涙を流しそうだ。
「ごめんね、アンちゃん。どうしても妹がお礼を伝えたいっていうからさ。連れて来ちゃったんだけど、迷惑だよね?」
天使のフィーネちゃんはヴェルナーさんの妹さんで、七歳なのだそうだ。ふわふわの金色の髪にペリドット色の大きな瞳をしたとても愛らしい女の子だ。
「いえいえ、こんなに可愛いお客様ならいつでも大歓迎です! どうぞゆっくりご覧になって下さいね」
ヴェルナーさんは申し訳無さそうにしているけれど、フィーネちゃんは嬉しそうに花を眺めているだけでとても大人しいので全く問題ない。
「有難う。そう言って貰えると妹も喜ぶよ」
私が快く受け入れたからか、ヴェルナーさんがホッとした表情を浮かべる。
きっと小さい妹さんにメロメロなのだろう。この可愛さなら納得だ。
「お歳の割にすごくしっかりしていらっしゃいますね。礼儀も正しいし本当に可愛いです!」
「ははは。有難う。フィーネは両親が高齢になってから生まれた子でね。他の姉弟と結構歳が離れているんだ。だから同年代の子より大人っぽいのかもしれないね。一番上の姉と並んだらまるで親子だよ」
そう言ってフィーネちゃんを見る眼差しはとても優しくて、ヴェルナーさんがフィーネちゃんをとても大切に想っていることが伝わってくる。
(フィーネちゃんは美少女だし、ヴェルナーさんも格好良いし、きっと他のご兄妹も美形揃いなんだろうな……)
私はヴェルナーさん一家を一度見てみたいな、と密かに思いつつ、美しい兄妹を鑑賞させて貰うのだった。
* * * * * *
お読みいただきありがとうございました!(*´꒳`*)
すみません、ヴェルナーさんの妹の名前をフィーネちゃんに変更させていただきます。
16話の方も修正しました。混乱させてしまったら申し訳ないです…_(┐「ε:)_
❀名前解説❀
ステルンクーゲル→スカビオサ
ユングファーイングルーネン→ニゲラ
この辺りで一旦完結しようと思いましたが、もうちょっとだけ続きます。
もうしばらくお付き合い下さいませ!( ´ ▽ ` )ノ
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